好きとは言わない誓約です

2 幼馴染

「汰月、帰って来てんの?」

とウチの前に着くなり甲斐が言った。重そうなサブバッグを門の前にどさりと置いて。


「いや、まだだよ。お兄の学校、グランドまでバスで行かなきゃいけないから、結構いつも帰り遅いんだよね」


「だからユースに上がりゃ良かったんだよ汰月は。ずっとレギュラーだったんだし。声かかってただろ」


私は「しらなーい」と答えた。

というか今はお兄のことよりも。


「そう、きいて。今日、マナに甲斐と同中なのかって聞かれたよ」


「なんだよ、いきなりマナの話か」


いきなりもなにも、呼び出したのは他でもないマナの話がしたかったからだ。


「で? なんて答えた?」


「幼稚園から一緒だよって。そしたらふーんって興味なさそうだった」


「そんで?」


「そんで、どうして? ってきいたら、私と甲斐が喋ってるところ見かけたからって。そんだけ」


「それだけかい」と、甲斐は呆れた顔をした。


「それだけっていうかさ。もっとちゃんと真剣に協力して甲斐ちゃん」

私は言いながら部屋着のふわふわパーカーを脱いだ。9月中旬の夕暮れはまだまだ蒸し暑い。


「そういう約束だったでしょ?」


「そうだっけ?」と、甲斐は私から目をそらして、腕を組んだ。


「ちょっと! あんな誓約書まで書かせておいてひどい! 私はちゃんと守ってるんだからね。ミナミには中学の時にちょっとマナのこと話しちゃってたからバレかかってるけど、ずっとごまかしてるし」


「わーかったよ。で、なにをどう協力しろって?」


「マナの女の子の好みが知りたいです」

私は待ってましたと食い気味に言った。語尾にハートをつけるような声で。


「いや知らねーし」と甲斐は即答。


「だーかーらー。きいておいて欲しいなって」


「自分できけば?」


「え? いいの?」

私はやったーとばかりに両手を胸の前でぎゅっと握った。


すると甲斐はハッとした顔をして私を見た。


「いや、やっぱりそれはダメだ。誓約の第一条に反する」


真面目か。と私は心の中で突っ込んだ。


「じゃあ甲斐がマナにきいてみてよ」と、泣きそうな顔をして言ってみる。



「わかったって。きいとくから。菜月は余計なことマナに言うなよ」


わーい!と私はバンザイして喜んだ。


「それにしても女の好みとか。今更だな。そしてそれを知ったところでどうすんの」


「え、どうするって?」


「だからさ。例えば長身美女とか言われたらどうすんの。菜月とは真逆な感じが好みだったら。しかも努力ではどうにもならない感じだったら」


う。長身美女は痛いな。どうあがいても無理なところを突かれた。


「でもそんなようなこと今日も言われたんだよね」


「は? どういうこと」


「前の席の丹田くんが私の髪型好みだって言って。そんで丹田くんがマナの好みの髪型は?ってきいたら、ちょーロングって。でもあれは私をからかうためだと信じたい」

「それで俺にマナの実際の好みのタイプを聞き出させようと」


「そうそう」と私は笑った。


「てゆーか丹田と席前後なのか。そんでお前の髪型好みって言ってたの? 絶対そんなことなさそうだけどなー。丹田って」


「まあ、マナが私のこと子ザル子ザルってからかうから、気を使って言ってくれただけだと思ってたけどね」


「いや、うーんなんつーか。とりあえず丹田にはあんま振り回されんなよ」


私はキョトンとした。なにを言い出すのかと思った。


「え、なんで? 丹田くんとは気が合いそうだなって今日思ったんだけど」


「いや、まあ、うーん。丹田ってさ……」


甲斐が言いかけたところで、ドタドタと走ってくる足音が聞こえてきた。


足音の方に私と甲斐が振り返るより早く、走りこんできたお兄が甲斐に飛びかかってヘッドロックした。


「甲斐ー。久しぶりじゃーん。なんだよちょっと見ない間にまたデカくなったなぁ」


甲斐は「痛い痛い、やめろ汰月」と言って簡単にお兄の腕から抜け出すと、逆にお兄の腕を掴んで背中の方に引き瞬時にキメた。


「いててて、ギブギブ」


……いやいや、家の前でなにやってんだし。いい歳して恥ずかしいわ。


「お兄、今日は早かったね」と私は呆れながら言った。


「あー今グランドの照明壊れてて暗くなる前に部活終わるから」


答えながらも、お兄は甲斐のワイシャツを掴んで組み合おうとしている。


「俺今さ、体育柔道でさ。クラスのでかいやつら投げ飛ばしまくってんだよね。甲斐くらいでもいけるかも」


「よし、返り討ちにしてやる」と甲斐もお兄の襟元を持つ。


「バカなことやめてよね。怪我するわ」

私は手に持っていた空のペットボトルで、お兄と甲斐の頭をパパンと高速ではたいた。


ほんとに小学生の頃から成長してないな。二人揃うと余計だわ。


……それにしても甲斐の頭、こんなに高かったかな。お兄は全然変わらないけど。


「甲斐、夕飯食べてくでしょ? 母さんに甲斐の分も用意してって言ってくるわ」


そう言うと、お兄は投げ捨てていたバッグをパッと拾って家の中へさっさと入っていった。


相変わらず慌ただしく騒がしい。


「ねえ、さっき言いかけたのって?」

嵐が去って呆然としている甲斐に、私はたずねた。



「え、 なんだっけ」と、甲斐はお兄にぐちゃぐちゃにされたネクタイを締め直しながら言った。


「丹田くんがどーのこーの」


「ああ、いや、いい」


……なんだし。


私が食い下がろうとすると、甲斐はバッグを持ってウチの門をくぐった。


結局教えてくれないのか。


私は最近甲斐の考えてることがよくわからない。


中三くらいからかな。なんとなく分からなくなったのは。

それまではもっとお兄みたいにただただおバカで理解しやすい弟みたいな存在だったのに。


玄関を開けると、甲斐は「お邪魔しまーす」と小さい声で言って私より先にリビングに入っていった。


するとママの黄色い声がキッチンの方から飛んだ。

「あらまあ、甲斐くんまた背が伸びた? 羨ましいなー。汰月は一向に伸びないのよね。菜月もだけど」


聞こえてますが。と思いつつ、私はわざとゆっくりと靴を脱いだ。


お兄はお風呂かな。ママと甲斐と三人になると、ママがうるさくて嫌なんだよね。


「甲斐くんは彼女できたの? やっぱりモテるんじゃない?」


おいおいおばさん。セクハラでは。


「いやいや、全然っすよ」


「もうさ、いっそのこと菜月と付き合ってあげてよ。そしたら甲斐くんもいずれウチの子になるじゃない!」


こら。こらこら。また始まった。甲斐の顔を見るたび、ママはいつもこうだった。


「いやいや、菜月は妹みたいなもんすから」と、甲斐が言った。


なに?! 妹? と私は玄関に座り込んだまま目をしばたかせた。


いつの間に。私は甲斐のお姉ちゃんのつもりでいたのに。


でも確かに……。と私は思った。


確かに最近はもう弟という感じではなくなっていた。



< 5 / 21 >

この作品をシェア

pagetop