天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「鶯、ただいま」
「おかえりなさい、萌黄。御所はどうでしたか? 粗相(そそう)のないようにご挨拶できましたか?」
「子どもじゃないんだから大丈夫よ。緊張したけどちゃんとご挨拶できたから」

 萌黄は私にそう話すと、(かしこ)まって黒緋にお辞儀しました。

「ただいま戻りました」
「おかえり、萌黄。そんなに(かしこ)まってもらわなくてもいいんだが」

 (うやま)う態度を崩さない萌黄に黒緋が苦笑して言いました。
 昨日から黒緋は気楽にしてほしいと萌黄に言っていますが、斎王の萌黄は断固として譲らないのです。

「それは許されません。あなた様は天帝です。斎王の私は天帝にお(つか)えするのが役目です」

 やっぱり譲らない萌黄に、「強情なところは鶯と同じだな」と黒緋は肩を竦めました。
 でも黒緋は優しい眼差しで萌黄を見つめます。

「萌黄、御所の話を聞かせてくれないか? お前とゆっくり話がしたい」
「はい、喜んで」

 頷いた萌黄に黒緋も嬉しそうに頷きます。
 黒緋は「さあ中へ」と萌黄を促しながら私を振り返りました。

「鶯、お前も一緒に来い」

 黒緋は当たり前のように私を誘ってくれました。
 でも一歩も動くことはできませんでした。
 萌黄に向けられる黒緋の眼差し。そして萌黄の背中に添えられた黒緋の手。
 それを目にし、私の顔が強張っていく。
 意識していなければ汚い言葉を()いてしまいそう。

「……いいえ、私は掃除が終わっていませんので」
「掃除は後でもいいだろ」
「いえ、途中で放り出すわけにはいきません」

 せっかく黒緋が誘ってくれたのに一緒に行くことができません。
 黒緋と萌黄が楽しそうに笑いあう姿など見たくなかったのです。

「お前は強情だな」

 少し呆れた口調の黒緋に胸がツキンと痛む。
 しかしいつもの()ました表情を装いました。

「中途半端は庭園の景観(けいかん)(そこ)ないます。よくありません」
「……分かった。だが、終わったらお前も来い」

 黒緋はそう言うと、萌黄を連れだって寝殿へ歩いていきました。
 二人を見送って、その姿が見えなくなった頃。

「っ……」

 私の貼りつけていた表情が崩れていってしまう。
 (ゆが)んでいくそれを隠すように(うつむ)き、庭箒をぎゅっと握りしめました。





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