呪われし森の魔女は夕闇の騎士を救う

17.ノエルの危機

 王城の通路を通っている間、マールトはあれこれ声をかけられたが、そのほとんどを無視した。王城の離れの一階の部屋のドアを、バン、と大きな音を立てて開ける。

「聖女様、ノエルは……!」
「マールト様! まだ、息がありますが、このままではもうすぐ……鎮痛はしていますが、それ以外の効果があまりなくて……わ、わたしが力尽きたら、その時はノエル様もっ……」

 そこには、ベッドの上にうつ伏せで横たわっているノエルと、彼を囲んだ神官や騎士数名、それからエーリエにはわからなかったが、ユークリッド公爵、そして、金髪の美しい女性が座っていた。その美しい女性が聖女であることは一目でわかる。彼女も力を使い過ぎたのか、それとも集中しすぎたのか、顔色が相当悪く見えた。

 そして、ノエルは背の中心が少し凹んでいる。背がそんな形で曲がることをエーリエは知らない。声が出そうになったがなんとか押しとどめる。むしろ、この状態で生きているならば、それはやはり聖女の力のおかげなのだろうとエーリエは理解をした。少しだけ見える彼の顔色は真っ青でぴくりとも動かないが、浅く呼吸はしているようだった。

「王城の治癒術師も、神殿の治癒術師でも駄目でした。聖女様のお力しかまったく効かなくて……!」

 一人の騎士が説明する。それはマールトにもわかっていたことだったが、つい彼の表情は険しくなる。

「エーリエ」
「はいっ……失礼します」

 エーリエは聖女の横に並び、ノエルの傍に座っててきぱきと道具を出す。その様子を見た聖女が、慌ててまくしたてた。

「あなたが、魔女様ですか……? あのっ、ノエル様の体に入っている、赤い何かに拒まれて……術が体の中に届かないんですっ……それが、体の前にも後ろにも入っていて……ノエル様は、わたしを庇ってくださったんです……! どうにか、どうにか出来ないでしょうか……」

 半泣きでエーリエに説明をする聖女。その後ろにマールトは立って、彼女の両肩に手を置くと「エーリエに任せてみてください。あなたは良くやってくれました」と告げた。聖女は両手で顔を覆って、苦しそうに「ああ……」と項垂れる。

「ノエル様……」

 エーリエは、解呪の道具を一つずつ並べながら、ノエルの様子をじっと見た。まだ生きている。生きているが、それだけだ。このままではマールトが言ったように本当に死んでしまうだろう……そう思うと、指が震える。

(わたしは治癒術師ではないけれど、前回と同じく解呪は出来るはず……この前の解呪は、自分から出て行った黒いものしか見ていなかったけれど、きっとノエル様からも出ていたのでしょうね。そして、それがすべて吸収される前に、自分から出ていた黒いものが石に吸収されたと思って、ノエル様の分が終わる前に石を封じてしまった……きっと、そういうことなのでしょう……)

 ここには湖がない。解呪をした後に、その石を封じる羽根だけでは心もとない。もしかしたら、呪いはもう一度ノエルに戻ってしまうかもしれないが……。

(それでも、羽根の上からカランゴの葉で包めば、少しの間は石から呪いが戻ることを防げるはず。その間にポーションを飲んでもらって……)

 道具を出す手が震える。エーリエは一度自分の胸元で手を組んで、深呼吸をした。

「今から、ノエル様の呪いを解呪します。まず、ノエル様の上半身の服を脱がせていただけますか。聖女様は終わるまで、お力を変わらず注いでいただきたいです。それから、マールト様、解呪が終わったら、このポーションをノエル様にすぐ飲ませてください」

 そう言ってエーリエはポーションをマールトに渡す。彼は、色が普通と違うポーションに一瞬戸惑ったようだったが「わかった」と頷き、瓶の蓋をとって反対側の枕元に座った。周囲の騎士たちがノエルの上半身を脱がせれば、背があからさまに凹んでいる上、胸側が少し突き出している。内出血が背中全体に広がっており、それを赤い呪いの痕――実際は痕ではなく呪いそのものだが――が覆うようにびっしり浮き上がっていた。エーリエは泣きたいところを必死で堪えた。

(ああ、本当だわ。ノエル様の体に、呪いが)

 自分が当時見えていれば、きっとノエルの顔にも同じものがあったのだとわかっただろう。赤い亀裂が背中にも胸側にある。体の方にはどれほどのものがあったのかは知らなかったが、顔からそれらが消えたことを考えれば、多分これでも体の方はだいぶ少なくなったのだろうと想像が出来る。感傷は不要だ。集中をしなければ……。どうにか心を落ち着けようと、胸元をとんとんと叩くエーリエ。

 床の上に、燃えないように陶器のトレイを置く。その上に、薬草、石、羽根、それから糸と、大きな葉っぱを並べる。まず、一番左に置いた草に手をかざした。

「カートル・ヘーナ・モンフィーナ・ガレアント・リーゼッ……」

 エーリエは呪文を唱える。声が掠れる。それでは駄目だ。きちんと詠唱をしないと……ばくばくと心臓の鼓動がうるさい。緊張が高まって、うまく舌が回らない。

 はあっ、と息をついて、彼女は自分の胸元を再び軽く叩いた。すると、近くにいた男性――ユークリッド公爵だ――が

「落ち着きなさい」

と、穏やかに声をかけてくる。驚いてエーリエは彼を見て、それから、頷いてもう一度深呼吸をした。呪文に魔力を乗せなければ。エーリエはいつも自分が読書や勉強をする時に行っている術を思い出しながら、心を落ち着けた。

「カートル・ヘーナ・モンフィーナ・ガレアント・リーゼル・ヘラッテ」

 床に膝をつき、手の平を薬草に当てて、円状に撫でながら呪文を繰り返す。何度も何度も繰り返していくと、薬草に火がついて青く燃え始めた。やがて、繰り返される呪文に反応をして、薬草は円形の炎に包まれながら宙に浮かんだ。その場にいる人々は「おお……」と感嘆の声をあげる。

 そして、その青い炎から白い煙が出て、エーリエとノエルの周囲に広がっていく。人々はその煙に巻き込まれないようにと一歩二歩後退をした。マールトとエーリエ、それから聖女と、エーリエに声をかけた男性だけが、なんとか踏みとどまって目をしばたかせる。

「カートル・ヘーナ・モンフィーナ・ガレアント・リーゼル・ヘラッテ」

 ノエルの背中、胸元、腕やら足やらから黒い煙が発生し、それらが石に吸い込まれていく。煙のせいで目を開けるのが難しかったが、出来る限り黒い煙をすべて吸い取らなければ、と涙目をこすりながらエーリエは呪文を唱えた。見極めが少し難しい。室内にいる人々も、目をこすったり咳き込んだりし始める。

(ああ、ノエル様から出ている煙は……わたしの体から出たものと、同じものだ)

 書物に書いてあった内容を思い出す。解呪で体内から放たれる「呪い」は色がついた煙のような姿で石に吸い込まれると。そして、それらは呪いをかけた術者の「署名」が生み出す色、形、匂い、そして魔力によって変化をするのだと。

 あまり魔力がないエーリエでもわかる。彼女はそう魔法を使えないが、それでも魔女と呼ばれる存在だ。
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