公爵家の隠し子だと判明した私は、いびられる所か溺愛されています。

生きる理由(とあるメイド視点)

 私は、途方もなく歩いていた。一体自分がどこに向かっているのか、自分でもわからない。
 わかっていることは、私に帰る場所がないということだ。ラーデイン公爵家にも、男爵家にも帰れない。私は全てを失ったのである。

「これから一体、どうすればいいんだろう……」

 ゼペックさんと話していた時は、生きなければならないと思っていた。だが、私は一体何を目標に生きればいいのだろうか。

「ここは……」

 私は、気づけば谷の近くまで来ていた。この近くには、それなりに有名な谷がある。そこでは、多くの者が身投げしているらしい。
 気を確かに持たなければならないことはわかっているつもりだ。しかし、私の足はどうしてそちらに向かおうとしている。

「……お嬢さん、おやめなさい」
「え?」

 そんな私に、声をかけてくる者がいた。後ろから、何者かが声をかけてきたのだ。
 そこには、先程まで誰もいなかったはずである。しかし、振り返ってみるとそこには確かに人がいた。眼鏡をかけた青年が、立っていたのだ。

「あ、あなたは……?」
「私のことなんて、どうでもいいのです。今重要なのは、あなたがどこに向かおうとしているかということです」
「それは……」

 青年は、私の目を真っ直ぐに見つめてきた。その瞳には力がある。私は思わず息を呑む。

「この先には何もありません。それをあなたは知っていますか? もし知らないのなら、この先に向かうべきではありません。もし知っているなら、私はあなたを止めようと思います」
「……あなたには、関係がないことです」

 私は、青年に対して語気を強めていた。そうすることで、彼が退いてくれると思ったからだ。
 だが、彼はまったく怯まない。その力のある瞳は、未だに私を真っ直ぐに見据えているのだ。

「確かに、私とあなたは関係がないでしょう。ですが、私も無垢な命が費えるのを見過ごすことはできません」
「そんなのは……あなたの自己満足ではありませんか」
「そうかもしれません。ですが、あなたにはまだ生きる理由があるのではありませんか?」
「何を根拠にそんなことを?」
「気づいていませんか? 先程から、あなたはずっと……」
「え?」

 青年の指摘に、私は驚いた。無意識の内に、私は腹部に手を当てていたのだ。
 最近になって、私はあることを察していた。この身に、新たな命が宿っているということを。

「……」

 その命は、私が望んだものではない。だが、どうしてだろうか。私はその子のことが、気になって仕方がないのだ。
 私は、先程までの勢いを失っていた。彼の言葉を聞いて、自分の心と向き合って、どうするべきかを理解したからだ。
 私は、この身に宿った新たな命を守りたいと思っている。私自身のことではどうでもいい。だけど、私の身勝手でこの無垢なる命を費やすことが、私には正しいとは思えないのである。
 ゆっくりと涙を流しながら、私はそう思っていた。そんな私に、青年は手を差し伸べてくる。

「……ついて来てください」
「え?」
「私に当てがあります。ですから、いきましょう」

 私は、ゆっくりと青年の手を握る。根拠はないが、そうするべきだと思ったのだ。
 こうして、私は見知らぬ青年にどこかに連れて行かれることになったのだった。
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