ホテル ポラリス 彼女と彼とそのカレシ？

4 『それは彼のことだよ』

朝のブリーティングを終え、館内の花を活け替えていた多恵は、インカムのイヤホンを押さえたままぶ然とし、それから薄く嗤った。

──ええ、行きましょう。行きますとも。その代わり、指名料をつけてやる。

多恵は、プールに面した半野外のラウンジバーＫｏｃａｂ(コカブ)で、モンゴメリー将軍並みのハードなドライマティーニとホワイトレディーを作り、プールサイドへと向かった。

今日も快晴だ。眩しすぎる日差しが、プールの青い水面ではしゃいで、充血した目を容赦なく射抜いた。

オリーブのプランターの向こうに、ウィッカーのリクライニングチェアに寝そべる男の姿を見て、勢い込んで来た多恵は、思わず足を止めた。

スイムウエアに裸の上半身。──当たり前なのに。

よく多恵の部屋でも、窓辺のカウチソファーに横になり本を読んでいた。
あの胸のなかで、いくど朝を迎えただろう。肌の温もりも、頬に伝わる鼓動も、汗の匂いも、まるで昨夜のことのように甦る。

多恵は、自分がどうしようもなく女であることがやりきれなかった。

潮騒が囁く。頬を風が撫でた。

パームツリーがさざめいて、本から目を離した玲丞が、多恵の姿に破顔した。
仕事でどんなに疲れていても、この笑顔に癒された。ずるい笑顔だ。

いかんいかん、と多恵は自らを叱咤して深呼吸をし、営業用のスマイルを貼りつけた。



「お待たせいたしました、藤崎様」

相手の顔も見ず、白いパラソルを広げたテーブルへカクテルグラスを並べ、伝票を差し出す。

「恐れ入りますが、サインをお願いいたします」

ふいに体が前のめりに崩れ、多恵は膝をついた。

「おやめください」

二の腕を掴む玲丞の手を、そっと押さえて制する。
声を潜めたのは、プールを挟んだ向かいのガゼボに、須藤の痩躯が髑髏のように横たわっていたからだ。

「どうして連絡をくれなかったの？　ずっと待っていたのに」

裸の胸が触れるほど近くて、頭に血が上りそう。
多恵は、玲丞の手を無理矢理引き剥がし、呼吸を整えて言った。

「シャンパンはホテルからのウェルカムサービスです。サインを戴く必要はございませんでしたので」

感情を抑えようとするのが、よけいに切り口上になっていた。

玲丞は、わけがわからないという顔をした。

「何を怒っているの？」

「怒っておりません」

「朝ご飯、抜いた？」

多恵はどんなに忙しくても朝食はしっかりと摂る主義だ。空腹は人を怒りっぽくさせるからと、以前、彼に言ったことがある。

確かに今朝は寝不足の顔のカバーリングに手間取り、朝食を摂る時間がなかった。

──それもこれもあなたのせいなのに！