猫憑き令嬢と忠犬騎士団長様~ヘタレで不憫な団長様は猫がお好き~
第2章 猫の恨みは怖いんですのよ
「はぁ~」

 登城してから、すでに二時間。
 ヴェルナーの執務室で椅子に座り込んでいると、書類の山の向こうから重い溜め息が聞こえてきた。

 原因は分かっている。それも、執務机に乗っている書類たちではないことも。

「いい加減にしなよ、カーティス。そんなに気になるのなら、確認してきたらどうだい?」

 後ろに垂らしていた長い銀髪を、前に手繰り寄せながら、ヴェルナーは堪りかねたような声で提案してきた。が、俺は逆に不満気な声で返答をする。

「そんなことをして何になるんだ。すでに婚約した後だというのに。……確認ではなく抗議をしに行くようなものだ」
「だからって、ここでグダグダした姿を見せつけられている身にもなってほしいよ」
「書類の山で見えないだろう」
「陰鬱な空気を巻き散らしておいて、よく言えるな」

 執務机を叩けない代わりに、声を低くして非難する。

 分かっているんだ。俺ももう、二十五だ。自身の感情をコントロールできる。いや、しなければならない。近衛騎士団の団長を務めているのだから。だが、今回は――……。

「仕方がないだろう。こんなことを相談できるのは、お前くらいしかいないんだから」
「まぁね。でも、カーティスのマクギニス嬢への恋慕は、結構知られているから大丈夫だと思うけど?」
「それなら何故、シュッセル公子がルフィナ嬢に婚約を申し込むんだ」
「……仮面舞踏会の時の腹いせ……が有力だろうね」

 そう、俺がヴェルナーの執務室で荒れている理由は、ルフィナ嬢が突然婚約したからだ。それも相手はシュッセル公子。

 他の相手なら、百歩譲っても……いや、譲れないな。
 潜入調査でも、帰りの馬車に乗せた時も、ルフィナ嬢の気持ちは俺に向いていた。それを自惚れだといわれても構わない。
 それくらい、あの時のルフィナ嬢は可愛かった。


 ***


 慌ただしく廊下や階段を駆けて行く人を見送りながら、俺はルフィナ嬢を横抱きにしたまま、ゆっくりと階段を降りた。
 なにせ、今のルフィナ嬢は茶トラを抱いている状態だ。大きくはないとはいえ、茶トラを左手で抱え、右手は俺の服を掴んでいる。

 実はこの横抱きというのは安定性が悪く、両手を首に回してもらった方が、運ぶ側としても安心できるのだ。けして、してほしいわけではなく……。
 だから一歩一歩、ゆっくりと降りる必要があった。

「ルフィナ嬢、大丈夫か」

 なるべく俺の方に体が向くように抱いているが、それでも尋ねたくて仕方がなかった。

「もっとゆっくり降りた方がいいだろうか」
「だ、大丈夫です。この速度で」

 その割には、服を掴む手に力が入っている。やはり怖いのだろうか。

「分かった。だが、けしてルフィナ嬢を危険に晒すことはしない。絶対にだ」
「っ!」
「だから、ルフィナ嬢も自分のことと、茶トラのことだけを考えてくれ」
「あ、ありがとうございます」

 自分の腕の中で俯くルフィナ嬢を見る。ジルケに言われたことを思い出して、見えない顔の代わりに、そっと耳に視線を向けて確認した。
 すると、赤くなっている。

 今がこんな体勢で、且つ状況でなければ、触れたくなるほど可愛い。
 このまま、本能で動いた瞬間、俺への好感が一気に下がることが分かっているだけに、懸命に我慢した。

「あの、お役に立てず、申し訳ありませんでした」
「何がだ?」
「潜入調査です。結局、猫たちが騒動を起こしてしまって……。逆に私が参加しない方が良かったのではありませんか?」

 確かに、結果を見ればそうかもしれない。けれど、そうだろうか。

「ドリス王女殿下とノハンダ伯爵の計画には、ルフィナ嬢が必須だった。さらにいうと、俺にとっても」
「カーティス様、も?」
「そうでなければ、ドレスを贈ると思うか?」
「えっと、今は結果論の話をしているのでは?」

 俺にとってはどっちも同じことなのだが、今ここで想いを伝えるわけにはいかない。
 ドリス王女とノハンダ伯爵の計画から比べれば、俺の思惑など失望されるに決まっているからだ。

「それでも俺は、ルフィナ嬢が必要だったんだ」

 馬車の中に入り、ルフィナ嬢を座席に降ろして、今はそれだけしか言えない、と視線を送った。
 騎士団を率いる者としては、早く地下の倉庫へ行って、指揮を取る必要があるからだ。卑怯だとは思ったが、今はそうすることしかできなかった。

 けれどルフィナ嬢は、名残惜しい視線を向けて来る。眉を下げ、悲し気に。頬に残る涙の痕が、さらにそれを際立たせる。

 今すぐに、その頬にキスをしたくて堪らなかった。だから、空いている方の手を取った。
 顔の高さまで上げて、そっと唇を落とす。

「っ!」

 ルフィナ嬢のその反応に、思わず口角が上がる。不慣れということは、そういう相手がいない。さらに視線を送ると、涙の痕が分からないくらい真っ赤な顔をしたルフィナ嬢と目が合った。

「あ、あの、そろそろ行った方がよろしいのではないですか?」
「そうだな。名残惜しいが仕方がない」
「お勤めの方が大事ですから」
「ルフィナ嬢も辛いと思うが、慰めと思って許してくれ」

 茶トラに視線を送ってから、俺はルフィナ嬢の額にキスをして、馬車を降りた。


 ***


「ふ~ん。あんな状況で、随分攻めたね、カーティス」

 何とでも言え!
 俺はヴェルナーに、ルフィナ嬢の気持ちがシュッセル公子に向けられていないことを弁明した。

「とすると、やっぱりシュッセル公子側が怪しいね。また公爵が断れないように、裏で手を回したのかな」
「っ! そうだ。ヴェルナーの影を使わせてくれ。何か分かるかもしれない」
「本当はダメなんだけど。マクギニス嬢はな。ドリスのお気に入りでもあるから。いいよ、使っても」

 そう、あの仮面舞踏会でのドリス王女の計画は、シュッセル公子の失脚だけではなく、ルフィナ嬢との接点を作ることも目的だったらしい。
 さらに俺がルフィナ嬢に気があることを利用して、ヴェルナーに進言。ドリス王女を心配したのか、面白半分だったのかは知らないが、これが一連の全貌だった。
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