彼に抱かれ愛を弾く 〜ベリが丘恋物語〜
金曜日、患者さんの容態が安定していることもあり、15時には仕事を終えた。
今日は手術もしていない。俺の中の獣が顔を出すこともないはずだ。美音のもとへ帰ろう。

荷物を取りにホテルへ戻った。
念の為、ジムで汗を流す。美音を襲ってしまわないよう、なるべく体力を消耗させなければと、必死にトレーニングする。
我ながら何やってんだと自嘲した。

ロビーに降りると、意想外の人物がソファーに腰掛けていた。深く帽子を被り、大きめのサングラスで一応変装はしているらしいが、廣藤愛莉だと丸わかりだ。

「先生」

「何故ここに?」

「先生の居場所は常に把握しています」

当たり前のように話す声のトーンに恐怖さえ抱いてしまう。

「お話があります」

「何でしょうか?」

「場所を移したいのですが」

「ここでは話せないことですか?」

「はい」

「だったら話は聞けません。そろそろ帰宅したいので失礼します」

「どうしてここに泊まっていたんですか?」

彼女の横を通り過ぎようとする俺に投げかけてきた。

「貴女に話す義理はないですね。失礼します」

背を向け正面エントランスに向かって足を踏み出したその時、ドサッ!と鈍い音がして振り返ると、廣藤愛莉が倒れていた。
慌てて駆け寄り呼びかける。

「わかりますか?」

フロントにいたホテルの女性スタッフも駆け寄った。

「お客様!」

俺は下瞼の裏を確認する。白い。貧血か……

「救急車を呼びますか?」

「そうですね、倒れた際、頭を打っているかも知れません。お願いします」

そのやり取りに反応した廣藤愛莉が声を上げる。

「大丈夫です!頭は打っていません!ただ目眩がしただけです。表に迎えの車が来るので、そこまで運んでもらえますか?先生」

「お客様はお医者様でいらっしゃいますか?」

「私の主治医です」

は? 何を言っているんだこいつは!

「先生、患者を置き去りにするなんてことはしませんよね?」

これが演技だとはわかっている。だが、心のどこかで、もしかしたら何か病が隠れているのかも知れない。そういった医者としての使命感が俺を動かしてしまうのだ。
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