姐さんって、呼ばないで

詠ちゃんに過去のことを少しずつ教わり、その中で気付いた、彼との距離感。

記憶を失ってしまったのだから当然なのだが、十年以上一緒に過ごして来た彼に私は敬語を使っていた。
年上だし、若頭だし。
頭で考えるよりも先に、世間体を気にしてしまって。
それが、彼に切ない顔をさせる原因の一つであるのは事実。

だからこのデートを機に、少し私から歩み寄ることにした。
記憶を失っても尚、私を好きでいてくれる彼の気持ちに少しでも応えるために。

踵のないチャイナシューズ(蝶柄)を買って貰った。
それと、色違いのレザーにパンダの刻印がアクセントの手帳カバーも。

今年も残すところ、あと二カ月。
記憶を失った私でも、未来は平等にあるはずだから。
その未来に、彼との約束が一つでも書き込めたらいいなぁと思って。

スマホのデータ復元はあの日、詠ちゃんと学校帰りに頼んで来た。
数万円かかるみたいで正直驚いたけど、時間はかかるもののデータ自体は取り出せるらしい。
破損している箇所を修復するのに日数を要するらしく、未だに連絡は来てない。

仁さんのスマホを見せて貰えばすぐに分かることなんだけど。
自分の記憶は自分の手で取り戻したくて。
彼を傷付けた代償だと思うから。

「帰るんじゃなくて、どこか行きたいとこがあんのか?」
「……はい」

横浜と言ったら赤レンガとかコスモワールドがデートスポットだけど。
もしかしたら、彼と来たことがあるかと思って。
だから、駅ではなくタクシー乗り場で順番待ち。

既に十六時を過ぎようとしていて、暗くなる前に彼と行きたくて。

「仕事ですか?」
「……あ、いや違う。ちょっと鉄からメールが来てて」
「鉄さん?」
「……ん、ちょっとごめんな」

彼はタクシー待ちの間、鉄さんにメールを送っていた。

< 100 / 152 >

この作品をシェア

pagetop