ホテル ポラリス 彼女と彼とそのカレシ?
「さっきの人は、お姉さん?」
唐突に訊ねられて、多恵は酔いの回った目を上げた。
「誰のこと?」
「留守電の女性」
「ああ……、彼女は亡くなった父の後妻。あのひともご主人を亡くして、子連れ同士の再婚だったから、私にはまったく血の繋がらない弟もいるの」
「優しそうな人だね」
「ええ、優しい人。……優しすぎて、かわいそうな人」
多恵は電話機に目をやって、小さくため息を吐いた。
「父が再婚したのは、私が小学五年生のとき。難しい年頃だったし、彼女にはずいぶん反抗的だったわ。……反抗っていうより、無視ね。透明人間だと思うようにしてた。目の前にいても見えない、話しかけられても聞こえない……。人間、自分の存在を無視されることほど辛いことはないわ。そのうえ、周りの人たちはみんな私の味方だったから、彼女にとってはもう苛めよね」
多恵は、父の早すぎる再婚を憎悪した。亡き母を思慕するあまり、父に裏切られたという恨みと、男女の関係を不潔だと思う少女らしい嫌悪感で、父に対しても心を閉ざした。
いわんや新しい母親にはだ。
両親や祖父母の愛情を一身に受け、周囲から甘やかされることが当然のようにして育ってきた少女が、その時から甘えることをやめた。
その結果が、「君は強いから」と、恋人に振られる女だ。
「あのひとは、どんなに陰口を叩かれようと、ただ黙って悪役を演じていたわ。哀しいくらいいい人なの。それなのに私は、一度もあのひとの顔を真っ直ぐに見たことがなかった……」
項垂れる多恵の頭を、玲丞は慰めるようにぽんぽんと叩いた。
「今からでも、遅くないよ」
「いいえ」と、多恵は心の中で首を振った。
そんな日は、一生訪れない。死者への深い愛情が、多恵の心を捉えているからだ。