ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
「それで、これからどうするの?」

「まだ考えてない。まずは従業員たちに何とか条件の良い就職先を探して、それからね、自分のことは」

「ユキもとことん苦労性ねぇ」

自分が仕損じたのだからと、多恵は心の中で言った。

黒川との密約は破談した。
多恵はいく度も謝罪と再交渉の場を求めたけれど、黒川は腫れ物に触るように多恵を避け続けた。顔に泥を塗られて、えげつない報復をされても止むなしと覚悟していたから、良かったのか悪かったのか、拍子抜けもいいところだ。

多恵がティーカップに口をつけるのを待っていたように、司は訊ねた。

「あれから彼には逢った?」

いずれはその話題になるだろうと覚悟はしていた。
それでもあまりに唐突な振り方で、多恵は返答に詰まった。理玖も瑠衣をあやすふりをして、しっかりこちらへ耳を向けている。

「彼、あんたがいなくなってからもザナデューによく来てね、多恵はボストンに戻ったって言っても信じていないみたいで、いつも閉店まで独りで寂しそうに呑んでた。ドアが開くたびに振り返る姿が切なくって……。そりゃ、初めのうちは、あんたを傷つけたことに腹を立てていたけど、何だかあんまり気の毒で、何度も口を滑らしそうになったわ。そのうちパッタリと来なくなったけど、諦めちゃったのかしら……」

「司がきついことを言うからさ」

「ツカサ、か」

ここで茶化すのは軽薄だ。けれど自分を落とさなければ、とてもその先へ踏み込めそうになかった。

多恵は感情を読まれまいと、子どもに顔を移して、一旦表情筋を緩めた。

「夏に、ポラリスに来たわ」

「ほんと? それで?」

何を期待しているのか、司も理玖も目を輝かせて身を乗り出してくる。

「それだけ」

「それだけって……。あんたに逢いに行ったんじゃないの? 偶然だったの?」

「偶然じゃないわ。他に目的があって、来たのよ」

「他の目的って?」

多恵は口元に自嘲的な笑みを浮かべた。
それから一つ大きく息を吐くと、怪訝な司を真っ直ぐに見つめた。

「司、お願いがあるの」
< 129 / 154 >

この作品をシェア

pagetop