別れの曲
 そのままの足で連れていかれたのは、大きなとある病院だった。
 どうしてこんなところに。疑問ばかりが募る中、一人の医師の指示で、幾つかテストをさせられた。
 結果、

「間違いありません。ディスレクシア——学習障害と呼ばれる症状です」
 先生は、きっぱりと言い放った。

「局所性学習症と言いまして、基本的な生活を送る上での支障は凡そないものの、この頃の子どもの本分であるところの『学習』という点に於いて、軽度ないし決定的な障害がある状態のことを指します。分かり易い例を挙げますと、文章の中で平仮名だけ、あるいは漢字だけの読み書きが出来なかったり、数字は読めるけれども計算は出来ないといった、あれらです」

 まだ幼かった私には、よく分からない難しい話だった。けれど、隣で服の裾をずっと握りしめていた母の様子から、明るい話題でないことはすぐに分かった。
 しかしそれも、医師が「でも」と続けた後の言葉に、母はついぞ全身の力が抜けてしまう。

「長年、そういった境遇の子どもたちを沢山見て来た私ですが、これは初めてのことです。娘さんは——陽和ちゃんは、『楽譜だけ』が読めない、極めて珍しい学習障害をお持ちのようです」

 障害、という言葉より、楽譜だけが読めないと言われたことで、私もようやく自身の置かれている状況を理解した。

 楽譜が読めない。
 楽譜だけが、読めない。

 難しいことは相変わらず分からなかったけれど、ただ漠然と、とても虚しいような、物悲しいような気持ちになったことだけは覚えている。
 あんなに楽しいと感じていたピアノのことが、一瞬にして考えられなくなった。意識が遠のくような感覚とともに、周囲の声が何も入って来なくなる。目の前で話す、母と医師の声すら届かない。
 (のち)に、私は簡単な曲であっても、耳で聴いた通り再現する能力にも乏しいことが分かった。
 だから、幼い頃から、真似ではなく即興という形になってしまっていたのだ。母の弾く曲で大好きなものも沢山あったのに、その主旋律だけでも真似ることが出来なかったのは、そのせいだったのだ。
 ただその曲が難しいだけだろうと思っていたけれど、そうじゃなかった。

 だからこそその医師の言葉は、私たち親子の、言ってみれば最高のコミュニケーションツールになるはずだったものを壊してしまう、あまりに残酷な現実を見せることとなった。
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