源次物語〜未来を生きる君へ〜

第42話〈最後の特攻隊〉

 僕は医務室に運ばれ、しばらくして気が付いたが……
 出撃前の別盃式には「邪魔をするかもしれないから」と看護員に見張られて参加させてもらえなかった。
 篠田の強烈な右パンチをくらった左目の上は腫れ、手当てと眼帯をされながら旅立ちの準備を遠くから右目で見ている事しかできなかった。
 しかし午前10時半頃、ヒロが「彗星」に乗り込む前……何とかして見張りの手を欺いて僕は走り出した。

 走りながら見送りの人達が見えたが、その中に平井くんは見当たらなかった……どうやら手紙は届かなかったようだ。
 そして僕は、ヒロが「彗星」に乗り込むギリギリの時間に間に合った。

「ヒロー! やっぱり僕が代わる! 若しくは後ろの席に乗って行く〜」

「アホう〜操縦が偵察の代わりに乗れるわけないやろ〜大体そんな目じゃ飛べへんやろが……ホレ……ごめんな源次……お詫びにコレ、お前にやるわ……」

 ヒロは自分がつけていた紫のマフラーを僕に巻いてくれた。

「あと…………やっぱりコレは純子に返しといてくれ…………写真とウサギの人形……一緒に連れてくのは、なんやかわいそうで……もし打ち所が悪かったら可愛らしいウサギが真っ赤に染まってしまうかもしれんしな」

「だから僕が代わりに!」

「それは絶対にアカン言うたやろ! でも最後にお前に会えてよかったわ〜渡したかったもんも渡せたし……まあ、すでに手垢で汚れてもうてるけど、純子に似てるこいつには真っ白なまんまでいて欲しいんや……だからこれは返して?」

 ヒロがポケットの中から出した写真とウサギの人形を渡そうとしてきた時、僕を見る真剣な眼差しや今まで見たことない表情から強い意志と決意が伝わってきて……それ以上何も言えなくなった。
 僕は受け取った写真とウサギの人形を飛行服のポケットに大切にしまい、ヒロに最後の敬礼をした。
 そしてヒロが乗り込む前に、僕達は「これが最後の抱擁だ」と固く強く抱き締め合った。

「今日は一段とキレイな空じゃのう……どこまでも純粋で……純子みたいに透き通った、キレイな空じゃ……」 

 空を見上げるヒロの横顔は今まで見た中で一番カッコよかった。
 本当に空を飛ぶのが好きなんだと思った。

「篠田少尉、時間です!」 

「おうよ! ほな、ちょっくら行ってくる!」

 後ろの偵察員の声に僕は邪魔にならない位置まで後ずさり、手と帽を振ることしかできなかった。
 ヒロはこっちを見て頷いた後にエンジンをかけ、ゆっくり滑走路を進んだ。

 その時だった……

「源次さ〜ん」

 忘れもしない純子ちゃんの声……
 基地に来るはずのない純子ちゃんが走ってきた。

「純子ちゃん!? なんで?」

「源次さんがいよいよ出撃するって光ちゃんの手紙に書いてあったから、居ても立ってもいられなくて……」

「ヒロが!?」

 息を弾ませ、一心不乱な状態で駆け寄ってきた。

「純子ちゃんごめん! 本当は僕が行くはずだったんだけど、ヒロに目を殴られて出れなくなって……あいつが行くことになって、あの飛行機に乗ってるんだ! でも腫れも引いてきたし今なら交代が間に合うかもしれない……急ごう!」

「そ、んな……光ちゃんが? 交代ってどういうこと?」

「伝えたいことがあったんだろ! 駅で何も言えなかったんだろ! 早くしないと間に合わない! いいから行くぞ!」

 僕は純子ちゃんの手を引いて、全速力で滑走路を走った。
 一番最後に飛び立つ順番だったヒロは、飛び立つために加速の準備を始めている……

「ヒローーー待ってくれーーー! 純子ちゃんが、来てくれたんだーーー!!」

 離陸する前の助走のスピードが段々早くなっていく……
 僕は眼帯に視界が遮られて転んでしまった。

「クソッ何でこんな時に……」

 間に合わないかと思ったその時……滑走路に純子ちゃんの大声が響き渡った。

「光ちゃーーん! 大好きだよーーー!! 私もずっと……ずーっと! 大好きだよーーー!!!」

 透き通ったいつもの声とは違う、魂の叫びだった。

「お願いだ……届いてくれ……ヒロ!!」

 スピードが上がり伝わらずに飛び立ってしまったかと思ったその時……
 操縦席からヒロの左腕が伸びて、ハンドサインが見えた。

 力強くピースしたそのサインは、最後の最後まで、あいつらしかった。
 そのピースの先に五人で作った「希望の星」が見えて……僕は涙が止まらなかった。

 純子ちゃんの最後の想いは伝わったが……僕は最愛の二人を引き離してしまった罪悪感でいっぱいだった。

「ごめん純子ちゃん、約束守れなくて……本当は僕が行くはずだったのに何もできなかった……死ぬべきは僕だったのに……」
バチンッ
 全部言い終わる前に純子ちゃんにビンタされた。

「そんな事言わないで! 私は光ちゃんに生きてて欲しかった! でも源次さんが生きててくれて嬉しい! お願いだから死ぬなんて絶対言わないで!!」

 僕達は滑走路の上で抱き締め合った。
 僕はウサギの人形を純子ちゃんに渡せなかった。
 せめてウサギの人形だけでも一緒に旅立ったと思っている純子ちゃんに返すのは酷な気がしたから……

 正午の玉音放送は、雑音が多くてよく聞き取れなかったが……
 戦争が終わったことは理解でき、僕は絶望して人目も憚らず号泣した。

 「あと数時間早かったら、ヒロが飛び立つことはなかったのに」と思うと……
 本当に悔しくて悔しくて堪らなかった。

 『篠田弘光』……あいつは日本で最後の特攻隊員になった。

 軍の命令によるものとは別に、大分海軍から玉音放送後に「先に逝った仲間との約束だから」と飛び立った隊もいたが……

 命令を受けて出撃した特攻隊の中で、最初の特攻と最後の特攻に両方とも高知出身の若者がいたこと……
 実はそのうちの二人は親族だったということを知っている者は少ないだろう……
 
 紫のマフラー、それは端を結ぶと駅伝のタスキのようだった。
 あいつから受け取った紫のタスキは、何としても次へ繋がなければと強く思った。

 探していたお揃いのペンは、ヒロのカバンの一番奥に隠されていて……
 その下には「源次へ」と書かれた手紙が入っていた。

「もしかしてヒロ……純子ちゃんにも手紙を書いてたのは、本当は最後に会いたかったからなんじゃないのかな……」

「いいえ、一番の理由は多分違うわ…………きっと源次さんを一人にしたくなかったのよ……光ちゃん源次さんのこと大好きだから……これ見て?」

 純子ちゃんの手に握られていたのは、以前駅でラブレターと言いながら渡していた手紙だった。

「開けるの誕生日って言われてたのに……」

「先月の七夕の日に読んじゃった……7月7日はね……光ちゃんが初めてうちに来た日なの…………私達が一緒に暮らす始まりの日で、ある意味誕生日だし、いいかなと思って……」

 僕達は背中合わせになって、ヒロからの手紙を読んだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〈源次へ〉

最初の日にも嘘ついとったが、最後の日にまで嘘ついてごめんな。

俺は本当は、お前が絵が上手いことも、お前の誕生日が11月15日だってことも、問題用紙の落書きや受験票の生年月日を見て知ってたんや。

ちなみに「彗星」は1940年11月に完成して11月15日に初飛行に成功したそうや……
尊敬する坂本龍馬と、俺にとって一番の親友のお前と同じ誕生日の機体で飛べるなんて、こんなに幸せなことはない。

だからこれは俺の選んだ道で、
俺の願いだから、
お前達が気に病む必要はない。

お前は、俺の願いを叶えてくれた。

昔、小さい時に流れ星に願ったんや。
母ちゃんを返して下さい……
流された父ちゃんが見つかりますように……
一生の友達ができますようにって……

お前が俺の一生の友達……運命の親友やった。

それぞれの道を進んだ先で出会うって、ごっつすごい事なんやで?
お前には本当に感謝してる。

源次……お前はいつだって自分の事より誰かを思って行動できる、凄い奴やった。
お前みたいな奴が沢山おったら、戦争なんか起きてへんかもな〜って何度も思った。
お前はいつも自分に自信がないような事言うとるけど……お前みたいな奴こそ、これからの時代に必要なんやで?

せやからな源次……
お前には生きていて欲しいんだ。
俺は、お前達に幸せになって欲しいんだ。

だからこれは、俺からの最後のお願いだ。
絶対に生きて帰れ!
そんで早う結婚しろ!

純子のこと頼んだぞ。
あいつはお前が好きなんだ。
お前じゃなきゃ駄目なんだ。

俺は明日を信じてる。
お前達が幸せになって、
この世界の誰もが平等で、
笑って暮らせる未来が必ずくる!
お前達が、そう変えてくれることを信じて……
俺は行きます。

追伸
坂本と島田にもろた、一緒に撮った写真を同封します。
俺と源次は、どこまで行っても親友や!
100年後の天国で待っとるで!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〈純子へ〉

ずっと素直になれなくて、ごめんな。
お前が作ってくれた料理、あんま褒めたことないけど……本当は全部、美味しかった。
里芋の煮物なんか母ちゃんが昔作ってくれた味に似てて、涙が出る程うまかった。
源次みたいに素直に褒められなくて、すまん。

俺は、お前達に出会えてラッキーだ。
親を亡くして悲しくて寂しかったけど、その先で純子たちと一緒に暮らせて、めっちゃ幸せやった。

本当はお前を、源次に取られたくなかった。
でも源次と一緒にいる時のお前が一番、幸せそうで好きやった。
お前らウブ過ぎて、見てるこっちが恥ずかしゅうなるわ。

源次のこと頼むな……
最後まで世話かけてすまんのう。
俺はお前のこと、大好きだった!
お前らのことが、ずっとずっと大好きだ!

出撃前に辞世の句を読むらしいから、俺も作ってみたわ。
これでも立教の文学部やからな!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
澄み渡る 空に願いし

幸せを その(みなもと)

永遠(とわ)に 護らむ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あ〜から始まる大切な言葉は、源次のために取っておけ。
あと、お前ら早う結婚しろ!
俺は空が好きだから、もし二人に子供が生まれたら「空」がええな〜なんてな。

二人の幸せだけを願って、
俺は行きます。

追伸
俺が死んだらツバメになって、
お前らの家に毎年会いに行くわ!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ヒロの最後の手紙は、幸せを願う言葉ばかり残されていた。

 何も持たず、たった一人で飛び立って……本当はペンだけでもヒロに渡したかったが、返したい相手はもうこの世にいない。
 だからあいつの使っていたペンは、純子ちゃんにあげることにした。

「ヒロ……マフラーをくれてありがとう……俺のは血だらけでそのまま焼かれてしまったから、コレがお前と俺を繋ぐ形見になったよ…………紫だから結ぶと立教のタスキみたいだろ?……お前から貰ったタスキ、必ず、繋いでいくからな」

「私ね……光ちゃんの笑顔や声が大好きだったの……これからもきっと大丈夫、ちゃんとココに残ってるから」

 純子ちゃんはヒロが使っていたペンを、大事そうに胸に抱き締めた。

 1945年の正午、玉音放送が流れ、太平洋戦争は終わった……
 その全文には戦争への苦悩と平和への願いが込められていた。

 8月14日に山口・岩国大空襲、8月14日深夜から15日にかけて埼玉・熊谷空襲、群馬・伊勢崎空襲、秋田・土崎空襲もあり、戦争中の本土空襲の回数は約2000回……
 投下された焼夷弾は約2040万発、撃ち込まれた銃弾は約850万発、犠牲者は、確実な数字で45万9564人だという。

 太平洋戦争での日本の死者は、軍人、軍属、准軍属合わせて約230万人、外地の一般邦人死者数約30万人、内地での戦災死亡者約50万人、合わせて約310万人の方が亡くなってしまった。

 特攻隊の戦没者は、陸・海軍あわせて約6000人……17歳から32歳までの平均年齢21.6歳の若者が沢山の想いを抱えて空に飛び立った。
 特攻作戦を進めた「特攻の父」と言われていた中将は、終戦直後に死んで責任をとると割腹自殺……「死ぬときは出来るだけ長く苦しんで死ぬ」と介錯を拒否し、長時間苦しみながら亡くなった。
 生き残った若い人たちに「諸子は国の宝なり」と呼びかけ、世界平和を願った遺書を残して……
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