神殺しのクロノスタシスⅤ〜後編〜
例えそこが本当の現実じゃないのだとしても。

ここに居て、それで皆が幸せに生きられるなら。

偽物の現実だろうと、今ここにある世界は、紛れもなく彼らにとって真実なのだ。

「僕も…帰りたくないな。帰ったら…家族と仲違いすることになるんでしょ?」

「…エリュティア…」

「しかも、アーリヤット皇国と戦争寸前まで行って…。平和の欠片もない現実に、帰りたくないよ」

…この世界では、他国との戦争に頭を悩まされるなんて有り得ないことだもんな。
 
「俺も嫌だね。家族仲がどうとかだけじゃなくて…今より悪くなるって分かってて、帰りたがるアホはいないだろ」

「まぁ、そうですね。折角当たった一等の当たりくじを、自分の手で破くなんて馬鹿らしいです」

キュレムとルイーシュが言った。

一等の…当たりくじ、か。

確かに、誰にとっても幸福なこの世界は、一等の当たりくじに等しいな。
 
それを自分の手で破る馬鹿はいない。

ルイーシュの言う通りだ。 

「…帰ったら、俺は雪刃と憎み合う関係にならなきゃいけないんだよな」

吐月が、ポツリと呟いた。

「さっき羽久から聞いたような…酷いことを、この雪刃がするとは思えない。彼女のそんな恐ろしい姿を…俺は見たくないよ」
 
「…吐月…」
 
元の現実では酷い目に遭わされたけど、この世界では仲良くやっている。

今の雪刃は吐月にとって、大切な親友であって、相棒なのだ。

誰が望んで、親友を憎みたいと思うだろうか。

「ねぇ。さっきから聞いてたんだけど…。元の世界に戻っても、私は無闇君と一緒にいるの?」

『死火』に宿る月読が、ふわりと顕現して俺に尋ねた。

「そうだな。月読は…無闇と一緒にいるよ。無闇は『死火』の守り人だから」

「ふーん、守り人ね…。何だか大袈裟な言葉だなぁ」

元の世界では、月読は『死火』を利用しようとする輩に追われていたからな。

「その世界はその世界で、また面白そうではあるけど…。変な奴らに追われるのは嫌だし、やっぱり帰りたくはないな。…ねぇ、無闇君」

「あぁ。自ら厄介事に首を突っ込むのは御免だ」

月読に促され、無闇もそう答えた。

…当然だよな。

今当たり前のように享受している自由と幸福を、みすみす手放したくはないだろう。

それが偽物の世界なのだとしても。

「…元の世界だと僕と『八千歳』は、異国の暗殺組織に拾われて、暗殺者に仕立て上げられるんだよね?」

「それだけじゃなくてさー…。その世界じゃ『玉響』も死んでるんだよね」

令月とすぐりが聞いた。

「…あぁ、そうだよ」

それが、俺の知る令月とすぐりの本当の現実だ。

「…真偽の程はさておき、そんな世界は嫌だね。単純に嫌だよ」

「だよねー。戻りたくないよ、当たり前だけど」

「…そうだな…」  

『玉響』のこと、特にすぐりは…今もずっと責任を感じて、引き摺っていた。

あんな思いをさせずに済むなら、この世界にいる方がずっと良いのかもしれない。
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