別れの曲
 朝食はどうとでもなるから、一旦置いておくとして。

「まずは洗濯、かな」

 イメージはついている。以前、涼子さんが洗濯機の設定をしている場面にでくわしたことがある。

「今は便利な世の中だもん。大丈夫大丈夫、最悪スマホ先生があるもんね。確か、透明な玉みたいなやつを入れて回してたっけ」

 単純明快。文明の利器に感謝だ。
 私は小走りで洗面所の方へと向かった。昨夜に出していた私自身の衣類を投げ込むと、傍らに置いてあったケースを手に取る。
 中には、イメージしていた通りの水溶性の固形洗剤が入っていた。

「この香り。昔、私がこれが好きだって言ってたの、ずっと覚えてるとか? まさか……いや、涼子さんなら有り得るのかな」

 一つつまんで放り込んで、電源を入る。次いですぐ隣のスタートボタンを押すと、いとも簡単に洗濯機は回り始めた。
 感嘆の声を上げつつ、次は朝食の準備にでも取り掛かろうかと足の向きを変える。
 そんな時、外の方でバイクの音が聞こえた。家のすぐ前で止まったかと思うと、それはすぐにまた走り去ってゆく。

「あ、そっか、郵便」

 いつもは涼子さんが取っていて、起床した私がリビングへと足を運ぶ頃には、既に机上へと置かれている。
 改めて、本当に毎日やって来ているのだな、と思う。
 いっそ、ここに住んでしまってもいいのに。

 そう考えて思い出すのは、私がまだ小学校に上がる以前のこと。

 よくよく懐く私を見た母が、涼子さんにその旨で相談した。けれども涼子さんは、仕事は仕事、それ以外の日はただ遊びに来ているようなものだから、と言って断った。
 公私混同は避けるべきだ。そんなことを言う涼子さんのことを、子ども心に『真面目な人だな』と思ったことを、今でも覚えている。

「あー、思い出しちゃった。あの時、私すごく泣いてたような」

 ある程度大きくなると、どうせ毎日会えるんだからと思えるようにもなったけれど、それまでは、どうして一緒に住まないのかと、毎日のように詰め寄っていた。
 そんな思い出と共に心機一転、私は自分で鍵を開けて、次いで扉も押し開けた。
 普段は目にしない時間帯の太陽は、それは眩しい光を放っていて、思わず目を瞑ってしまう。
 ゆっくり開くと、昨夜に少しばかり降った雨に濡れた草花が、朝日に照らされて、見慣れた庭先がとても幻想的に映った。

「きれい……」

 キラキラと光る草花。そこからぽたりぽたりと滴り落ちる水の粒。
 視覚から、聴覚から、何なら嗅覚からも楽しめてしまう。
 胸いっぱいに朝の空気を吸い込んで、何度か深呼吸を繰り返してから、私はポストの方へと歩いた。
 取り出した手元には、新聞、広告類に加えて、何やら見慣れない封筒が一つ。
 差出人の名前はない。が、

「森下家の方へ、って……え、何これ?」

 あまりに怪し気な代物である。
 中身だけ検めて、変なものなら捨ててやろうか。
 そう思いもしたけれど、万一重要なものであったらダメだ。とりあえずは家の中へと持ち込んで、机上にでも置いておこう。
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