それでも生きていてほしいから~統合失調症になった私の綴るアナタと十四人への手紙~
お父さんはいつも私が行きたいところに連れて行ってくれました。

当時アーケードカードゲーム“オシャレ魔女ラブandベリー”に大ハマりしていた私が、休みの度に、「今日はここのゲームセンターに連れて行って」「今日はあそこのゲームセンターに連れて行って」というと、いつでも車で私の行きたいところに連れて行ってくれました。

小学生になると今度は“太鼓の達人”にハマり、ゲームセンターに行ってはお父さんと2人でプレイしました。

最初は難易度“ふつう”モードでプレイしていたけど、易しい曲なら“鬼”でもニ人でそろってクリアできるようになりましたね。

家族で旅行や遠出をすることは全然なかったけど、私の記憶の中にはお父さんがくれた楽しい思い出がいっぱいあります。

貴男の胸の中にもにもそんな楽しい思い出が少なくはないでしょう。
 
だからこそ、きっと貴男にも私が病気になって辛い思いをさせたと思います。

私の統合失調症の症状が一番始めに強く表れたのは、私が高校ー年生の春でした。

新しい生活から精神的に不安定になり、夜中に家を飛び出して、30分程歩いて走った頃に貴男から電話が来て、車で迎えに来てくれましたね。

高校ー年生のあの時、私は既に精神疾患を患っていたのだと、今なら分かります。

ただその時はお父さんが私を宥めてくれたので、死にたいと思いながらも高校三年生まで病気の症状は落ち着いていました。

駐車場に停めた車の中で話したことを、今でもよく覚えています。

私が「世界が変わっていっていて不安だ」と言うと、

「それは世界が変わっているんじゃなくて悠麻が変わっているんだよ」

と、優しく諭してくれました。

それから私が「何かの気配を感じる」と言うと、貴男はアニメ“ワンピース”の海賊女帝ハンコックが「気配を感じる」と言っているシーンをケータイの録画で見せてきました。(当時まだスマホではなく、折りたたみ式のガラパゴスケータイにワンセグ機能が付いたものを父は使っていました)

貴男は多分、私がアニメに影響されすぎていることを遠回しに伝えたかったのだと思います。

高校三年生の夏、また同じように夜中家を飛び出した私は、カラオケ店の一室に受け付けをせずに入り、警察のご厄介になりました。

その時の私の様子を見た警察に病気か薬をやっていると言われ、その翌日に精神科病院に連れて行かれてそのまま入院しました。

貴男は自分の子供がそのようになり、ショックだったでしょう。
< 7 / 9 >

この作品をシェア

pagetop