ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
「ほら、みなさい、やっぱり答えられないじゃない」

多恵は椅子の背にもたれかかり、鼻先で笑った。目元から胸元までが、ほんのりピンク色に染まっている。

多恵は、酔うとさらに犀利になって、一を聞いて十を知るようなところがある。加えて、普段抑圧されている反動で、言葉を吟味する前に発言してしまうから、己の言葉に感情が触発されて、心にもないとんでもない結論へと発展してしまうこともしばしばだ。

こういうときは、下手に逆らわない方がいい。

多恵は目の前の瓶を投げやりに掴み、最後の一滴まで琥珀の液体をグラスへ注ぎ切ると、苦虫をかみ潰したような顔で、一気に飲み干した。

「多恵、飲みすぎだ」

「気安く呼ばないで!」

荒げた声が、森閑とした深夜の建物に反響した。

「どうせ私は絡み酒ですよ。何よ、あなたは、いつもしれっとした顔して。酔っぱらいの気持ちなんか、わからないんだから」

「わかるよ」

「わかんないわよ!」

突然、多恵は瞬きを忘れたようにして、ボロボロと涙をこぼし始めた。
玲丞はやれやれとため息をつきながら、そっとハンカチを差し出した。

「辛いの?」

多恵はハンカチで顔を押さえ、しゃくりあげながら、かすかに頷いた。

「そんなに、一人で背負わなくてもいいんだよ」

多恵は、かぶりを振った。

「ダメなの……」

ハンカチで抓んだ鼻声が、弱々しく漏れた。

「このホテル……もう潰れるのよ……」

玲丞の手が、背中を抱こうとして伸びかけたまま止まった。
朝顔が萎むように、手はゆっくりと力なく下ろされた。

「家も取られちゃう。せめて、せめて、あのひとを家で看取らせてあげたかった……。あのひと、家に帰りたがってるの」

「お母さん、そんなに悪いの?」

「もう意識が混濁して、コタのこともわからないらしいわ。ただ、家に帰りたいって、譫言みたいに言うんだって。……かわいそうな人。親に捨てられ、ご主人とは死に別れ、再婚相手には愛されず、そのうえ私みたいな厄介を押し付けられて……。あんなにやさしい人なのに、何一つ報われないまま死んでゆくなんて……。私はダメな娘よ。何もしてあげられない……」

多恵は再びむせび泣いた。
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