悪役令嬢、今世は聖女に忠誠を誓います。〜生き延びたいだけです勘弁してください〜
プリマヴェーラは血筋を重視される伯爵家に産まれた。

両親はかなりの浪費家で、家臣を奴隷のように扱う癖、世間体だけは嫌に気にする小心者。
先代が残した資産を水のように使い、金が無いのは全てプリマヴェーラのせいにした。

そんな卑しい人間達のことを、いつまでも愛せるわけがない。

プリマヴェーラは早いうちから、自分1人で行動し、伯爵家が傾かないように、両親の代わりに書類を捌き、家臣達とよく話し、社交界で自分の価値を高める努力をした。

王家から縁談の申し入れを受けた時は、努力が身を結んだようで心が弾んだ。

婚約者の第二王子のアルフォンソ様は、氷のような涼やかな美貌を持っていた。
湖を思わせる瞳が、興味なさげにこちらを見た時、着飾った自分が恥ずかしくなってプリマヴェーラは俯いた。

薄く空色に輝く御髪はさらさらと流れるように風に揺れていて、節目がちな目には人形のように睫毛が縁取られている。
女性である筈の自分よりよほど美人であった。

アルフォンソは無愛想で無口な男だった。
しかし、本を読んだ感想を、静かに言い合っている時。
形の良い綺麗な指がプリマヴェーラの紫色の髪に触れた時。
遅くまで勉強していたプリマヴェーラに紅茶を淹れてくれる時。
少しだけ緩む彼の口角が、伏せられる瞳が、プリマヴェーラの心を高鳴らせた。彼と過ごす穏やかで心地よい空間は、アルフォンソへの気持ちを特別な物に変えていった。

王立学園に通い出してからも、穏やかな時間は続いた。幸い、社交界で立場を作り上げたおかげで友人達も多く、第二王子の婚約者として敬われ、充実した時間を過ごしていた筈だ。

しかし、二年生の春…突然編入してきた平民、クラリスによって、プリマヴェーラの立場は大きく変わる事となる。

彼女はおよそ百年もの間発現しなかった、癒しの力を持っていた。
貴族達の偏見や差別の視線が突き刺さる中、それでもクラリスは前向きに気取らない性格で、よく笑う少女だった。

始まりは、クラリスがアルフォンソ様の母親、皇妃リリーシェ様の病を治癒させた事。
プリマヴェーラは、10年以上婚約者として隣にいて、彼が感情的に声を荒げ、涙を流すところを初めて見た。

アルフォンソ様を始めとした王家は感謝を称してクラリスを王宮に招き、頻繁にお茶会が行われるようになった。

王家とクラリスの繋がりはどんどん大きくなり、国王の、戦争で失った片足を完治させてからは「聖女」として崇められるようにまでなった。

聖女となったクラリスはアルフォンソ様を含めた王子殿下と、騎士団に庇護されることとなり、わたくしといる時間より、クラリス様と共にいる時間の方が、徐々に多くなっていった。

学園にいる時。食事をする時。舞踏会でのダンスパートナー。わたくしと入場し、一曲目を踊り終えるとすぐ聖女クラリスの護衛についてしまう。
横目に見るのは、クラリスの隣にいる時の彼の表情。聖女が気安くアルフォンソの肩を叩くと、花が咲いたように、屈託なく笑うのだ。
じくじくと抉られるように痛む恋心を、グラスを煽って飲み込むしかなかった。

そのうち、アルフォンソ様とクラリスが恋人であるといった噂が流れだしたが、プリマヴェーラはそれが、噂などでは無いと分かっていた。

恋人ではなくても、あの二人は確実に惹かれあっている。意味深に何度も交わされる目配せ、体が触れ合い、すぐに離れる意味。
アルフォンソ様は誠実な性格故、密会というつもりはなかっただろうが、下町に出かける二人の様子が何度か、家臣達より報告されていた。

仕方のない事だわ。結局わたくしでは、彼の力になれなかった。
それに、聖女という肩書きがあるクラリスの方が、爵位だけのプリマヴェーラよりよほど有用的だ。彼はクラリスに大きな恩があるし、王家は彼女を欲しがっている。

穏やかに、共に過ごした10年の月日が胸を焼いていくようだったが、プリマヴェーラは元々、家が傾かないように必死で努力をしてきた性質。すぐに身を引いて、他の道を探さないと。何なら自分から辞退して、王室に恩を打っても良い。そうとすら考えていた。

なのに、なのに……………この有様だ。
狂ったのは、いや、狂っていたのは両親の方だった。何を考えたか聖女を殺そうと策略し、失敗に終わった末責任を全て娘に押し付けた。

お陰で立派な大罪人、プリマヴェーラは魔女扱い。暗い暗い牢獄の中で、地面につけた頬を起こす事もできないまま思案する。

(……………どうすることもできなかった。積み上げた努力は全て、愚かな人間の手により一瞬で崩されてしまった。)

抵抗すらできなかった。あんなやつらに。あんな奴らにわたくしは殺されるのか。

(………砂の城のようだわ。親しい友人達も、家族のように過ごしてきた家臣達も、誰も助けてくれなかった。)

ただプリマヴェーラが屈辱されるのを、遠巻きに静観していた。

(アルフォンソ様も……………)

言葉を発さないどころか、こちらを見ることすら無かった。愛がなくとも、誰よりも多くの時間を共有し、共に育った婚約者としての、情すらなかったのか。
愛する聖女クラリスに手をかけた存在として、穢らわしく、憎らしく映ったのだろうか。

プリマヴェーラは覚えている。
あの優しい目元は、緩められた口元は、そっと耳元に寄せられた唇は、彼にとって何の意味ももたらさない、義務的な物であったのか。

もう考えても分からないだろう。………わかりたくもないわ。

クラリスと親交を深めていれば違う結果になっただろうか。思えば害することは無くても、彼女と会話を試みたことは無かった。
高位の家族から話しかける事がマナー違反だった事もあるが、アルフォンソ様のお母様を治癒し、仲が深まってからはクラリスに劣等感を感じ、会話のうちに嫉妬が滲み出てしまいそうだったので、あえて避けていたのだ。

聖女になってからは、常に殿下達や騎士がいたため、必然的に会話をする機会もなかったが…

(……でも、自分の愛する人の心を奪っていく恋敵に、へらへら媚を売りにいくなんて、それこそ惨めだわ………)

きつく唇を食いしばる。
どれだけ考えたってもう遅いのだ。後悔をしたところで、処刑は免れない。
ああ、もう思考をやめてしまいたい。
全ては伯爵家の為だった。身を粉にして働いてきた。わたくしが処刑された後ものうのうと陛下の庇護の元生きていく「家族」の事を考えると、倫理的に良くない考えで頭が圧迫されてしまう。

カタン、カタン、と牢の奥から歩いてくる音がする。わたくしはその音を、ただ静かに聴いている。
灯りを持って現れたのは、いつもと変わらぬ顔をしたアルフォンソ様。その傍には、連れ添うようにして聖女が立っていた。

「アルフォンソ様………」

もう二度と会えないと思っていた。
彼は何も返さず、こちらをただ見下ろす。

「……………こんな形での最期となり、残念でなりません。」

「…………」

「アルフォンソ様は、今回の事はどこまで知っておられますか?」

「…………」

返事をするつもりはないようだ。視線は外さないまま、話し続ける。

「…まるで砂の城でしたわ。わたくしの人生は。笑ってしまうでしょう。」

「………」

「アルフォンソ様にとって、わたくしは、悪い婚約者でございましたか?」

「…君は立派な婚約者であり、伯爵令嬢だった。」

無感動的な、しかし、しっかりとした口調だった。

「…………はっ……………」

(知っていたのだ。わたくしがやったことではないと。全て知っていながら、それを静観されたんだわ…………!)

何を、無意なことを。この男にとって、わたくしはただの政略的な道具でしかなかったのだろう。さながら乙女のように憐憫に浸っていた自分が恥ずかしくてならない。

一体どんな愚かに、映っているのだろう。

この美しい男は、地面に転がされ、痛ましいほど乱れた姿になったわたくしを見て、ぴくりとも表情を動かさないのに……!

「……執行の時間を言い渡しにきた。何か最後に、家族へ伝える事はあるか?」

「ははっ………は、そうですわね……。」

普通、最期の言葉は処刑される寸前、民衆の前で問われるはずだ。
わたくしは民衆の前で口を開くことすら許されず、殺されてしまうのか。

ぐるぐると思考を巡らせているうちに、痺れを切らしたように聖女が前へ出た。

「聖女様!お下がりください…!」

アルフォンソが焦ったように静止する。貴方、そんな大きな声が出せたのね。
クラリスは静かに首を振って、アルフォンソの腕を押し退ける。

「いいえアル、私どうしても伝えたいことがあるの。……大丈夫よ。ここには結界が貼ってある。だから陛下も、同行を許可されたのでしょう?」

「ですが………」

(アル、ね………)

わたくしには一度も許されたことのないその愛称を、聖女はいつも気安く口にした。
その度にじくりと刺されるような怒りと嫉妬心が、わたくしを苛んでいることを、彼らは知っていただろうか。

「どうか、お願い。」

自分を殺そうとした相手と2人きりになるなんて正気の沙汰ではないが、何度か押し問答をした末、仕方がない様子でアルフォンソ様が半端後ろに下がる。

クラリスはわたくしの前で小さくしゃがみ込み、声を潜めて囁いた。

「プリマヴェーラ様…クラリスです。」

「……………」

「一つだけ聞かせてください。貴方は、私を恨んでいましたか?」

その言葉に、信じられない思いで見つめ返す。

(ああ、どうして過去形なの?クラリス……その質問では、何かを確かめようとしているようじゃない……)

もしか、したら。

「…………いいえ、恨んでは、いなかったわ。」

小さく、しかし目を合わせながら答えると、聖女は一度目を伏せ、決心したようにわたくしの手を握った。

背後でアルフォンソ様が身じろく気配がしたが、顔を近づけてそのまま囁く。

「……わたくしではない。わたくしは、貴女を殺そうと思ったことなど一度もありません。」

「分かりました、貴女を信じます。プリマヴェーラ様は私を殺そうとしていない。……その言葉、聞き届けました。」

クラリスの金色の瞳が、輝いている。
握られた掌から、確かに感じられる暖かさに呆気にとられているうちに、言葉は続いていく。

「光の女神マテリアスの名にかけて、聖女クラリスが貴女を庇護します。大丈夫、このまま終わらせはしない。」

「どうして……」

(どうして、どうして信じてくれるの。他でもない貴女が………!)

思わず泣きそうになり、目の前が滲む。
握った掌から、暖かな光が溢れ出す。まばゆく輝くそれはプリマヴェーラを包み込み、ゆらゆらと炎のように揺れ始めた。

「聖女クラリス、何を___……!」

アルフォンソ様が、何かを叫んでいる。聖女の光がとても暖かくて、心地よい。クラリスの柔らかな声だけが、プリマヴェーラの体に馴染んでいく。

「大丈夫、私を信じて。」

最期、ぱちん、と視界が弾けるようにして、わたくしは意識を落とした。
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