財閥御曹司に仕掛けられたのは、甘すぎる罠でした。
「え、執事さんが一人で、ですか!?」

 思わず大きな声が出てしまう。
 執事さんはふぉっふぉっと、貴族のような声で笑った。
 
「いかにも。しかし私ももう老いぼれ。あなたがこの仕事を引き受けてくれて、大変うれしく思っておりますよ」

 目を細め、心からのものらしい笑みを向けられる。
 ほう、と息が漏れた。

 執事さんは「ああ、それから」とまとめたリネンを器用に左手で抱える。
 右手で胸ポケットから金色のカードを取り出して、私に差し出した。
 カードの端にはクリップと、そこから伸びる金属のチェーンがついていて、その先はカラビナになっている。

「お渡しそびれておりました。こちらがこの部屋の鍵でございます。こちらで、隣の用具室の鍵も開きますので」

「は、はい!」

 私はそれを受け取ると、エプロンの紐にカラビナをくくりつけた。クリップ部分はポケットに挟み、ポケットにカードをしまう。

「では、私はこれで」

「あの!」

 寝室から去っていく執事さんを、呼び止めた。

 執事さんが「何か?」とこちらを振り返る。
 
「教えていただけませんか? 悠賀様の使い勝手の良いお部屋にするために、どうしたら良いか……」

 私が清掃で立場を挽回するのなら、悠賀様の想像の上をゆく清掃をしなくてはならない。
 どうにか彼のお眼鏡にかなうように。その一心だった。

 言えば、執事さんは目を見開く。
 けれどそれは一瞬で、すぐに顔をほころばせた。

「では、スパルタでいきますよ?」

「は、はい!」

 私は背筋をしゃんとして、執事さんのスパルタレッスンに備えた。

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