「とりあえず俺に愛されとけば?」





「もう、あの男はいないわけだし、泣いたら?」

「……え、」




ぎゅっと、さらに強く抱きしめられて佐倉さんの胸に顔を埋める。佐倉さんの心臓の音と、私の背中を叩くリズムが一緒で、佐倉さんに全てを支配されたみたいだ。


なにを言っているんだろうか。あの男って、森坂店長のこと?


先ほどまで一緒にいた森坂店長の笑顔が浮かんだ。それと同時にキリキリと胸が痛む。佐倉さんの腕の中で、森坂店長を思い出しているこの状況がなんとも苦痛で。


でも、本当に、それだけ?




「いい加減、気付けよ」

「……なにを、ですか」

「バカだな」

「……本当に、失礼……です」

「俺が泣きそうなんじゃなくて、

「……」

「なずなお前が泣くの我慢してんだろ?」




鼓動が速くなる。森坂店長の先ほどまでの笑顔が鮮明にこびりついて離れない。

嬉しそうだった。楽しそうだった。でもそのどれもが、私に向けられているものではないと分かっていた。


見えないようにしていた核心を突かれて、喉の奥がカァッと熱くなる。




「……なんで、」

「俺は、お前が泣きそうにあいつの前で笑うから、」

「……なん、で、」

「思わずつられた」




優しく降ってきた言葉。なんだそれ。いま、この状況でそんなこと言うのは、ずるいじゃんか。ずるいなぁ。佐倉さんは策士だ。


喉から、ツンっと鼻に痛みが走る。嫌だ、嫌だ、嫌だ。眉根に力を入れて目からこぼれそうになっているものを堪える。だってどうしたって嫌だ。




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