鏡と前世と夜桜の恋
「咲夜が幸せなら… そう思いたいのに」
呟いた声は、思った以上にかすれ、心はぐちゃぐちゃ… 醜いほど嫉妬で満ちている。咲夜を縛りつける権利など自分にはないと分かっているのに。
手を引かなければいけない。そう理解していても足は一歩も動けない。胸が裂ける痛みが雪美を縫いつけていた。
咲夜を愛しているからこそ… この嫉妬は、どうしようもなく、ただ胸の奥はひどく静かだった。
怒りも叫びも涙さえもう浮かばない。ただ薄い硝子を指でなぞるような、冷たく乾いた痛みだけが残っているだけ…
家へ戻るつもりで歩いていたはずだった。夜風は柔らかく港町の匂いを運んでくる。
石畳を踏むたび小さく音が響き、その度雪美は自分の心の奥が揺れるのを感じていた。
どうしてだろう、気づけば足が勝手に教会のほうへ向いていた。
帰り道の途中に古い教会がある。夜空に溶けるように佇む白い壁と、高い尖塔… 静けさはどこか異国の祈りを抱いているようだった。
「少しだけ… 」
雪美はゆっくり教会の扉を押した。

中は、驚くほど静かだった。
広い空間に人影はなく、ただ色彩だけが生きているようにステンドグラスが夜の光を映し込んでいる。
時間は… 23時56分。
こんな時間に誰が来るわけでもない。それなのに雪美は、なぜか扉の方をちらちらと見てしまう。
まるで誰かを待っているかのように自分でも理由は分からなかった。ただ心のどこかで「遅れてでも来てほしい誰か」を、待った。
ふと足元に、白いものが落ちているのに気づいた。シロツメグサ。誰かがここへ持ち込むような花でもないのに、ぽつりと一輪だけ…
雪美はしゃがみ込みそれをそっと拾った。