俺様御曹司からは逃げられません!
 その背中を追いかけようとしたのだが、遠くから聞こえてきたサイレンの音がだんだんと近づいてきて、楓は足を止めざるを得なかった。
 
 返しそびれてしまった封筒を大切に胸の前で抱きしめながら、楓は雑踏の中に紛れていく大きな背を名残惜しげに見つめ続ける。

 そうして、いくらもしないうちにパトカーが到着し、警察の事情聴取が始まった。
 
 怒涛のように警察官から質問され、パトカーで警察署へ赴いた後も同じことをまた繰り返し質問された。
 やっとの思いで被害届を提出し、警察署を出る頃には零時を回りそうだった。
 
 担当刑事に見送られながら警察署を後にした楓は、とりあえずすぐそばのバス停に設置されていたベンチにへなへなと座り込んだ。

 ドッと疲れが押し寄せて、すぐには歩けそうになかった。やっと終わった……とほっとひと心地つき、その流れでパーカーのポケットにしまっていた例の封筒の存在を思い出す。

(申し訳ないけれど、ありがたく使わせてもらおう……)

 助けてくれた見ず知らずのイケメンに感謝の意を表して心の中で合掌し、楓は封筒の中を覗き込む。
 その刹那、驚倒した。

「い、いやいや……待って、おかしいでしょ。どういうこと……?」

 思わず独りツッコミに興じてしまうほど、楓は動揺していた。
 
 それもそのはず。封筒の中には、一万円札が軽く見積もって十枚は収まっていた。
 明らかに交通費の域をはみ出ている。
 自宅どころか、沖縄まで飛行機で行って帰って来れてしまう金額だ。

(なんでもっとちゃんと断らなかったのよー!私のバカー!!)

 そう後悔したところで、時すでに遅し。

 楓は散々迷った挙句、封筒の中身を拝借することにした。背に腹は変えられない。なぜなら楓は今無一文であるので。

 思いがけず手にした大金に狼狽えつつもなんとか駅まで向かい、楓は終電で無事帰路に着いたのだった。

(でも、はした金って……これが、はした金……)
 
 電車に揺られながら、心の中で何度そう呟いたことだろう。
 引ったくりに遭った衝撃以上に、ある意味でショッキングだった。
 
 小説以外で「はした金」なんて言葉を使う人間を、今日楓は生まれて初めて出くわしたのだ。
 イケメンで、とんでもないセレブ。一体、前世でいくら徳を積んだのだろうと、もはや恐怖すら覚える。

 楓は遠い目をしながら窓の外を眺めた。
 他所様の大金で乗る電車はなかなかに罪深かった。
< 4 / 39 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop