ノスタルジージャーニー
出発
「遠井街行き、各駅停車、発車いたします」

ふたたび低音のアナウンスとともに、今時珍しいだろう、古い汽車は動き始めた。

僕は作家で、普段は家で字を書いていた。昔の友人にはもう会っていないが、きっと羨ましがられるのだろうと思う。それについて言及さえることを恐れての人付き合いならば、僕はする必要性を感じていなかった。だけれど、窓からの眺めを共に見ていた人達、傍にいて同じ時を過ごした人達、友人達のことを深く思った

作品を作ることや、誰かになにかを伝えたいって思いがあるとは思っていなかった。僕はただ紙に字を書いてインク塗れになることに憧れていた。それらの匂いや行為が好きだった。だから。最近ではパソコンで作品を作るのが主流になっているが、僕は自分の手で字を書くことにはこだわりを持っていた。窓からの緑を眺めていると、小学生の夏休みに慌てて絵日記にクレヨンで描いたひまわりを思い出した。

きっと本当は、その頃のクレヨンの匂いが好きで僕は作家になったんだ。こんなことも忘れていた。

だから効率のよいパソコンの作業を進められても、やり方を変えるつもりはなく、変えるなら作家をやめるしかないなって、"まるで子共みたい"と言われようとも貫いてきた。だけれど、本当にそうだったのかもしれないって、見透かされていたことに少し安心をするから不思議だ。

窓からは午後の柔らかい光が、少し薄汚れた窓から届く。

"とてもあたたかい"

あの頃のあたたかさはもう戻ってこないのだと思うと、心地よい気持ちに水を差してしまったと少し後悔をしたのだった。

僕は書く仕事以外の経験はなかったが、これは僕の適職だったと思っている。比較的スランプもなく書き続けることができたのは僕の力によるところだと思っていた。だけれどこの優しい光を見て思い出すのは、暑苦しいような、編集者との何度にも渡る構想の話し合いの日々だった。

それは時に嫌になり、時に新しいモノを僕に与えてくれたのだった。

そして、彼女と僕の間に、椿と楓が生まれたんだ。

それは僕が生まれてから初めて奇跡を感じた瞬間だった。
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