箱入りワガママ公爵令嬢は誕生日プレゼントに貧乏貴族を所望します

14 白いままのカード

 

 ・・◆


 今日だけの恋人が許されたシエナはエストの肩に寄り添っていた。
 普段通りの話をしながら、時々エストのキスが控えめに落ちてきた。
 会話はいつもと同じ内容なのにくすぐったい。

 まだ恋人のままでいたいけれど、そろそろ帰らなくてはならない。

 時間の経過がわかりづらい場所ではあるが、そろそろ夕方になるだろう。
 ここは夜になると危ないし、ダリルが夕食を作って待っていてくれる。


「大事な話があるんだ。」

 突然エストが切り出して、シエナも姿勢を正した。
 気持ちも通じた、このまま一緒に逃げてくれるのではないか、ほんの少し期待したといえばウソではない。


 エストは身に着けていたポーチから何かを取り出してシエナに渡した。
 手のひらサイズのカードのようだ。


「これ、一緒に考えた魔法具。」

「わ、完成したんですか!」

「まあまだ全然開発途中でとても実用的なものではないけどね。」


 見た目は無地のカードだ。
 シエナに渡された物とは別にエストの手にも同じ物がある。


「魔力をこめながら、伝えたい言葉を想像してみる。やってみるから見てて。」

 エストはそう言って自分が持つカードを見る。『シエナ・ティルヴァーン』という光の文字が浮かんだ。浮かんですぐに文字は消えた。


「消えちゃいましたね。」

「君のものを見てごらん。」


 すると、シエナの持つカードの方にも同じように『シエナ・ティルヴァーン』と浮かんだ。


「すごい……!」

「面白いだろ。君のアイデアのおかげだよ。」

「本当にすごいです。これが魔法の力で、それを応用した魔法具の力なのですね。」

「うん。文字を出現させる魔法から始まって、文字を光に変換させて、転移魔法で文字を運んで……って詳しいことや仕組みはまあいいとして。

 これが広がって国民に流通すれば、連絡がかなり楽になって大発明!……になると思うんだけど、
 実際に実用化を目指すと、転移情報が混雑したり、距離が遠い場合の問題とか、まだまだ商品化は難しいんだけどね。

 そもそも今は魔力がないと文字を入力できないし。魔力の補助がなくても使えるようにしないとね。

 とりあえず君に渡したくての試作品。俺も君も魔力あるから。」


「本当にすごいです。」

 カードをぎゅっと抱きしめてシエナは言った。シエナのなんとなくの思いつきを本当に形にしてしまうなんて。


「これが実用化されたら、エスト様はきっとこの国1番の発明家になるでしょうね。」


 これはもちろん本音だ。この魔法具の開発はきっとエストの夢の大きな一歩になることは間違いない。

 しかし、国中に普及させるとなれば、多大な費用もかかるだろう。国の承認もいるだろう。

 そう思うと一緒に逃げてほしいという言葉は絶対に口にはしてはならなかった。

 本当に実用化されれば、彼の地位は確約されるし、彼の研究開発した他の魔法具も広まるだろう。

 彼の夢はすぐそこなのだ、絶対に潰せるわけがない。



「今の試作品の段階では、ここから王都までの距離が限界なんだ。
 でも、君が東の国に行くまでには、その距離でも問題ないように研究を進めるよ。」


 エストはシエナを励ますように言った。
 しかし、それはシエナにとって死刑宣告のようでもあった。
 エストは東の国にシエナが嫁ぐと思っているのだから。

 でも、当たり前のことだ。とシエナは自分に言い聞かせた。
 貴族でもないただの家庭教師の彼からすれば、公爵令嬢と結婚するだなんて思いもしないだろう。

 今通じ合えている気持ちは本当だ。本当に好きでいてくれると思う。
 でも結婚までは想像できないのだろう。


「ええ、ありがとうございます。」

 やっとの思いで口に出すと、エストはシエナの手を強く握った。

「これから離れてしまうけど、これで繋がっていられる。
 ずっと俺は君のことを想っているから。
 毎日連絡する、俺の研究日誌を送ってもいいし、君の日記も読む。」


 エストは熱を込めて伝えてくれる。嬉しい。
 でも……今までのエストの言葉のようにはスッと入っていかない。

 シエナも最初はそれでいいと思っていた。結婚できなくてもどこかで繋がっていられれば。そもそもこの魔法具を希望したのはシエナなのだから。


 でも、その時よりエストを好きになってしまった。こうして隣にいる幸せを知ってしまった。

 これからまた自由のないカゴの中に戻る。その中でエストからの連絡を待つだけの日々に耐えられるのだろうか。
 メッセージが届く度に外の世界に恋焦がれるだろう。
 そしてその度に外に出られないことを知る。こんな残酷なことはない。


「そろそろ夜になる。帰ろうか。」

 エストはそう言って最後にもう一度キスをした。
 最後だ。このキスで夢は醒めて、現実に戻るのだ。

 幸せなはずのキスが、苦しかった。



 ・・♠



 シエナは本当に実在したのだろうか。
 そんなことを思ってしまうほどあっけなく彼女の存在は生活から消えた。


 つかの間の恋人時間……あの数時間が終わると、時は瞬く間に過ぎた。


 フリエル家の皆、使用人とペトラも集まった最後のささやかなパーティーは日付が変わるまで行われた。
 そのまま朝早く公爵家から立派な馬車がやってきて、バタバタとせわしない別れとなった。


 家族や公爵家の使いもいたから、情熱的な別れができるわけもなく。
 本当にあっさりとシエナは帰ってしまった。


 シエナと別れた午後、自室で魔法具の研究を進める。いつもの癖で休憩中に庭を見下ろすが彼女はいない。
 いつもそこにあった白いワンピースが見えないと、今までのことが幻のように感じる。


 それでも、エストは不思議と寂しくなかった。彼の手には自分で作ったカードがある。


 これでいつでも彼女と繋がっていられるからだ。
 この先誰かと結婚するつもりはない。シエナ以上の女性に出会える気はしない。


 でも、魔法がある。魔法具研究に打ち込んでいれば寂しさは紛れるし、シエナからの連絡があればそれでいい。

 もちろんシエナと結婚したかった。
 しかし、公爵令嬢と自分ではどう考えたって無理な話だ。



 夜になった。
 何度かカードを見るがまだ連絡はないようだ。連絡が来たら知らせてくれるような機能もあった方がいいかもしれない。

 そんなことを考えながら連絡を待った。しかしその日はついに連絡が来ることはなかった。
 帰宅した日なのだから疲れているかもしれない、とエストは自分を納得させた。



 翌日、シエナのいない1日が始まった。


 朝食の席で今日やりたいことの相談をするシエナはいない。
 長々と喋りすぎてしまう座学や失敗して笑い転がる魔法講座もなくなった。
 街に出かけて一緒に買い食いすることもない。
 自室から見下ろした庭にもシエナの姿はない。
 1日の出来事を報告してくれる夕食にもシエナはいなかった。


 そして、この日もシエナから連絡はなかった。
 エストからメッセージを送ってみた。『無事につきましたか?』


 しかし、その翌日も返事はなかった。
 彼女は本当に実在したのだろうか、そんな疑問が出てきてしまうほど、嘘のように彼女の存在が消えてしまった。


 でも重ねた手や唇の感触は今でも思い出せる、彼女の香りも。
 エストの長い話を一生懸命きいてくれて、笑ってくれた彼女は確かにいたのだ。


 今日の分の研究日誌を記入していたエストは、机の上においてある真っ白なままのカードを眺めた。


「何が繋がっていられる、だ。」


 エストはぽつりとつぶやいた。そうだ、これでは意味がない。

 自分の腕の中にいるシエナを思い出した。触れた小さな肩が震えたことも思い出した。
 皆からバカにされたこの黒髪を掬ってきれいだと言ってくれたことも。


 触れられる距離にいないと、ダメだ。



 そのとき、カードに何か文字が浮かび上がった。慌ててエストは文字を読む。


『連絡が遅くなって申し訳ありません。無事につきました。』


 ひとまず無事についたことに安堵していると、文字が消えて次の文字が浮かび上がった。


『私のために完成して頂いたのにすみません。このメッセージで最後にさせてください。』


「えっ……!?」

 ティルヴァーン公爵に何か言われたのだろうか、動揺しているとまた文字が消えて、次の文字が浮かんだ。


『2ヶ月後には私は嫁ぐことになるでしょう。私はあまり器用ではありません。』

『このやりとりを続けているとあなたへの気持ちがずっと残り続けてしまいます。』

『望まない結婚といえど、相手の方に不誠実ではありたくはありません。』

『叶わないのに、もう夢を見るのも怖いのです。』

『この魔法具は大変素晴らしいものです、成功を祈っています。』

『エスト様、心から大好きでした。弱い私ですみません。』


 メッセージはそこで途絶えた。最後の光が消えて、エストはカードを持ったままその場に立ち尽くしていた。


 そうだ、どうして気づかなかったんだろう。


 魔法に打ち込んで、彼女を想い続けながら生きていける自分
 好きなことを封印して、2ヶ月後には結婚しないといけない彼女


 シエナが帰ってしまうまでの1週間、やらないといけないことは試作品を急いで完成させることではなく
 シエナと1分でも多く一緒に過ごすことだったのではないか。


 一緒に逃げようという覚悟がなかったのは、彼女のためじゃない。自己保身からだ。


 またか。また気づくのが遅かったのか。自分に呆れる。


 でも……まだできることはあるはずだ。
 エストは立ち上がり、背面の本棚から分厚いファイルを取り出した。
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