いじめられ少女が腹黒優等生の一軍男子に溺愛されるまでの青春ラブストーリー【高嶺の君とキズナを紡ぐ】
「ごめんね、山口さん。俺が投げたボールが当たってしまって。どこか痛い所はある?」

「う、ううん、どこも痛くないよ」

「本当? 外傷はないみたいだけど、一応病院へ行った方が良いかもしれない。頭を打ったようだから……」

「だ、大丈夫、大丈夫。あれは事故だったんだもん、篠原くんは全然悪くないよ!」

 思い詰めるような顔で心配する咲乃をフォローしながら、この時彩美の脳内は「保健室」「ベッド」「ふたりきり」というワードが渦巻いて頭の中を沸騰させていた。
 突然、彩美の手を、するりとした冷たい指で包み込むように握られた。咲乃に引き寄せられ、彩美のからだが傾ぐ。意図せず近づいた距離に咲乃の方からふわりと柔軟剤の甘い香りがして、彩美はますます落ち着かない気持ちになった。

「駄目だよ。脳を傷つけたかもしれない。俺も付いて行くから、一緒に病院へ行こう?」

 彩美の瞳をまっすぐにとらえた咲乃の瞳は、ゆらゆらと湖のような清らかさで揺れている。不思議な輝きに、思わず見とれた。このまま自分の心までが、その中に溶けていくような錯覚さえ覚える。

「それに山口さん、鼻血が出てる」




 放課後、咲乃の付き添いで、念のために病院で診察を受けた。医者からは、脳に問題はないと言われ、何事もなくそのまま帰ることになった。

「篠原くん、病院に付き添ってくれて本当にありがとう」

 そして飛んできてくれたボールもありがとう、と彩美は心の中で唱えた。

「ううん。ボールの件は、俺の不注意だから。本当にごめんね」

 悩まし気に目を伏せる咲乃の表情があまりにも色があって、その表情を見ているだけでもドキドキしてしまう。
 彩美はうっとりと、隣り合って歩く彼を見つめた。気遣いができ物静かな彼は、今まで見てきた同い年の男子たちとは違う。男子なんて、みんな猿以下だと思っていたのに、篠原咲乃は格段に群を抜いて大人びている。

 何か考え事をしているのか、咲乃は、憂鬱そうに夕空を見上げていた。その気怠く物憂げな表情は、儚い色香を伴い、そばにいる彩美の心をざわつかせる。わずかに唇から白い吐息が漏れ出し、思わず目線が行ってしまうそこに、彩美はもうどこを見たらいいのかわからなくなった。

「ここが、山口さんの家?」

「えっ、あ、うん」

 うっとりと咲乃を見つめている間に、家についてしまった。幸せな時間ほど流れるのが早い。浮ついていた思考は現実に引き戻され、温かかった胸の中が急激に冷えるようだった。

「今日はゆっくり休んでね。山口さん、また明日」

「待って、篠原くん! 渡したい物があるの!」

 慌てて咲乃を引き留め、急いで家の中に入った。昨日手作りしていたマフィンをタッパーに詰めると、急いで咲乃の元へ戻る。本当はきれいにラッピングしたものを渡したかったが、そんな暇はない。

 上がった息を整えつつ、彩美は咲乃に、マフィンを入れたタッパーを差し出した。

「これ、今日のお礼です! 受け取ってください!」

「でも、俺が悪いのに……」

「そんなことない! 病院まで付き添ってくれたの、本当にうれしかったから!」

 咲乃に何かをプレゼントするのは、初めてだった。受け取ってくれるか不安だったが、きちんと咲乃が受け取ったのを見て、彩美は内心ほっとした。

「ありがとう、山口さん。大切にいただくね」

 物憂げな表情から穏やかに微笑む彼を見て、彩美は人生最高の喜びを感じた。







「あのー……篠原くん……もしかして……怒ってます……?」

 ミニテーブルに突っ伏している篠原くんに、恐る恐る声をかけた。大層不貞腐れているのがよくわかる。

 あーもーめんどくさいなぁ。人の機嫌取りとか苦手なんだよ……。

 篠原くんからは事前に、『急用で遅れる』って連絡があったけどさ。空が暗くなっても来ないもんだから、今日の勉強会は休みなんだと思ったんだもん。いいじゃん、ちょっとくらいゲームで遊んでたって。

「別に篠原くんが来ないと思って、勉強をさぼってたわけじゃないんですよ? ちょっと休憩してただけ。篠原くんが来ないのを良いことに、めいっぱい好きなことを楽しもうなんて思ってたわけじゃないですってば」

 わたしはそっと手に持っていたゲーム機をベッドの下に押し込んだ。めいっぱい楽しもうとしていたことは全部なしにした。
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