姐さんって、呼ばないで
涙の夜、甘いキス
「家に帰らなくていいのか?」
横浜の三渓園から帰宅しようとした私は、事故以前の記憶と事故当時の記憶を全て思い出した。
事故に遭ったあの日も、今日と同じように彼と紅葉狩りに行った。
冷たい北風を彼がずっと壁になってくれて、空気は冷たいのに、彼の手はとってもあたたかくて。
いつも私を大事にしてくれる彼の優しさを噛みしめた日だった。
そのデートの帰り道に、事故に遭った。
急ハンドルを切った彼が、『小春っ』と叫びながら左手で私を抱き寄せたんだ。
物凄い衝撃と爆音が記憶の断片みたいに脳に刻まれていて、次に目を開けた時は、額から大量の血を流す彼が映った。
その後の記憶はない。
次に目を開けた時は、運び込まれた病院のベッドの上だった。
詠ちゃんが言ってたように、彼は私を庇って大怪我をした。
あの時、私を庇わなかったら、彼は軽症で済んだかもしれない。
それなのに、私はそんな彼のことも簡単に忘れてしまった。
その事実が受け止めきれなくて、涙が止まらない。
三渓園からタクシーで戻って来た私たちは、私の我が儘でマンションへと。
彼がホットレモンティーを淹れてくれた。
どんな想いで何も言わずに見守ってくれていたのか。
彼がどんな想いで私を助けようとしてくれたのか。
全てを失った私をなぜ責めなかったのか。
なぜ、どうして、どれほどに…。
溢れ出る感情は抑えきれず、涙と嗚咽となって苦しさを引き連れてくる。
「ぅぅっ……ハァッ……んっ…」
このマンションで、彼が何度も淹れてくれたレモンティーの味を。
彼に膝枕して貰ってDVD鑑賞したことも。
彼と一緒にうどん入りお好み焼きを作った記憶も。
彼の優しさが記憶の全てに刻まれていた。