唇から始まる、恋の予感
有休が明け、今日は一週間ぶりに出勤する。少し緊張しているみたいで、目覚ましよりも早く目が覚めた。
目立たずにいたお陰で、何か変わっていても問題はないけれど、それでも急に何もかも変えてしまうのは、私の方が勇気がいる。だから服装は変えず、何回も練習したヘアスタイルで出勤することにした。
動画を見ながら何回も練習をしたヘアアレンジ。ヘアアイロンを買って練習を重ねた努力が実り、自分でも納得の仕上がり。

「綺麗に出来た」

不器用な私が出来るか心配だったけれど、なんとか美容室でやってくれたように仕上がった。

「部長は気づいてくれるかしら」

自分勝手でいい。綾香が教えてくれたことだ。これから先、部長との関係がどうなるかなんて関係ない。私が部長を好きでいる間は、自分勝手でいよう。
いつもの通勤電車に乗って、正面を向く。

(あ、富士山)

遠くだけれど、山の頂上部分が見えた。ここから富士山が見えるなんて知らなかった。
なんだかんだ言っても富士山っていい。寒くなったと言っても、薄手のコートで間に合う気温で冬らしくないけれど、ここから見える富士山の頂上は白いので、雪が積もっているのだろう。こんなに綺麗な車窓からの景色を見てこなかったなんて、本当に勿体ないことをした。
いつものように朝一番で出勤すると、給湯室でコーヒーの準備をする。食器棚にある自分のマグカップを取り出すと、部長のカップも目に入った。私はカップを見ただけでドキドキしてしまって、これから本人にあったらどうなってしまうか心配だ。

(カップを見ただけなのに)

黑いカップにお寿司屋さんの店名が金色で焼き付けてあるカップ。
他の人達はキャラクターが描かれたものや、カフェの名前が入っているおしゃれなカップだけれど、部長はお寿司屋さんの店名。これを見た時、飾らない人なんだと思った。
デスクにカップを持っていき、パソコンを開く。一週間の休みではメールもたまっているはずだ。

「やっぱり」

調査、回答と多方面から送信されていた。
朝の寛ぐ時間は後回しにして、仕事にとりかかるけれど、一週間の休みはリフレッシュできたせいか、仕事もはかどる。
部内のスケージュールをチェックして、会議室の確保、資料等、川崎さんに頼んでおいたことを確認する。それぞれのスケジュールはメールと共にチェックできるようになっていたが、部長の所が「出張」と入力してあった。

「え……」

カレンダーをスクロールしても終わりがない。

「うそ」

信じられなくて何度も、何度も部長のスケジュールを確認したけれど、ずっと出張になっていた。

「なんで……どうして……何があったの?」

会いたくて、会いたくてたまらない人は、私の前からいなくなっていた。
< 121 / 135 >

この作品をシェア

pagetop