妖帝と結ぶは最愛の契り
 ぼすりと弧月の胸に飛び込む形で受け止められ、衣から(すす)の臭いの他に黒方(くろぼう)薫物(たきもの)の香りがする。
 その落ち着いた香りに癒される余裕もなく、美鶴の胸の鼓動が一気に早まった。

「ふぅ……危なかったな」

 近くで聞こえる低い声にもぞくりと心が震える。
 思えば、異性とこのように触れ合ったことなどない。
 近くに感じたことのある異性と言えば父だけであったし、抱き締められたのも最早遠い記憶の片隅だ。
 近年では殴られたことしかなく、触れ合いとは呼べぬものだった。
 それに母や妹にも触れてもらうようなことなどはなく、人の体温そのものが美鶴にとって未知の領域だ。

「あ、あのっ……申し訳ございません! もう大丈夫ですので、離してください」

 衣の下の硬い胸板を感じ取り、その体温にどこか安心する。
 だが、その安らぎを自分が得てもいいのだろうかと不安も同時に()ぎってしまった。
 だから離してほしいと願ったのだが。

「いや、このまま支えられていろ。何やら危なっかしくて不安だ」
「うっ」

 幼子を見るような目で心配され、言葉に詰まる。
 いくら何でも子供ではないのだから危険なことはしない。
 だが、今まさに落ちそうになったのだから説得力もないだろう。
< 29 / 144 >

この作品をシェア

pagetop