パラノイド・パラノイア

記憶

私には人を殺した記憶がある。

幼児の頃、何を思ったかは知らないが一人で塀の上を歩いていた記憶がある。右手には土手、左手には野原があったので、幼稚園か保育園の遠足にでも行ったのだと思う。
友だちや先生と一緒じゃなかったのか。勝手に行動して怒られなかったのか。色々と疑問が湧いてくるが、何といっても二十年ほど昔のことなので記憶が定かではないのだ。
それでも鮮明に思い出せる場面が一つだけある。
私は平均台でバランスをとって歩くように、塀の上を歩いている。ふと下を見ると、男の子に覆い被さる男の姿が見えた。男が着ているポロシャツの白が、やけに眩しかった。
男の子は抵抗らしい抵抗も見せず、男にされるがままだった。小さな顔に大きくてぱっちりした瞳はよく出来た人形のようで、私は自分が持っている赤ちゃんの人形を思い出した。

──吸い込まれそう。

その子の瞳をみてそう思った。
私はまるで機械になったようにぎりぎりで持てる重さの石を拾って、眼下の黒い頭に落とした。あの瞳がもっと見たいのに邪魔になったからだ。鈍い音を立てたと思ったらそれは動かなくなった。そしてようやく、ようやくあの瞳が──

私を捉えた。

思い出せるのはそこまでだ。それから私は平々凡々な人生を送り、どこにでもいる会社員として日々を送っている。私が入社した会社は国際色豊かで、右を見ても左を見ても様々な国から来た人たちで溢れかえっているのが日常だ。青に緑、黒、暗褐色。カラコンをつけている人だっている。

──私を捉えたあの色ではない。

私はその日、会議で使う資料を探しに地下と向かっていた。
欲しい資料は残念なことにデータ化されておらず、上司に聞けば地下の第二資料室にあると言う。令和だぞペーパーレスの時代だぞと内心愚痴りながら階段を降りて、目当ての資料を見つけるため、埃っぽく人気のない廊下へと足を踏み入れる。
社員証をかざして開けようとして、ふとドアのガラスが明るいことに気づいた。電気がついている。誰か先客がいるらしい。大変だなこの人もこんなとこまで。
ドアノブをひねって押した。途端に独特のカビのような臭いがムッと襲ってくる。さっさと見つけてしまおうと大股で目当ての書棚に急ごうとして、紙の束や本が落ちる音が背後から聞こえてきた。思わず振り返って本やファイルを拾う。
持ち主は私があらかた拾ってからゆっくりとしゃがみ、私の手を掴んだ。ひんやりとして一瞬驚いたが、間違えただけですぐに離すだろうと考えた──が、指にはますます力がこもるだけで離す気配はない。

私はそっと目を上げて、息を呑んだ。

「見つけた」
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