恋愛経験ゼロの御曹司様が札束で口説こうとしてきた
「やめてよ。実家の近くまで来られて既に迷惑してるのに」
「っ……それは、ごめん。文乃と仲良くしてた子に、実家の住所聞いた」
「それで?」

 自分でも驚くくらい低い声が出る。あのときもそうだった。文乃は比較的、人当たりが良い方だと自負していたつもりだが、将吾に対しては冷ややかな怒りが抑えきれない。

 自分が自分でなくなるようなこの苛立ちや怒りは、好きではなかった。

 出来ることなら知らないままでいたかった激しい感情に、将吾が現れたことでまたもや振り回されかけていることに気付いて、文乃は自己嫌悪に陥る。

 さっきまでの浮ついた気分が嘘のようだ。治りかけていたカサブタを無理やり剥がされたような痛みと不快感に、文乃の表情はみるみる曇ってゆく。

 しかし彼女のそんな変化には気付かなかったのか、将吾はそわそわと周りを気にして言う。

「えっと……どこか落ち着けるところない?」
「ない。ここで話して」
「いやでも、座ったほうが」

 ああ、煩わしい。文乃は眉根を寄せ、ぐっと目を瞑った。

「勝手に声を掛けてきたくせに、あなたが疲れないように気を使わなきゃいけないの? あなたの話を聞くために、またコーヒーでも買ってきてあげないと駄目? あのとき言ったよね? 私、あなたの『お世話』に疲れたの」

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