紅色に染まる頃
第四章 思わぬ再会
「副社長、この案ではかなり無理があるかと」

秋も深まった11月。
社内の会議室に集まった役員達に、伊織は厳しい目を向けられていた。

「アジェンダの段階でも、これは通りませんな」
「同感です。採算が取れないのは明らかでは?」
「そもそも副社長は周りのホテルと比べ、対抗するようにワンランクアップしたレストランや設備を目指していらっしゃるだけでは?」

次々と浴びせられる批判に、伊織はぐっと堪えて視線を落とす。

役員達の指摘はもっともだった。

本堂リゾートが所有する既存のホテルが頭打ちの状態なのを打破しようと、伊織は新たなホテルの建築に着手しようとしていた。

だが、これと言って明確なコンセプトが思いつかない。

今の案ではライバル会社のホテルを上回ろうとするだけで、お客様にとって魅力的なホテルになるとは言い難い。

唯一無二の魅力あるホテルとは何か…
伊織はそれを見い出せないままだった。

会議中、社長はじっと考え込み、無言を貫いている。

伊織は1から案を練り直すと告げて会議を終えた。

株式会社本堂リゾートの社長の木崎は、新卒入社から社長の座まで登り詰めた、本堂家とは縁もゆかりもない人物。

伊織が本堂家の長男だからといって、次期社長になれる保証はない。

28歳の自分が力不足なのも自覚しており、むしろ副社長の椅子から引きずり下ろされる可能性もあった。

帰りの車の中で、伊織はぼんやりと窓の外を眺める。

今日は金曜日。
繁華街を通りかかると、サラリーマン達が楽しそうに居酒屋に入って行くのが見えた。

(足を運びたくなる魅力的な場所…)

ホテルに限らず、人々が求めているものとは何だろうか。

どんな空間、どんなサービス、どんな雰囲気…。

そこに行って得られるものとは?
安らぎ、楽しさ、癒やし、もしくは、インスピレーション?気分転換?

伊織はふと、今日社員達がエレベーターの中で話していた会話を思い出す。

確か、仕事帰りに行きたくなる、居心地の良いバーがあるという話だった。

(何だったっけ、この辺りのビルの最上階にあるとか言ってたな。名前は、アクアブルー、だったか)

スマートフォンで検索すると、これだと思うものがヒットする。
場所もちょうどこの近くだ。

「須賀、すまない。ここで降ろしてくれ」

運転している秘書に話しかけると、驚いたようにバックミラー越しにこちらをうかがってきた。

「どうかされましたか?副社長」
「ああ、少し寄り道してから帰る」
「かしこまりました」

須賀は、ゆっくりと車を路肩に停めた。

「悪いな。帰りはタクシーで帰るから」
「いえ、お迎えに上がります」
「本当に大丈夫だ。それに今日は屋敷じゃなくてマンションに帰ろうと思う」

普段から伊織は、都内にある本堂グループのマンションに、気の向くままに泊まることがあった。

「承知しました。旦那様と奥様にその旨伝えておきます」

須賀の言葉に、伊織は自嘲気味に笑って首を振る。

「その必要はない。いつまで子ども扱いする気だ?」
「ですが、空っぽの車を運転して帰ると私が問い詰められます。大事な副社長をどこに落っことしてきたんだ?と」
「ははっ!」

2歳年上の須賀は普段から真面目で堅物だか、伊織が思い詰めた様子の時には、こんなふうに軽く冗談を言って気を紛らわせてくれる。

伊織はそんな須賀を信頼していた。

「それでは副社長。ここで失礼致します」
「ああ、ありがとう」
「どうぞ素敵な夜を」

頬を緩めてそう言うと、須賀は車に戻る。

ゆっくりと遠ざかる車を見送った伊織は、お目当てのバーに向かった。
< 18 / 145 >

この作品をシェア

pagetop