呪われし森の魔女は夕闇の騎士を救う
 やがて、エーリエは意を決し、震える声を発した。

「わ、わた、し……そのっ……みっともない格好で、お伺い、したので……」

 言葉にすれば、音として自分の耳に戻って来る。ああ、言ってしまった。黙っていればよかったのに……その後悔の念が膨らんでいき、どんどんエーリエの声は小さくなっていく。

「だっ、だから、その、明日も……その、新しい服は買ったのですが、きっと……その……集まられる方々の中では……浮いて、しまうかと……思いますので……」

 そこで、エーリエの言葉は切れた。しばらく、ノエルは続きを待っていたようだったが、エーリエにはそこまでを伝えるだけで精一杯で、俯いて口を引き結ぶ。ノエルからの視線を感じたが、それ以上彼女は口を開かなかった。

「……ああ、そう、そうか」

 ノエルの声。その言葉から彼の感情は伝わらない。エーリエはぎゅっと瞳を閉じた。こんな理由を口にするなんて恥ずかしい。嫌われないだろうか。今更、そんなことをと笑われないだろうか。最初からそうだったのに、何をいまさら、と。いや、きっとそう思うに違いない。あるいは、そんなものは平民なら仕方がないのではと言われるのではないか。ノエルの人柄や考え方はともかくとして、エーリエは自分を否定することをぐるぐると考えてしまって、顔をあげることが出来なくなった。

 そんな彼女を前にしたノエルは何やら考えこみ、いささか重たい空気が流れていた。だが、どうやら彼は何かを決めたようだった。

「わかった。エーリエ、明日は貸馬車もきっと忙しくて、会場と貸馬車屋の往復ばかりになると思う。もしかしたら長時間待ち、ということもあるかもしれない。だから、わたしの家から馬車を貸そう」
「えっ、そんな、申し訳ないです、いいです……」
「いいや。わたしが招待をしたのだから、君は気にする必要はない。それに、羅針盤を作ってくれた礼すら何もしていないので、それぐらいはさせて欲しい」

 ノエルはそう言うと「時間がないから」とテキパキとエーリエに指示をした。まるで、部下に仕事の指示をするような彼の様子にエーリエは驚き、慌てながら近くにあったペンと紙で走り書きをした。もはや約束ではなくそれは命令で、任務のようなものだとエーリエは思う。

「時間がないので、そろそろ失礼する」

 そう言ってノエルは少し慌てたようにランタンを手に持った。エーリエは「火をつけますね」と言ってランタンの蓋をずらした。気付けば、エーリエとノエルの距離は相当近づき、彼の息遣いがエーリエの耳に届く。

(えっ、えっ、あのっ、その……)

 こんなに近づいたことはなかっただろうか。王城で解呪をした時も、確かにここまで近くはなかった。彼の手をあの日握ったけれど、こんなに顔は近づいていなくて。

 エーリエの鼓動は高鳴る。こんな自分は知らない。こんな風に、誰かと近づいただけでどきどきして、呼吸をすることがままならなくなるような自分は知らない……。いつも、自分はどうやって息をしていたのだろう。そのことすら忘れ、彼女は「はあっ……」と大きく息を吸い込んだ。

「エーリエ」
「はい?」
「髪が、ランタンに入る」

 見れば、確かにエーリエの耳からさらりと髪は流れ、火をつけようとしていたランタンの蓋の部分に触れてしまっていた。ノエルはその髪に指を軽く絡ませ、すっと彼女の耳の方へと持っていく。たったそれだけの動作に、エーリエは頬を紅潮させた。

 そうっとノエルを見上げると、ノエルの端正な顔立ちがそこにある。今まで何度も見ていたはずなのに「そのこと」に今ようやく気付いて、エーリエは目を瞬いた。

(もしかして、ノエル様って……)

 顔が、良いのかもしれない。良いという言葉はおかしいかもしれないけれど……。

 それまで、エーリエは人の顔についてどうこう考える余裕はなかったし、それこそ美醜のようなものを考えたことはあまりなかった。更には、一応「かっこいい」という言葉を知りながらも、そうである「モノ」を彼女はよくわかっていなかった。

 だが、今ならわかる気がする。きっと。きっと、勘違いではなければ、彼はそうだ。かっこよいのだ。エーリエは彼を見上げて、ぼうっとする。ノエルは彼女のその様子を訝し気に見つめ「エーリエ?」と声をかけた。

「あっ、ごめんなさい。火をつけますね」

 はっとなって、慌てて呪文を詠唱するエーリエ。彼女は火の魔法が得意ではないため、小さな炎を生み出すだけでも呪文が必要だ。だが、ノエルはそれに文句を言わずに静かに待ってくれた。

 ぽっ、とランタンの中の蝋燭の芯に炎が灯る。ふわりと温かさを顔の皮膚で感じて蓋をしめ、エーリエは数歩下がった。

「ありがとう。では、明日」

 そう言ってノエルは彼女の家を出て行った。パタン、と閉まった扉をしばらく見つめて、それから深いため息をつく。

「ああ、気づかなかったけれど……ノエル様って……」

 きっと、かっこよいのだ。ようやくエーリエは理解をした。そう言えば、訓練所に集まっていた貴族子女たちが言っていたではないか。素敵だと。かっこよいと。それを、剣の腕前の話だと勘違いしていたことを、やっと彼女は理解をした。

「だったら、余計に……」

 自分のような者には、本来手が届かない相手なのだ。そう思って、少しだけしょげる。だが、何にせよ明日への招待を無下にすることはない。仕方がないので、明日はちょっと早く起きて準備をしよう……そう思いながら、どっどっど、となんだか早い鼓動を落ち着かせるため、ぎゅっと手を胸の前で組み、静かに俯いた。
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