呪われし森の魔女は夕闇の騎士を救う

5.エーリエの事情

 エーリエは、生まれながらに人の顔がほとんど見えない呪いを受けていた。生まれながらとは、どういうことだ、とノエルが問えば「母は、人の姿がぼんやりと黒い塊に見える呪いを受けていたようです」と答えた。どうやら、母親が彼女を身ごもっている間に呪いを受けた影響らしい。

 おかげで、生まれた彼女を母親はうまく育てることが出来ず、この森の魔女のところにやってきたのだと言う。母親はその呪いを祓うためにこの家にある書架を漁った。だが、呪いを祓う方法は見つからず、エーリエが5歳の頃亡くなったそうだ。

 そして、ここに住んでいた魔女がエーリエを育てた。だが、エーリエが11歳のころに魔女も亡くなり、彼女は天涯孤独になった。その年齢でたった一人。可哀相なことだ、とノエルは眉をしかめる。それに、何よりも。

「呪いか……」

 呪い。それはノエルにとっては身近なものだった。だが、他の人々にとってはそうではないはずだ。まさか、自分のように呪いにかかっている者に会えるとは思ってもみなかった。

 呪いを仕掛ける呪術師の数も、魔女と同じくそう多くはない。一体何があってエーリエの母親に呪いをかけられたのかと思う。

「ですから、わたし魔女らしいことをそんなには出来なくて……出来ることと言えばポーションを作ることと、えっと、術、術は少しだけ魔女様に教えてもらって。自分でも書物から習得はしましたが……人の見わけがあまりつかないので、ここから出ないで暮らしています」

 子供の頃は、何度か城下町にも行ったのだと言う。だが、店に行っても「人の顔がわからない」ため、初めてではないのにいつも「初めまして」になってしまうし、人の顔を見て察することが出来ない。何をするにも人の顔が見えないことはデメリットになり、手間取ってゆっくりしたテンポでいたら「なんだか愚図な子だね」と言われ、やがて彼女は森に引きこもることになった。

 ポーション作りは先代魔女の頃から王城と取引があったようで、それだけは彼女がしっかりと受け継いだ。ここ二ヶ月はマールトが来るようになったが、当然彼の顔を彼女は知らないので「明るい方ですよね」という感想しかない。

(やつの甘い顔立ちも、彼女には意味がないということか)

 少しだけそれは面白いと思ったが、何にせよ彼女が苦労をしているということはノエルにだってわかる。

「もしかして、この前」
「はい?」
「君の瞳の色を話した時……」

 そのノエルの言葉に、はっとエーリエは思い出したようだ。それから、恥ずかしそうにノエルに問いかける。

「あの、わたしの瞳は、何色なんでしょうか……そのう、見えないので、見たことがないですし、魔女様にもお伺いしていなかったのです。むしろ、気にしたこともありませんでした……」

その問いに、エーリエの瞳の色が菫色だと伝えると、彼女は

「まあ……菫色。菫の色。菫ならば知っています……ノエル様の瞳の色は何色なんですか」
「赤だ」
「まあ、赤。そうなんですねぇ……どんな赤なのかしら。ふふ」

と、はにかみながら微笑んだ。それを見て「人の顔が見えないのに、笑うことが出来るのか」とノエルは思う。ああ、そうか。彼女の笑みは、自然にこぼれている笑みなのだ。きっと、彼女は表情を偽ることも出来ないだろう。だって、どんな表情をしている時に、どんな感情が現れるのかなんて、そんなことを知らないのだから。

「なので、その、仮面をとっていただいても大丈夫なんです。わたしには、まったくお顔が見えませんので……」
「ああ、確かにそうだな」

 ノエルはぱちぱちと目を瞬いて、それから仮面を外した。仮面の下の皮膚、目の周辺から頬の途中までには、まるで細やかな亀裂が走っているような赤い線が浮き出ている。だが、エーリエは言葉通り「見えない」ようで、何も言わずに微笑んでいるだけだ。

 彼とて、本当は仮面を被りたくはない。かすかに視界を邪魔するそれは、眼球を動かす時に僅かに皮膚が押さえられてひきつれる。だが、それがないようなものをつければ、今度は目の端に肌から少し離れた浮いたふちが見えて困る。そして、何より夏の間は仮面を被っている場所とそうではない場所とで、日に焼けて肌の色が変わってしまう。それらは彼を困らせていた。

 彼は、仮面を静かに顔から取って手元に置き、改めて一口茶を飲んだ。

「美味い」

 不思議だ。なんだか、それだけで茶がうまく感じる。魔女の家だからなのか、と考えて、いや、そんな曖昧なことを……と苦笑いを作る。エーリエは彼の「美味い」だけを聞いて、ふんわりと喜びの笑みを浮かべた。

「よかった! それでは、ポーションを作ってきますので、ゆっくりなさっていてくださいね」

 自分の苦笑いを見られたのではないか、と一瞬ノエルは思ったが、そうではない。彼女には、自分の顔が見えないのだ……と、慣れぬことを考えながら、彼女の背中を見送った。
< 9 / 59 >

この作品をシェア

pagetop