紅色に染まる頃
ゆっくりとグラスを傾けてお酒を味わっているうちに、なんとなく頭の中もクリアになり、気持ちも落ち着いてくる。

するとふいに小さく、ポロンとピアノの音色が聞こえてきた。

人々のおしゃべりに溶け込むように何度か途切れ途切れに聞こえたあと、だんだん大きくなっていく。

やがて片手で気の向くままに即興で弾き始めたピアニストを、伊織は振り返って見てみた。

先程は誰もいなかったグランドピアノの前に、赤いロングドレスをまとった女性が座り、右手を鍵盤に載せている。

ゆるく巻いた長い髪を左肩の上で一つにふわっとまとめ、伏し目がちにピアノを弾くその様子は、とても美しく魅力的だ。

やがて左手も使って音と戯れるようにピアノに両手を走らせていたかと思うと、いつの間にかジャジーな3拍子を奏で始めた。

ざわめきが小さくなり、皆はピアノに注目し始める。

ピアニストは生き生きとメロディーを響かせていった。

(この前奏は……『ピアノマン』か)

伊織はふっと頬を緩めてピアノに聴き入る。

もともと好きな曲だったが、ピアノの生演奏、しかもバーで聴けるとはなんとも贅沢なひとときで、伊織はその心地良さに身を委ねていた。

こんなにお洒落な3拍子の曲があるだろうか。
少し気だるさを感じる曲調は、気分良くお酒に酔わせてくれる。
このバーで聴くにはぴったりの曲だ。

気がつくと、誰もがおしゃべりを止めてピアノの音色に耳を傾けている。

伊織の近くに座っている男性は、ピアノに背を向けたまま小さく口ずさんでいた。

曲は中盤に差し掛かり、盛り上がるサビの部分に人々の気持ちも1つになる。

そこにいる誰もが、美味しいお酒と心地良い音楽に酔いしれていた。
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