紅色に染まる頃
そしていよいよ青森県に入る。
向かったのはもちろん、桜の名所として名高い弘前公園だ。

「なんて素晴らしいの…」

車を降りた途端、美紅は目の前に広がる景色に圧倒されて目を見張った。
想像をはるかに超える圧巻の桜に、何も言えずにただ息を呑む。

弘前公園には、染井吉野を初めとして枝垂桜、八重桜など50品種以上、約2,600本もの桜が咲き乱れている。

二の丸にある染井吉野は、旧藩士の菊池楯衛が1882年に寄贈したもので、現存する染井吉野では日本最古のものだ。

また、成長が早いわりに寿命が60年から80年とされていた染井吉野だが、弘前公園には樹齢100年を越す染井吉野が300本以上、樹齢60年を超えるものは約1,200本あり、今も立派に花を咲かせていることから、その管理技術は多くの専門家から日本一と絶賛されている。

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿って言葉があるだろう?」
「ええ」
「桜は技を切らないのが一般的だけど、弘前公園内の約2,600本の桜は、日本一の生産量を誇るリンゴの暫定技術を応用した『弘前方式』によって管理されているんだ」
「そうなのですね。桜をリンゴの木と同じように?」

伊織の言葉に美紅は驚く。

「ああ。リンゴの木は収穫しやすいよう、良い実が成るようにと横に枝を伸ばしていく。その技術を桜にも応用しているんだ。だから弘前公園の桜は低い位置で花を咲かせる。それに一つの房に4個か5個、多ければ7個の花芽がつくから、ボリュームがあって立派だ。ここの桜は、数年から数十年という桜の成長を見据えて剪定作業を行う”桜守”によって守られているんだ」
「そうなのですね」

美紅は伊織の言葉に感心しながら桜を見上げる。
若い樹は上へ上へと枝を伸ばしているのに対し、古い樹は優雅に横へと枝を広げ、花の重みで枝が美紅のすぐ手の届く所にあった。

古樹の威風堂々とした佇まいと、圧倒的な花つきを誇る桜。
背景に弘前城を背負った桜の木々からは、春の風に乗って数え切れない程の花びらが舞い落ちてくる。

桜吹雪は弘前城を囲む外濠に降り積もり、広大な外濠が桜色の絨毯を敷き詰めたかのように飾られるさまはまさに絶景。
春風に押されて流れていく「花筏」も見ることが出来、美紅は感激で胸がいっぱいになった。

時間の経つのも忘れて見入っていると、やがてゆっくりと日が落ち、ライトアップされた夜景に幻想的に桜が浮かび上がった。

美紅は更に感嘆のため息をつき、西濠の春陽橋から夜桜を眺める。
春陽橋から桜のトンネルを通って反対側に行くと、ボート乗り場からの景色もまた、言葉を失う美しさだった。

「美紅、そろそろ宿に行こうか」
「ええ」

返事をするものの、美紅はまだ名残惜しそうに桜を見つめる。
伊織はふふっと笑みを洩らしてから提案した。

「明日、早起きして早朝の桜も見に来ようか」
「いいの?!」

パッと明るくなった美紅の顔を見て、伊織は笑顔で頷く。

「ああ、もちろん」

翌朝。
再び訪れると、澄み切った空気の中に岩木山が山頂までくっきりと浮かび上がって見えた。
そこに重なる藩政時代の天守閣や歴史的建造物、そして桜。
それらが一体化した風雅な光景は、伊織と美紅の目にいつまでも焼きついていた。
< 118 / 145 >

この作品をシェア

pagetop