呪われし森の魔女は夕闇の騎士を救う
 その日、エーリエは森で薬草を大量に摘んで家に持ち帰り、それらでポーションを作る下処理をしていた。冬になる前に大量に摘んで、保存処理をしておかなければいけない。そして、すぐに使えるように汚れも落としておく必要がある。テーブルだけでなく、床にまで薬草を大量に摘み上げて、黙々と作業をしていた。

 作業をしている間は、ノエルのことを忘れられる。どうして彼を忘れなければいけないのか、それをエーリエは考えたくなかった。ただ、今は忘れていたい。来週になったら。来週になったら、ユークリッド公爵家に行くから、それまではあまり心を乱したくない……だから、今は忘れてもいいのだ。それが、彼女にとっての唯一の言い訳だ。

 ところが、そんな彼女のところに再びマールトがやって来た。だが、彼の様子はいつもとは違う。ドンドン、と強くドアを叩き、礼儀の弁えもなく「失礼する!」と大きい声をあげてドアを開けた。

「あら……? マールト様?」
「エーリエ!」
「は、はい。どうなさったんですか?」

 エーリエは、以前から着ていた薄汚れたワンピースを作業用として着ており、手にも顔にも薬草や土をつけたままだった。だが、そのことを彼女は忘れて、奥の部屋から慌てて出て来た。マールトの声があまりにも切実なものだったからだ。

「君の力が必要だ。助けてくれ!」
「えっ、え、え、一体何のお話ですか……?」
「ノエルが……ノエルが死にそうなんだ……!」
「ええっ……?」

 突然のマールトの言葉に、エーリエはどうも理解が追い付かない。そこへ、マールトはもう一度同じ言葉を告げた。

「ノエルが死にそうなんだ。助けてくれ……!」



 投石機のテスト中、片付けようとしていたものの安全装置が外れ、伸ばしたばねが離されたのだと言う。それは、構造上問題があるということで、最初から「これは駄目だ」と見送られたものだった。片付けようと動かしていた折、本来「あるべきではない」人が通る方向を向いていた。そして、悲しい事故が発生したのだと言う。マールトは「本当に信じられない話だが。偶然に偶然が重なってしまったようだ」と言って深いため息をついた。

 その場にいた聖女が彼の治癒を始めたところ、何かの呪術的なものに阻まれており、聖女の力があまり効かないのだと言う。だが、それでも彼女の力のおかげで、なんとかノエルは「死なない」状態を保っているらしい。とはいえ、それも時間の問題。聖女は何かしらの訓練を受けたことがあるわけでもない、肉体的にはただの女性。そう集中をしてずっと彼の治療を続けることは難しい。

「背骨が折れて、内臓も強く打ってしまったんじゃないかな……聖女の力でなんとか保っているんだけど、そこまでだ。それ以上の内部の修復が難しいらしくて。だが、それはそうなんだ。ノエルは、もともと治癒術師の力が効かない。彼が怪我をした時は、君のところから購入したポーションで直していてね……だが、今はポーションを飲ませてもむせて息が出来なくなってしまうし、ほとんど効かないんだ……」

 マールトはエーリエを乗せて馬を走らせる。出来るかどうかわからないが、エーリエに解呪をしてもらって、その上で聖女の力を使えないかと考えた、という話をする。

 エーリエは、自分にそんなことが出来るのかどうかはわからなかったが「例のポーション」や、解呪の道具を入れた袋を抱えて、馬の上で縮み上がっていた。解呪に使う道具は、あと1回分しかない。どうしよう、大丈夫だろうか。自分が力になれるのだろうか。いや、なれなければノエルは死んでしまう……ぐらぐらと彼女は同じことを堂々巡りに考え、表情が硬くなってしまう。

(ああ、お願い、ノエル様、ノエル様……!)

 馬鹿だ。どうして自分は彼に会いに行くことを一日二日、一週間と伸ばしていたのだろうか。いや、もし会っていたからといって回避を出来たわけではないが、それでも……。

 その後悔で胸の奥がちりちりと痛む気がする。悲しさに押しつぶされそうになって、目の端が熱くなった。だが、それよりも彼が無事であることを願う方が先だ、と彼女はぎゅっと瞳を閉じ、両手で道具を強く握りしめた。自分の祈りなんぞに価値があるわけではないと知っていたが、それでも今はそれが精一杯だ。

 マールトは馬を荒っぽく走らせ、予想以上の速さで王城に辿り着いた。なんだかエーリエも緊張をして、うまく呼吸が出来ない。彼に手を差し伸べてもらって馬から降り、初めての王城に彼女は足を踏み入れた。
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