源次物語〜未来を生きる君へ〜

第31話〈忍び寄る恐怖〉

 2月16日……その日は朝から嫌な予感がしていた。
 たまたまラジオがついていたが、突然の放送に僕は言葉を失った。

「茨城県警戒警報、茨城県警戒警報発令……空母より多数の敵機襲来、房総半島に侵入し攻撃報告多数あり……敵は関東全域の軍用基地に向かっている模様……間もなく茨城に来るものと思われます」

「え? 今、茨城って……ここに来るんか?」

「総員集まれ! 敵機襲来に備える!」

 僕達は隊員総出で、軍用機を敵の空襲から守るために造られた格納庫である「掩体壕(えんたいごう)」に移す手伝いをさせられていたが……

ウゥゥーーーーウゥゥ
ウゥゥーーーーウゥゥ

「大変じゃ……音が短いから空襲警報じゃ」

「急いで逃げよう!」

ババババッ、ババババババババッ

 僕達は急いで掩体壕の奥に隠れたが、グラマン戦闘機による攻撃は想像していたよりも遥かにすごい衝撃で……
 機銃掃射や爆撃が終わるのを只ひたすら声をひそめて待つしかなかった。

 1944年2月16日の空襲……それは「ジャンボリー作戦」と呼ばれた、空母から発進した艦上機……陸上用爆撃機による初の本土空襲だった。

 その航空攻撃作戦の目的は、間もなく上陸予定の硫黄島(いおうとう)の戦いの援護及び日本軍航空戦力の減殺……
 標的は関東の日本軍航空基地及び航空機工場で、各所が相当の被害を受け……迎撃戦闘に出動した練度の高いパイロットの多くが戦死した。
 百里原飛行場もグラマン戦闘機の攻撃で爆撃され、隊舎が炎上し焼失してしまった。

 1942年4月に僕達が遭遇したドーリットル空襲以来の、2年10ヶ月ぶりの米軍空母による日本本土空襲で……
 もし簡素な防空壕に逃げ込んでいたら死んでいただろうと思うと僕は震えが止まらなかった。

 2月19日には米軍が硫黄島に上陸……
 硫黄島の飛行場を占領して日本本土爆撃を進めたい米軍と、1日でも長く死守して本土侵攻を阻止したい日本軍が激突した「硫黄島の戦い」は、2月19日から3月26日までの36日間の壮絶な地上戦になった。

 日本軍守備隊の最高指揮官である陸軍中将は、米軍の上陸に備えて地下壕を網の目のように張り巡らせて全島を要塞化し、待ち伏せのゲリラ戦、持久戦に持ち込む戦略をとった。

 中将はその人柄から部下の信頼も厚く、自分宛に送られた貴重な食糧の全てを部下に分け与えたり、玉砕覚悟のバンザイ突撃を禁止するなど人命を大切にする指揮官で統率力もあり……米軍は中将率いる日本軍の決死の抵抗に苦戦した。

 ただ硫黄島は至るところで硫黄ガスや最高50℃の地熱が噴き出る劣悪な環境で……
 地下水も飲むことができず、雨水を貯める貯水槽が必須だったが空爆により貯水槽の多くが破壊され……兵たちは硫黄の混じった有害な水を飲まざるを得ないため、赤痢などによる病死者が増えてしまった。

 米軍は火炎放射戦車など圧倒的な火力を投入して制圧……死者や負傷者で埋め尽くされた地下壕では壮絶な持久戦になった。
 必死の抵抗を続ける日本軍は300名余りが最後の攻撃を仕掛けるが玉砕……中将を含め多くの者が自決したが、本土への大規模な空襲を一日でも長く防ぐために、命をかけて防衛の盾となって下さった。
 結局、硫黄島の日本軍守備隊のうち2万人以上が戦死し、生還者は約1000人だけだったという……

 一方海軍では硫黄島攻防戦に備えて香取飛行場に移動した第六〇一海軍航空隊、通称「六〇一空」が神風特別攻撃隊「第二御盾隊」を編成して硫黄島方面に出撃……2月21日に特攻機が護衛空母を撃沈、空母を撃破していた。

 その後、海軍は2月末に全軍をあげて特攻隊編成に転換し、練習・教育航空隊は全廃……その教官・教員は任務を解かれると同時に特攻出撃命令を受けた。

 3月に入り百里原飛行場に進出した六〇一空は、再建作業に着手……防空主体の編制に変更するなどで人員が増えたので、僕達は休暇がもらえて純子ちゃんの卒業式に出られることになった。

 そして迎えた3月9日……

「純子〜約束通り帰ってきたで〜」

「明日は卒業おめで……え、純子ちゃん? 髪が……」

 いつもキレイに編み込まれて肩に垂れていた純子ちゃんの三つ編みはなくなり……髪がショートボブ位の短さになっていた。

「おかえりなさい、約束守ってくれて嬉しい……でも……驚いたでしょ?」

「その髪……どうしたの?」

「2週間位前に神田地区に酷い空襲があって……うちは大丈夫だったんだけど、出先で防具頭巾から出ていた髪に火が燃え移ってしまって……」

「えっ大丈夫? 火傷しなかった?」

「大丈夫、すぐに叩いて消えたから……でも長い髪は危ないから切りなさいって、こんなに短くなったのは初めてで……やっぱり変でしょう?」

「変じゃないよ! 短いのもカワイイよ、なあヒロ?」

「ほんまやで、よう似合うてる」

「光ちゃんごめんなさい……カンザシ、卒業式の日につけるの楽しみにしてたのに……させなくなっちゃった……」

「そんなん気にせんでええ! それより無事でほんまによかったわ」

 1945年2月25日の空襲では、172機のB29が東京下町の市街地に大量の焼夷弾を投下……空襲の被害は甚大で、早朝からの積雪で消火活動は困難を極めたそうだ。
 特に神田区の被害は大きく、家屋約1万戸が被災し195人が亡くなってしまった。

「ほんと、この間の大晦日の日にも空襲があったけど被害が少なかったから油断してたわ……」

「えっ? 大晦日にも!? なんで言ってくれなかったの?」

「せっかくの年明けでめでたい時やし、言わへん方がええと思うてんなぁ? 本郷の方が危なかったんやけど、お前んとこのアパート無事でほんまによかったわ」

 あの時掃除しに行くと言ってくれたのにはそんな理由もあったのか……と思うと同時に、大変な後にあのご馳走を用意してくれたのかと思うと感謝の気持ちでいっぱいになった。

「明日は卒業式の後にすぐ戻らんといけんから今日は前祝いじゃ! ホレこれ……純子のためにとっておいた軍粮精、もろたの全部お前にやるわ」

「光ちゃん、ありがとう!」

「ずる〜い! 僕も、僕も〜」

「浩くんも帰ってきてたんだね! じゃあ浩くんの分の軍粮精は僕があげるよ」

「わ〜い、源兄ちゃんありがとう〜キャラメルなんて久し振りだよ」

 奥から出てきた静子おばさんは「二人とも久し振り、色々ありがとね」と微笑んでいた。

 2月25日の空襲は、当初の作戦では中島飛行機を目標にしていたが爆撃できないことがわかり、第一目標を東京下町の市街地に切り替えて爆弾を焼夷弾に積み替えて空襲していた。
 その目標地域が最も燃えやすい住宅密集地であり、これから起こる下町大空襲に対する焼夷弾爆撃の実験的な空襲でもあったことに、僕達は全く気付いていなかった。
< 31 / 50 >

この作品をシェア

pagetop