このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
「離れなさい。オリア魔法学園の生徒に危害を加えようものなら私が許しません」

 願いが通じたのか、それとも謗《そし》ったから出てきてくれたのか、セザールがサラたちの前に現れて、ゲーム通りの台詞を口にした。
 金灰色の色素薄そうな髪が几帳面に整えられているのも、眼鏡の奥で嗜虐的に細められている燃えるように赤い瞳もゲーム通り。おまけに銀縁メガネをくいっと持ち上げる仕草も、ゲームで見た通りだ。

 良かった。
 もう待つのはやめて出て行こうかと、ずっと苛まれていたんだもの。ひとまず安心した。

「怖い顔するなよぉ。俺たち、仲良くお話しているだけだよなぁ?」

 そう言って男がサラの手を握ろうとすると。

「ほう。それなら私も一緒にお話とやらをさせていただきましょうか?」

 セザールがその手を掴んで捻ったものだから、男は悲鳴を上げた。

「いててて、なにするんだよ?!」
「なにって、あなたがしているように、仲良く手を握ってお話しようかと思ったんですけど?」

 にっこりと笑っているけど、手の色が変わるほど強い力で握りしめているのが遠目からでもよくわかる。

「や、やめろ!」
「まいったなぁ。なにを言ってるのか全くわからないや。ためしに犬の言葉で喋ってみてよ」

 始まったわ。
 このあと、猫とかネズミとか、いろんな動物の鳴き声を言わせるのよ。

「クララックは真面目で品行方正な印象があったんだが、意外な一面を見てしまった気がする」

 隣を見ると、ノエルがドン引きした顔をしている。
 ゲームの中ではその性格を利用していたというのに。

 男は「覚えてろよー!」と台詞を吐き捨てて去っていった。これもまた、ゲームの通りである。

「ふぅ。間に合わないかと思ったわ」
「間に合わない?」

 オウム返ししてくるノエルの声に気づいて見上げると、紫水晶の目に自分が映っているのがわかるほど彼の顔が近くにある。

「レティシア、あなたは彼が来ること、知っていたよね?」
「そ、そんなことないわよ。誰かは助けに来てくれると思ってたのよ」

 たじろいでもすぐにお店の外壁に背中がぶつかってしまって、逃げようがない。

「あなたはいったい、何者なんだ?」

 それ、ゲームの終盤でサラに言ってた台詞ですよね。
 彼の陰謀を邪魔するから目をつけられて、問い詰められるシーンの台詞。あの時のノエルは本当に怖くて、初めてプレイしたときは若干トラウマになってしまった。

「あなたは、ある日いきなり人が変わった。それに、未来がわかるような素振りを見せることがあって、まるでこの世界で起こり得る事を知っている何者かがレティシア・ベルクールを名乗っているように思えるんだよね」

 核心をついてくるなんて、さすがのノエルだわ。
 でも、だからといって彼に本当のことを言うわけにはいかない。

 転生のことを信じてくれるかわからないし、自分の企てを知る人間を彼がどう思うのか、想像できないもの。

「なにを、言ってるのよ。ノエルったら小説の読みすぎなんじゃないの?」

 カラカラに乾いた喉から声を絞り出した。

「でも、そうね。もし未来が分かるなら、みんなが幸せになれるように運命を変えていきたいわね」

 お願い。どうか、誤魔化せて。
 疑われないように彼の目を見つめ返したら、フイッとそらされてしまった。

「もしもの話をしてみたのに、本気で返してくれるんだね」

 本当に?
 冗談にしては凄みのある声だったんだけど、ここは便乗したいからスルーしておくわ。

「ね、ねぇ。カフェに行きましょ。喉が渇いたでしょ?」
「そうしようか」

 ノエルはまだなにか言いたげな顔をしていたけど、それからは問い詰めてこなかった。

 本当に、冗談だったのかな?

 まだまだ不安は残っているけど、とりあえず今のところは、命拾いしたわ。

   ◇

 賑わうカフェの中に入ると、ノエルはコーヒーだけを頼んだ。
 本当はケーキを食べたいところだけど、私も彼に合わせて紅茶だけを頼もうかしら、なんて考えていると。

「気にせず頼んだらいいよ。僕はケーキが食べられないんだ」

 と言ってくれた。
 お言葉に甘えて、苺に似たフラーグムという果物が入っているケーキを頼む。

 ウェイターが持って来てくれたケーキは、甘酸っぱいフラーグムもしっとりとした生地も美味しくて、思わず頬が緩んでしまう。

「ケーキが食べられないだなんて、ノエルにも苦手なものがあるのね」
「小さかったころ、お茶会で出されたケーキの中に毒が入っていて、生死の間を彷徨ったことがあるんだ。それからどうも、食べられないんだよ」

 あまりにも衝撃的な過去を告白してくるものだから、ごくんと大きな音を立ててケーキを飲み込んでしまった。

 ノエルは、殺されかけたんだ。

 事もなげに言うけれど、食べられなくなってしまったということは、彼の心に大きな傷跡を残したはず。

「犯人は、捕まったの?」
「わからず終いさ」

 ゲームでは「冷遇されていた」と纏めていただけであって、きっと、想像もできないようなことをされてきたんだろう。

 ノエル、ごめんね。

 私は結局、闇堕ちする彼を止めようとしているだけで、彼が負ってきた傷に目を向けていなかった。
 それを、思い知らされる。

 何もわかろうとしないで、あなたに悪者のレッテルを貼っていた。
 あなたが苦しんでいることを、知っていたのに。

 そんな私を、ノエルは助けに来てくれた。

「ノ、ノエル。私が食べても大丈夫だったから、このケーキにはきっと毒はないよ。食べてみない?」

 それなら私は、彼の悲しい思い出を消してあげたい。
 ケーキを刺したフォークを彼の口元に持っていくと、ノエルは小さく咳払いした。

「レティシアって、僕に対してはなにも気にしてくれないよね」
「そんなことないわよ。今だって、あなたに安心してケーキを食べてもらいたいって思ってるんだからね」
「そうか、僕のことを考えるあまりに気にしていなかったと」

 気にしてない気にしてないって連呼されると、さすがに不安になってくる。
 
「気にしてないって、なんのことを言ってるのよ?」
「そのまま気にしてなくていいよ」

 だから、なにを?
 そう思っていたけど、彼に手を掴まれて気づいた。

 あ、これ、間接キスになるんじゃ……。

 いや、それ以前に傍から見たらバカップルの図が完成しちゃってますよね。ケーキを食べさせるなんてさ。

 わかった時には遅かった。そのままフォークは彼の口の中に入って行って、ケーキを食べられてしまった。

「美味しい」

 困惑する私の気も知れず、子どもみたいに嬉しそうに食べている。

「……そう。もう一口食べる?」

 照れ隠し半分と冗談半分でそう言ったのに、彼は返事の代わりに雛鳥の如く口を開けて、食べさせられるのを待っている。

 そんなことをされると後に引けないじゃないか、卑怯者。

「しっかりお食べ。私がいる時は毒味してあげるから、我慢しなくていいんだよ」

 ノエルは私より年上だというのになんだか子どもに言い聞かせるように話してしまった。

 きっと、いたいけな姿を見せられたからだ。

   ◇

 結局、私とノエルは夜の帳が降りるまで王都でゆっくりと過ごした。
 職員寮に送ってもらっている帰り道の途中、意を決して、言いそびれた気持ちを伝えた。

「ノエル、この前は助けに来てくれて、ありがとう。それと、酷いことを言ってごめんなさい」

 ノエルはちょっぴり驚いたような顔をしたけど、すぐにふわりと笑ってくれた。その顔は、フィニスの森でジルに向けていたのと同じ優しい表情で。

「許すから、準備室のあの花、捨てといて」

 それなのに、口から出てくる言葉は優しさの欠片もなかった。

「へっ?! まだ綺麗なのに? それに、あの花はカスタニエさんが快気祝いでくれたのよ?」
「レティシア?」

 知らない人が見たら頬を染めてしまうような美しい笑顔を浮かべている婚約者様は、圧のこもった声で名前を呼んでくる。

 その刹那、近くの木が黒い炎に包まれて灰になったのを見てしまい、なにも言葉が出てこなかった。

 これ、ゲームの中で怒りに染まったノエルが出してきた魔法よね。
 やっぱ王室側の人間と関わるなってことかしら。

「あなたは、僕の、婚約者なんだからね?」

 あ、これはきっと「裏切ったらどうなるかわかってるよな?」的な台詞なんだわ。

「じ、じゃあ準備室からは出すわ。教室に飾っておく」
「よろしい」

 満足げな顔をするこの婚約者様に、すっかり振り回されてしまった。命がいくらあっても足りない気がするわ。

 それなのに彼の背中を見送っていると、またデートに行きたい、だなんて、思ってしまった。
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