振り返って、接吻


俺はほぼ他人のふりをして、短い挨拶だけしてすぐに会社に入った。

冷たい夫とか書かれるのかなと考えたけど、宇田がきちんとフォローしてくれたから平気だった。ていうか、描かれてもいいし。俺の性格を知ってる人からすれば、にこにこと対応するほうが気味が悪いと思う。


でも、社内も社内でかなりハイテンションというか、フィーバーしていた。すれ違う社員ほぼ全員からおめでとうございますと声をかけられたけど、たまにいる瞼を腫らした女子社員には目も合わせてもらえなかった。えええ、俺のこと好きだったの。奇特な奴だな。

絶対零度な副社長のつもりだっただけど、今日はかなりガードが緩かったに違いない。こんなに軽々しく声をかけられるのは、副社長という肩書を背負ってから初めてのことだ。おめでとうございます、という声がもはや馬鹿にされているように聞こえてきた。


少しずつ、自分が婚約したという事実に実感がわいてくる。


俺はこれまで妙に異性から好意を持たれてきたけど、これからはそんな機会もなくなるのかななんてだいぶ自惚れたことを考えた。とりあえず、茅根との熱愛疑惑は無くなりそうで安心できる。

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