財閥御曹司に仕掛けられたのは、甘すぎる罠でした。
 次の瞬間、頭にぽすんと何かが乗った。
 温かくて、大きくて、少しごつごつとしたそれは――

「そんなに硬くならないで。僕は君と話がしたかっただけなんだ」

 ――悠賀様の、右手だった。

「昔出会った少女に、君が似ていたから」

 右手はそのまま髪を撫で、掬ってから離れていく。
 思わぬ事態に驚き顔を上げると、悠賀様の目元は優しく細められていた。

 胸が大きく、ドキリと鳴る。
 別の意味で彼の顔を見ていられなくなり、慌てて視線をそらせてしまった。

 そんな私に、悠賀様はふふっと笑う。

「それから――」

 悠賀様は付け足しのように、話し出す。
 私はもう一度、目の前にいる彼を見上げた。

「――清掃中の事故を未然に防ぐために、君はどうしたらいいと思う?」

「え……?」

 思わぬ質問に、面食らってしまう。
 けれど本来、こちらが本題であるはずだ。
 着地が見事だったとはいえ、悠賀様を滑らせてしまったのだから。

「お咎めはないのですか……?」

 あまりにも優しい顔で尋ねられ、訊き返してしまった。
 けれど悠賀様は嫌な顔ひとつせず、むしろ優しい笑みをこちらに向ける。

「あれは僕の不注意だ。あの時間に、あそこを通る人はまずいないからね。だからこそ、君の上司もあそこの清掃を君に言い渡したのだろうし」

 そんなことを言われるとは思っておらず、ぽかんとしてしまう。
 そんな私に構わず、悠賀様は続けた。

「起きてしまったことは仕方ない。過去を責めるよりは、同じような事故を減らすことが重要だ。君は、そう思わない?」

「それは、そうかもしれません……」

「それに、君の業務に対する姿勢は、客室対応部から聞いているよ。とても優秀だとね。僕の専属のメイドにしたいくらいだ」

「そ、そんな……恐縮です」

 悠賀様の言葉に、顔が赤くなる。恥ずかしくなって、顔を伏せた。
 褒めてもらったのは、これが初めてかもしれない。

「そうだ、きっとこれも何かの縁」

 悠賀様は、伏せていた私の顔を覗く。そして――

「依恋さん、僕の専属メイドになってくれないかな」

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