姐さんって、呼ばないで

想い出は良いことばかりじゃない。
綺麗な記憶だけしかないなら、苦しくも辛くもならない。

けれど、俺らにはあの日の出来事がある。

小春の手が俺の前髪に触れ、ゆっくりと持ち上げられる。

「傷は?」
「額じゃないよ」
「……どこ?」

やはり事故の記憶も思い出したらしい。

あの事故で俺は、右頭頂骨を骨折した。
左耳の少し上、こめかみの上辺りをシフトレバーに強打し、外傷を負った。
幸いにも脳に損傷はなく、現在に至るまで何度も経過観察で検査を受けているが、何ともない。

幾ら幼い頃から体を鍛えているからとはいえ、頭蓋骨の中までは鍛えられない。
『お前は簡単に殺されるタマじゃない』と親父は言うけれど。
普段顔色一つ変えない親父が、あの日ばかりは血相を変えていたらしい。

頭の傷に彼女の手を誘導する。
髪で隠れていて分かりづらいが、十針縫ったらしいから。

「あった」

彼女の指先が地肌を這う。
傷痕を労わるように、そっと優しく。

「あの日、私を庇ってくれてありがとっ」

目に涙を浮かべながら、俺の瞳を見つめる。

「庇ったんじゃないよ。俺が守りたかっただけだよ。ホントは傷一つ残さず守り切りたかった。……ごめんな」
「仁くん、傷なんて大したことじゃないよっ。虫取り行った時に転んだ傷だってあるし、用水路に落っこちてついた傷だってあるし。お人形さんでおままごとするより、外遊びが好きだったからしょっちゅう生傷つくってママに怒られたもん」
「あーあったな」

社交辞令でもなく、デートの御礼でもなく。
彼女の気持ちが込められた『仁くん』呼びが、こんなにも幸せなのだと改めて実感した。

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