源次物語〜未来を生きる君へ〜

第36話〈新しい空へ〉

 僕達は埼玉の実家に移る前に焼け残った神田明神に行き、最後のお参りをした。

「みんな何てお願いしたの?」

「俺は秘密や」

「私はね、みんなでお守り持ってまたココに来れますようにって……お揃いのウサギの人形、ちゃんと持ってる?」

 僕達が隊服のポケットからウサギの人形を出すと、純子ちゃんもモンペのポケットから取り出して……3羽揃ったウサギを見つめて嬉しそうに笑った。

「ずるい〜僕のお守りは〜?」

 すると純子ちゃんは位牌の中から浩一おじさんが託した軍帽の星を取り出して……

「浩ちゃんにはコレがあるでしょ? あと、お母ちゃんの服は防空頭巾の中に縫い付けておいたから、これでお母ちゃんともいつでも一緒よ?」

 浩くんは「わ〜い、わ〜い」と飛び上がって喜んでいた。
 それからみんなで缶の中の軍粮精を分けて舐めた。
 少し焦げていたが砂糖が溶けた香ばしい匂いがして……それは今まで食べたどんなものよりも美味しかった。

「姉ちゃん、なんか歌ってよ〜」

「じゃあ『椰子の実』は? 私、好きなんだ〜どんなに遠くにいても心が繋がっている気がして……せ〜のっ」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を離れて
(なれ)はそも波に幾月(いくつき)

(もと)()は ()いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)浮寝(うきね)の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
(あらた)なり 流離(りゅうり)(うれい)
海の日の 沈むを見れば
(たぎ)り落つ 異郷の涙
 
思いやる八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 純子ちゃんの歌声は澄み渡る空に溶けて、浩一おじさんと静子おばさんがいる天国まで届いているような気がした。

 地元の最寄りの駅に着くと……純子ちゃんが「氏神様にご挨拶に行きたいから、初詣に行ってる場所に連れて行って」というので寄り道をした。

「浩くんも知ってる先生のうちと僕のうちが毎年待ち合わせしてお参りをしてたから隣町のお寺なんだけど……」

「わ〜素敵な所……源次さんは何をお願いするの?」

「僕は大和に乗ってる父さんが無事に帰ってきますように〜っかな」

「僕はね〜友達が沢山できますように〜っ」

「私はね〜……ちょっと待って……このお寺、成田山シン……ゴ……ジ……?」

「そうだけど、どうしたの?」

「なんでもないわ……行きましょう」

「急にどないしたんや、俺はまだ……」

 純子ちゃんの様子に違和感を抱きつつも、僕達は家に向かった。

「いらっしゃい、みんな待ってたわよ〜二人のケガが治るまでとは言わず、みんないつまでも、いつまでもいてくれていいんだからね?」

 母さんは温かい笑顔で出迎えてくれた。
 きっと関東大震災の時もこんな感じだったのだろう。

 僕達は久し振りにお風呂に入り、母さんの用意してくれた温かいものを食べ、男女別々の部屋で温かい布団で寝て、幸せを噛み締めた。

 翌朝、ヒロに変な事を言われた。

「源次の部屋に、使わないノートあったりせえへん?」

 ノートを渡した時に何に使うか聞いてみたが……「秘密じゃ」と教えてくれなかった。

 浩くんは4月から僕が昔、通っていた小学校に通うことになった。
 僕達の火傷が回復するのと比例するように、純子ちゃん達も元気を取り戻していった。
 純子ちゃんはお風呂に入ると、いつも色んな童謡を歌っていて……本当に歌が好きなんだなと思った。
 そんなある日、庭にいた僕は偶然、部屋にいたヒロと純子ちゃん達の会話を盗み聞きしてしまった。

「ほんまに風呂まで入れさしてもろて、ありがたいのう……思い出したけど初めて風呂に入る前のお前……頭くさいし真っ黒でヤマンバみたいやったわ」

「アハハハハハもう光ちゃんてば、やだ〜ひどいわ、でも本当に何もかもありがたい……それに、こんなに笑ったのは久し振り」

「ほんまやな、久し振りにお前の笑顔見たけど……やっぱりキレイや」

「やめてよ……からかわないで?」

「そうやって笑っててくれ……その笑顔のためなら、俺はいくらだって頑張れる……お前らが幸せに生きられる世の中になるんなら……命をかける甲斐があるわ」

「……光ちゃん、お願い……百里原にはもう行かないで」

「そないなわけには、いかへんやろ……無断脱走は銃殺刑や……源次に言うといてくれ、『あいつは火傷が悪化した〜』とか俺が上官にうまい事言うとくから治っても戻ってくるなって」

「もし行ったとしても必ず帰ってきて! 帰ってくるって約束してくれないなら……『行ってらっしゃい』は言えないわ……」

 あっという間に3月末になり、先に火傷が回復したヒロが百里原に戻る日になった。

「いや〜幸せな時間はあっという間に過ぎるっちゅうんわ、ほんまやったわ〜えろう世話になって、源次ほんまおおきにな! それから純子、俺が必ず静子おばさんの敵とったるからな!」

「そんなの……いいよ……」

「こちらこそ色々手伝ってもらってありがとね……僕も後から行くから、また向こうでな」

「弘兄ちゃん、行かないで……」

「浩も元気でな……あと純子、コレ……なんと、初めて書いたラブレターや〜誕生日まで絶対、開けるんやないで~ほな、行ってくる!」

「…………」

 ヒロの乗った電車は出発しようとしていた。

「純子ちゃん? 純子ちゃん! ヒロに何も言わなくていいの?」

ガタンガタンガタンガタン……

 ヒロが完全に去ってしまった後に振り返ると、純子ちゃんはポロポロ泣いていた。

「どうしよう源次さん……光ちゃんに何も言えなかった……本当は言いたい事、沢山あったのに……もっと行かないでって言えばよかったのに……全然伝えられなかった……」

「大丈夫! 僕が合流したら上手い事やって、絶対あいつを連れて帰ってくるから!」

 やっぱり純子ちゃんはヒロの事が好きなのだろう……冗談で誤魔化していたがヒロの手紙には多分プロポーズの言葉が書いてあるのでは……
 こんな両思いの二人を戦争のせいで引き離してはいけない、と強く思った。

「ありがとう……私、源次さんといるとなんか安心する……なんていうかこう、心の中があったかくなるの……私きっと…………ううん、何でもない」

 浩くんとお風呂に入っている時、ヒロが先に行った寂しさと自分の不甲斐なさに落ち込み「こんな僕だけ残ってごめんね」と溜息をついた。

「源兄ちゃんてさ、本当にニブイよな……あと兄ちゃん達ってさ、お揃い多いよね? お揃いのペン、お揃いのウサギ、お揃いのマフラー、それから背中も……」

「背中?」

「弘兄ちゃんは右に火傷の跡があって、源兄ちゃんは左に火傷の跡がある……僕にはそれが翼に見えるよ? どんなピンチも助けてくれるヒーローの翼……二人合わせると大きな翼になるでしょ? だから僕にとっては、二人ともヒーローだよ?」

 僕は浩くんの言葉に感動して……お風呂の中で少し泣いた。

 4月1日になり、小学校に通い始めた浩くんは……

「源兄ちゃんありがとう! 源兄ちゃんに貰った誕生日祝いの長門のメンコのおかげで沢山友達ができたんだ! 女の子の友達もできたよ? 安子(やすこ)ちゃんていうの!」

 4月2日にはもう、友達と約束をしているからと学校に遊びに行った。
 夕方、純子ちゃんと一緒に迎えに行くと……

「今日ね、安子ちゃんと約束したんだ! 校庭の桜、寒いからまだ咲いてないけど咲いたらお花見しようねって」

「よかったね! 楽しみだね〜」

「姉ちゃ〜ん、『夕焼け小焼け』歌って〜姉ちゃんの歌、聞きたいんだ」

「も〜しょうがないな〜」

 僕達は純子ちゃんの『夕焼け小焼け』を聞きながら、浩くんを真ん中に三人で手を繋いで家に帰った。
 三人で見上げた夕日は、今まで見た中で一番キレイで……本当に……本当にキレイな夕焼けだった。

 その日の夜、浩くんが布団に入りながら言った。

「今日も寒いね……桜の木、大丈夫かな〜古い木みたいだけど枯れちゃわないかな」

「そっか〜あの桜、まだ残ってるのか〜懐かしいな……枯れないで早く咲くようにって昔、布を巻いたな〜」

「布を巻くと枯れないの? じゃあ、巻きに行こうよ!」

「今日はもう遅いから、明日学校が始まる前にな……おやすみ」

 4月3日の早朝、浩くんと出掛けようとしたら純子ちゃんも起きたので三人で小学校に行った。

「よし! これで大丈夫!」

「やった〜これで桜が咲くね! わ〜い、わ〜い!」

 校庭の向こうで純子ちゃんと嬉しそうに跳ね回る浩くん……
 その時だった。

ブーーーーーーーーン

「なんだろ? こんな朝早く……」

「この音は……姉ちゃん、危ない!!」

ヒューーーードゥオーーーン

 校庭に爆弾が落とされ、すり鉢状の5メートル位の穴が開いていた……
 こんな田舎に爆弾が落ちるなんて夢にも思わなかった。

「純子ちゃんは? 無事か……浩くん、大丈…………両足が……ない……」

 純子ちゃんを庇った浩くんは、足に爆撃を受けて両下肢がなく……太ももから大量に出血していたが、幸い意識はあるようで、急いでカバンの中の紫のマフラーで止血した。

「線路の向こうに陸軍病院があるんだ! 急いで行こう!」

 僕は浩くんを背負って純子ちゃんと一緒に走った。

「浩くん……浩くん? 大丈夫だからな! 絶対助かるから!」

「相変わらず源兄ちゃん……嘘が……下手だなあ……僕の足……もう、ないんでしょ? ケンケンパ、もう……できないね……そういえば昔……一緒にやったよね……」

「喋ると余計に出血するぞ!」

「源兄ちゃんの背中……お父ちゃんに似てるや……まるでお父ちゃんに……おんぶしてもらってるみたいだ……」

 腰に生暖かい液体の感触が広がっていく……

「お母ちゃんを……守れなかったからさ……せめて姉ちゃんだけは……絶対守るって決めてたから……これでいいんだ」

「もうすぐ……もうすぐ病院に着くから!」

「源………兄ちゃん?」

「何?」

「お姉……ちゃんを……お願い……ね?」

 その途端、ずっしりと浩くんの身体の重さが背中にのしかかった。
 その後、病院に着いてすぐ診てもらったが……

「先生、浩ちゃんを助けて下さい! 輸血が必要なら私の血、全部あげます! 浩ちゃんが助かるなら何でもします!!」

「残念だが……この子は、もう……手遅れだ」

「そんな……」

 その時、奇跡的に浩くんは意識を取り戻した。

「お姉ちゃん……どこ? お姉ちゃん……」

「浩ちゃん? お姉ちゃん、ここにいるよ?」

 純子ちゃんは浩くんの手を握った。

「お姉ちゃんに……星のお守りあげる……僕はもう……大丈夫だから」

「お守りはいいから、何もいらないから、お願いだから死なないで! 姉ちゃんを一人にしないで!」

 純子ちゃんは浩くんに抱きついて号泣していた。

「大、丈、夫……これからもずっと……一緒……だよ?……」

 その時、純子ちゃんの頭を撫でていた浩くんの手がパタリと落ちた。

「浩ーーー!!! 嫌よ……いやぁああ!!!」

 僕は涙が止まらなかった。

 純子ちゃんは過呼吸状態になり……
 人は想定できない程つらい事が起きた時、息が出来なくなるのだと初めて知った。
 僕は純子ちゃんの名前を呼びながら、少しでも落ち着かせるために強く抱き締めることしかできなくて……
 抱き締めた純子ちゃんの身体は、折れそうな位……細くて弱々しかった。

 落ち着いた頃、病院では火葬ができないと言われ……取り敢えずお寺に浩くんの遺体を運ぶ事になった。
 朦朧としながらお寺に着いた頃……あの嫌な音が聞こえた。

ゴォォォォォォォォォォ
シャーーーシャーーー
ヒューーーードゥオーーーン

 爆弾が30発以上も落ちてきて、隣町は地獄絵図になった。

 僕達はお寺にあるお堂に隠れたが……
 昨日までは何の変哲もない日常や笑顔に溢れていた町が、炎の中に消えていく様をただ呆然と見ていることしかできなかった。

 見慣れた町が、見慣れた景色が一瞬で破壊されていく。
 家族や恋人や友人、大切な人が……
 ただ毎日を一生懸命に慎ましく生活し、昨日まで笑っていた人達が……
 一瞬で火の海に飲まれていった。
 
 僕はショックで動けなかった。
 その時、お堂を飛び出した純子ちゃんが焼夷弾の雨が降る空に向かって叫んだ。

「もうやめて! もう誰も殺さないで!」

「純子ちゃん、敵機に見つかる……隠れて」

「この子が何をしたって言うんですか? あなた達に恨まれなきゃいけないことをしましたか? 親を失くして本当はつらくて堪らなかったはずなのに……それでも笑顔で小さな楽しみ見つけて一生懸命に生きていた……ただそれだけなのに、なぜ殺されなきゃいけないんでしょうか?」

「純子ちゃん……危ないよ?……」

「返して下さい……この子の笑顔を返して下さい! ねえ、返してよ!!」

 その時、集団の中の一機が戻ってきて残っていた爆弾をお寺の近くに落とした。

「純子ちゃん危ない!!」

ヒューーーードゥオーーーン

「キャーーー!!!」

 僕は必死に引き寄せようと左手を引いたが……結局、純子ちゃんは右目上と右前腕に大ケガをして病院に入院することになった。

「何が安全な場所だよ……こんな所に連れてきてごめん……せっかく浩くんが守ってくれたのに……守れなくて…………本当にごめん」

「私がもっと早く気付けばよかったの……浩ちゃんは音で気付いてた……戦闘機が米軍か友軍かを聞き分ける『爆音聴音』……女学校の音楽の授業でも習ってたはずなのに、全然真面目に聞いてなかった……だから私のせい」

 包帯を巻いた純子ちゃんの姿は痛々しかった。

「君のせいじゃないよ……」

「いいえ、私のせいよ……『音楽なんだから音を楽しまなきゃ』なんて言って、友達とのん気に童謡なんか歌って……浩ちゃんごめん……馬鹿なお姉ちゃんで……本当にごめん……」

 それからと言うもの、純子ちゃんは歌を歌わなくなってしまった。
 まるで浩くんがいないのなら歌っても、しょうがないというように……
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