呪われし森の魔女は夕闇の騎士を救う

プロローグ

 背が高い木々に囲まれて、ぽっかりと広がる湖。静寂の中、鳥の声がかすかに聞こえている。穏やかな空気に包まれるその空間に、小さな家がぽつんと建っていた。

 その美しい景観を一度見れば、きっと誰もが魅了されるに違いない。だが、ここには誰一人ピクニックにも、一人の時間を過ごすためにも足を運ばない。いや、運べないのだ。何故ならば、その家や湖にたどり着くには「魔女の羅針盤」が必要だからだ。

「今日も良い天気ですね」

 ふわふわとした長い銀髪に、菫色の瞳を持つエーリエは19歳。独り言は彼女の癖だ。少しばかり顔立ちが幼い彼女は茶色いフードがついた外套を身に纏っており、手にはバケツを持っている。呑気に湖に近づき、膝をついて湖面を覗く。湖の透明度はかなり高く、容易に水中を見ることが出来た。

「おっ、獲れています!」

 仕掛けておいた罠を水から引き上げ、中身をバケツに移した。小さな魚が5匹。そのうちの1匹は食用にはならない、と摘まんで湖に戻す。

「今日の夕ご飯はお魚ですね。ふふっ、楽しみ」
 
 罠の中に魚の餌を新しく仕掛け、湖に再び入れる。濡れた指先を軽く振ってから、彼女は何か呪文を唱えた。すると、指先を濡らしていた水分がすっかり消える。

 さあ、家に帰って魚の処理を……そう思いながらバケツを持って立ち上がると、少し離れた茂みから、微かに人が近づいて来る気配がした。

「あっ、そういえば今日だったかしら」

 もしかしたら。王城からの使いにポーションを渡す日だったのでは。そう思い出すと同時に、がさがさと茂みから人影が現れる。

「ここは……」

 その人物はすらりとした体型で、騎士団らしい制服を着ていた。癖毛なのか、あちらこちらに跳ねる黒い髪。そして、顔の上半分を覆うように仮面をつけている。それに驚いてエーリエは「えっ」と小さい声をあげてしまった。

(あれは、えっと、なんと言うのでしたっけ。ううんと、そう、仮面。仮面というと、顔を隠して紳士淑女が夜会に出る……夜会? ここに来るのに夜会だと思って? 違いますよね……では一体……)

 一方、彼はこの湖畔の景色に驚いた様子を見せていた。その場に足を止めたまま、空を、木々を、湖を、そして家をまじまじと見て、最後にエーリエに視線を向けた。

「あら、ええっと……もしかして、いつもの方ではない……? 仮面をつけていらっしゃるんですね?」

 いつも彼女のところに来る騎士は、仮面をつけてはいなかったし、髪の色も違った。何か理由があって彼に羅針盤を預けたのか、あるいは羅針盤をその辺の盗賊に盗まれたのか。一瞬彼女は悩んだが、よく考えれば着ている服はいつも来てくれていた男性と同じものだ。ならば、きっと何か理由があって彼に預けたのだろうと思う。だが、仮面をつけるということは顔を隠すということで……と、ぐるぐる考える。

 彼女の問いに、仮面の男性は名乗った。

「魔女の家は、こちらで良いのだろうか……? 王城第三騎士団長、ノエル・ホキンス・ユークリッドと言う。第二騎士団長の代理で、ポーションを受け取りに来た」

 少し低い声。ああ、やはり彼は代理だったのだ、とエーリエは安心する。そして、その声はなんだか心地良いと思ったのだ。
< 1 / 59 >

この作品をシェア

pagetop