虐げられ未亡人はつがいの魔法使いに愛される

04 手のひら

 
 翌日の昼にはアンリが住むという王都の外れにある屋敷についた。
 二人が通っていた学園の近くなので、すぐに環境には慣れそうだ。
 庭もない小さな屋敷だった。中はシンとしていて他に人はいなかった。

「僕は家を継がずに卒業後からここで一人で住んでいるんだ」

「そうだったのね」

 アンリは確か男爵家の次男か、三男だったか。彼の身分を気にしたことがなかったのであまり覚えていないが上級貴族ではなかった。

「ベルトランの屋敷に比べるとかなり小さいと思うけど」

「これくらいの方が落ち着くわ」

 ベルトランの屋敷は確かに広かったが、どちらにせよ使用人と同じ部屋をあてがわれていたし自分の家という感覚もなかった。
 義父の部屋ほどしかないリビングは、ブラウンで統一された落ち着いた部屋だった。凝った細工のアンティークの調度品が素敵だ。
 壁には大きな本棚がありギッシリと本が並んでいる。近くには本を読むのにちょうどいい一人掛けのソファもあった。

「使用人もいないから、不便かもしれない」

「実家では私もやっていたから大丈夫よ」

 実家は男爵というのは名ばかりで使用人もおらず、学園で寮生活を始めるまではイリスが家事をこなしていた。
 特待生で入学できなければイリスは学校に行くこともできなかっただろう。

「久しぶりに自由だわ……」

 呟くと今の状況の幸福さがじわじわせりあがってくる。ここには義父も義姉も義兄も、採掘場もない。

「確かに君にとってはベルトラン家は窮屈だったかもしれないね。ここでは不便も多いけど自由だけはあるかも」

「ううん、嬉しい」

「ならよかった。じゃあ君の部屋を案内しようか」

 言葉の意味を本当の意味では理解していないアンリは笑顔で返した。


 ・・

 アンリの部屋とイリスの部屋は二階にあった。

 開かれた部屋はデスクとベッドだけのシンプルな部屋だった。
 階下は深いブラウンの家具で揃えられていたが、この部屋の家具は明るい色だ。

「ごめん、どんな人が来るかもわからなかったから最低限の物しかないんだ」

「謝らないで、申請しなかったのはこちらなんだから」

「後で一緒に買いに行こうか。イリスの好きな物で揃えるといいよ」

 キッチンやバスルームを簡単に案内され、二人はリビングに戻った。
 帰路の途中で購入したパンとアンリが淹れてくれた紅茶をダイニングテーブルに並べる。この家で初めての食事だ。

「国への届け出は明日にするから、今日はひとまずゆっくりしよう。長旅疲れたでしょ」

「ありがとう。身体というより驚きの連続で頭がついていってないの」

 正直にイリスは言った。あの日々から脱出して、信頼できるアンリの元に来れたなんてまるで小説のような奇跡だ。

「あ、そうだ。身体!」

 アンリは思いついたように言って、手を出してくれる?と向かい合うイリスに頼んだ。
 言われたままにイリスが両手を出すとアンリは自分の手の上にイリスを手を乗せてじっと見つめた。

「ああやっぱり。昨日は馬車の中で暗くてあまり見えなかったけど細かい傷もたくさんついている」

 手首のロープの痣はアンリのおかげでなくなったが、採掘場で日々働いているイリスの指はボロボロだ。
 二年間蓄積された傷やタコ、火傷の跡もあり、とても女性の手のひらには見えない。
 こびりついた泥は洗っても取れず爪も肌も黒く変色している。

「どんな監禁の仕方をしたらこんなことになるの。まさか採掘場に閉じこめられてた?」

 この汚い手を見られることが恥ずかしくてイリスは手をひっこめようとしたが、アンリの反応は早くしっかりと手を握られてしまった。

「違うの」

 恥ずかしさで思わずイリスはうつむいてしまう。土臭い、みすぼらしい、汚い、醜いといつも笑われていた指だ。

「これは元々ある汚れと傷だから、大丈夫よ」

「元々?」

「鉱脈を探していたり、精錬作業をしているとどうしても汚れて傷もついちゃって。あ、暴力を受けていたわけではないのよ。
 でも……辺境伯家の女性としてありえない汚さでしょう」

 言い訳のように早口で説明する。
 貴族でなくとも、王都にこんな醜い手をした女性はいないだろう。
 顔を上げると真顔のアンリと目があった。

「ごめんなさい、汚くて」

 無言のままのアンリにイリスは謝った。

「謝ることなんて、ない」

 怒ったようにアンリは言って、握っていたイリスの手を開くともう一度自分の手のひらの上に乗せてじっと見つめる。

「本当だ、最近できた傷じゃない」

 口調は明らかに怒気を含んでいるのに、イリスを撫でる手は労わるように優しい。

「君はベルトラン家で幸せな花嫁になったのだと思っていた」

 アンリはうつむいて吐き出すようにつぶやいた。

「ベルトラン家の業績が上がったと聞いて、さすがイリスだと思ったんだ」

 懺悔するような口調でアンリは続けた。

「嫁入りした先で、イリスの能力も生かしながら経営に参加しているのだと思っていた」

「アンリ……」

「君を愛するが故に、仕方なくロープで縛りつけたと思っていた」

「……」

「違うんだね。イリスはいつもそんな風に扱われていたんだね」

 顔を上げたアンリのブルーの瞳は濡れていた。今にも涙がこぼれそうに輝いている。
 美しい宝石のような瞳を見ていると、イリスの心に降り積もった泥のような気持ちが洗われていく気がした。

 今までの自分を、好きになれなかった自分を、ただ静かに受け入れてくれる人がいる。

「でも、これからはアンリといられる」

 そう言った自分の声が掠れている。これ以上喋ると泣いてしまいそうだ。

「うん」

 頷いたアンリはイリスの手をぎゅっと握った。今までのイリスを肯定してくれる熱だった。


 ・・


「どう?沁みない?」

 イリスの足元からアンリの声がする。恥ずかしさをこらえてイリスはうなずいた。
 食事後、本格的に治療を行うと宣言したアンリは薬草をつけた桶などを用意し、イリスを椅子に座らせて、桶にそっと足をいれた。
 足を触られるのはくすぐったくて、恥ずかしい。

「昨日は簡易的な治療しかできなかったからね。古い傷も治せるから」

 イリスの座っている椅子の横に自分が座る椅子も運んでくる。
 足を薬草で癒やしながら、手の傷を治してくれるらしい。

「あ、違うんだ。別にその、僕はイリスの手のひらの傷にマイナスな感情はないから。ただ痛そうな部分もあるから……!」

 恥ずかしくて黙っていたイリスに、傷ついたと勘違いしたのかアンリが慌てて付け加えた。そんなアンリの誠実さにイリスの心はまた洗われる。

「アンリの気持ちは伝わってるよ、ありがとう。治療してくれる……?」

「うん」

 アンリはイリスの前に座り、手を取って魔力を注ぎ始めた。優しい光がイリスの手を包んでいく。


「イリスをここに連れてこれてよかったと思ってる。それは花蜜病に感謝したい」

 少し考えてからアンリは話し始めた。言葉を選ぶようにポツポツと。

「でも、本当に僕と結婚してもいいのかな?」

「え……?」

 イリスがアンリを見ると、彼はじっとイリスの手の光を見つめたままだ。

「イリスは優しいから、フローラのためにアピスとして結婚するだろう。それが義務だから。フローラが死んでしまうから。

 でも、結局それって今までと同じことを僕はさせていないかな」

「どういうこと?」

「嫁だからという理由で君は強制的に働かされてたんだろう」

「うん、それはそうだけど……」

「僕はベルトラン家と同じことをイリスに強要していないかな」

「そんなわけ……!」

「君はそう言うと思った。でも、僕は嫌なんだ」

 アンリは覚悟を決めたようにイリスを見て言った。

「アピスというだけで僕のもとにイリスを縛り付けたくないんだ」
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