魔女に呪われた少女と、美しい支配人と
 ロゼッタはダンテの首に手を回して頬にキスをした。

「どうして1人で戦おうとしましたの? 私をひとりぼっちにして死んでもいいと思っていましたのね? 我儘過ぎますわ。勝手に引き取って、勝手に捨てますのね」

 珊瑚色の瞳には涙が溢れて膜が張っている。そうして睨み上げているのに、ダンテは目を細めて彼女を見つめるだけで、いつものようには言い返してこない。
 張り合いはなくてもロゼッタの口は止まらなかった。

「オークションハウスのお仕事を教えてくださるんじゃなかったですの? 死んだら教えられらませんのに、どうするつもりでしたの?」

 安心すると堰を切ったように恨み言ばかり出てくる。これまで抑え込んでいた不安が全て雪崩のように押し寄せてくるから苦しいのだ。

「うそつき……! 約束を守ってくれないダンテなんか嫌いよ」

 力強く彼の胸を押し返すと、ダンテは鼻で笑った。

「だけど、俺を愛しているだろう?」
「開き直らないでくださる?」

 つゆほども反省の色を見せないダンテに怒りを通り越して呆れた。自分がどれほど不安だったか、彼を失うことを恐れていたことか、いくら言葉にしても足りない程だと言うのに。
 愛しているのかと問われれば、そうだと答えてしまいそうになる。それが癪で、ロゼッタはきゅっと口を引き結んだ。ダンテは、小動物のように頬を膨らませて抗議するロゼッタの両頬を掌で包むと、そっと額にキスをする。

「ロゼッタ、愛してる」

 彼女の存在を確かめるように顔をすり寄せた。ロゼッタはダンテの頭に腕を回して、静かに受けとめる。

「これからもずっとそばにいて、俺を叱り飛ばしてくれよ。お前の声を聞いていたいし、お前が進む未来を見守りたい。俺にその役目を与えてくれないか?」

 いつも、何にも動じないような泰然とした態度で、どこか皮肉気に微笑む男。それなのに、時々、自分よりも弱々しい一面を見せる不可解な人物だった。
 しかし彼がどれほど自分を大切に想ってくれているのかはわかっている。命を懸けてまで守ろうとしてくれていたのだから。

「しかたがないですわね。ダンテにその仕事をあげますわ。忙しくさせないと、ダンテは寂しくて死んでしまうかもしれないですもの」

 ロゼッタはダンテの肩にそっと額をのせた。
 上目遣いで彼の横顔を窺う。

「わたくしもですわ。ダンテのこと、愛してますのよ」

 お互いに憎まれ口を言い合った後に、改めて伝えるのは気恥ずかしいことだった。それでも、これまでは言えなかった想いを口にできて、充足感が胸を満たす。その気持ちに後押しされて、彼女はもう一度口を開いた。
 
「パパ、助けてくれてありがとう」

 ずっとそう呼んでみたかった。それでもダンテが呼ぶなと言っていたから我慢していた。嫌われる覚悟で呼んでみる勇気がなかった。彼に嫌われることを、心の奥底では恐れていたから。
 しかしいざ、呼んでみると照れ臭いようで。ロゼッタはためらいがちに目を伏せて、視線を彷徨わせた。

 一方でダンテは、喜びと衝撃がない交ぜになった、筆舌しがたい表情を浮かべている。驚きのあまり声が出ず、エメラルドのような瞳は大きく見開かれている。

「も、もう一度言ってくれ」
「助けてくれてありがとう」
「そうじゃなくて、パパと、呼んでくれないか?」

 そう懇願されても、気軽に呼べるわけがない。じっと熱心に見つめられると、顔に熱が集まってしまって、さらに言いづらかった。

「嫌ですわ」

 照れ隠しでそっぽを向くと、ダンテはあやすように何度もロゼッタの頬にキスをした。

「いつかまた呼ばせてやる。お前がどう言おうと、これからもずっとお前は俺の娘だからな」

 その声は弾んでいて、これから待ち受ける未来への期待が込められている。ロゼッタを見つめるエメラルドのような瞳は、彼女と送るであろう日々に思いを馳せて、輝いている。
 彼のそんな顔を見せられると、もう何も言い返せなかった。ロゼッタはダンテの胸に頭を預けて、素直に甘える。目を閉じてダンテに頭を撫でてもらっていると、いきなり会場の扉が開いて、賑やかな声が聞こえてきた。

「ダンテ! 無事でなによりだよ!」

 振り返ると、リベリオやエルヴィーラが立っていた。リベリオはダンテを見るなり顔をくしゃりとさせて、涙を溢れさせながら抱きついた。

「うわっ! 汚い顔を擦りつけるな!」
「だっでぇ、ダンテが生きているのが嬉しいんだよぉ」
「勝手に殺すなよ。この変態クソ司祭め」

 ダンテはリベリオの涙やら鼻水がロゼッタにかからないように庇う。彼らの様子をエルヴィーラが苦笑しつつ見守る中、ブルーノがガラティアソスを使ってでリベリオを押し返した。

「おお! 女神の秘宝ではないか!」

 リベリオは装束の袖口で涙を拭うと、ブルーノから杖をひったくってまじまじと見つめた。

「言い伝えと違わぬ美しさ、いや、それ以上だ。やはり女神様はこの杖をロゼッタ嬢に託されたか」

 彼はそのままロゼッタの前に跪いて、ガラティアソスを彼女に差し出した。

「ロゼッタ嬢、いや、聖女様。この杖は女神様があなたに使命を与えた証です。どうかこの杖を手に取り、ディルーナ王国の安寧のために力になってください」

 ロゼッタは首を横に振った。

「できませんわ。わたくしは、ダンテの跡継ぎですもの。聖女様にはならないわ」

 その気持ちに応えるかのように、リベリオの手の中にあったガラティアソスは光に包まれて消えてゆく。リベリオは慌てて掴みなおすものの、彼の手はすり抜けて、杖は跡形もなく消えてしまった。

「それに、女神様はあの杖をお貸ししてくださっただけですの」

 ロゼッタはダンテにピッタリと抱きついて、悪戯っぽく笑みを浮かべた。

「女神様もきっと、わたくしが『ギャラリー・バルバート』の支配人になることをお望みなんですわ」
「やれやれ、断られるとはわかっていたけど、まさか女神様を味方につけるとはね」

 リベリオはわざとらしく肩を竦めたけど、その表情は晴れやかだった。
 すると、見守っていたエルヴィーラがダンテの頭を軽く小突く。

「さて、バルバート。ロゼッタの言葉が嬉しいのはわかるが、ニヤつくのもいい加減にして外に出るぞ。みんなお前を待っている」

 頭をさするダンテを見て、唇の片側を持ち上げる。

「ずいぶん父親らしい顔つきになったな」

 そう言葉を残して、彼らより先に会場を後にした。
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