ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?

──カンナビ……。

壁に掲げられていたのは、見紛うこともない、緑の光さす泉。

あの場所──多恵を優しく迎えてくれた、魂の還る場所。
もう永遠に辿り着けないと思っていたその光景が、そこにあった。

木漏れ日の温もり、水の冷たさ、風の匂い、木々のさやめき、小鳥のさえずり、生き物たちの気配…… 。
静かであたたかい、まるでレンズ越しの〝彼〞のように。

──男のひとには祟るって、言ったのに。

玲丞が再びカメラを手にした。それは、最愛の人を失って止まっていた彼の時計が、時を刻み始めたということ。

──どんな女性なんだろう。私とは違って、純粋で素直な人なんだろうな。

嬉しいような、寂しいような気持ちが胸に広がる。
三年前、彼の愛が手に入らないことは切なかった。でも、亡き人を想い続けるその心こそ、多恵が愛したものだった。

だから多恵は、彼を死者の花園から連れ出そうとしなかった。
その瞬間、彼が遠くへ行ってしまうと、感じていたから。

胸は痛む。今でも彼を愛しているから。

ふと空気が流れた。
瞬間、心臓が止まりそうになった。

近づいてくる、靴の音。
聞き間違えるはずがない──いつも待ち侘びて、耳に神経を集中して、胸をときめかせたリズム。

まさか、こんな偶然があるなんて。

もっとも避けたかったその瞬間が、目の前に迫っていた。

身動きできない多恵の横で、靴音が、止まった。
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