三十路アイドルはじめます

9.一瞬で僕の心を奪ったあなたは僕のアイドルです。

 林太郎が帰ると、私は事務所で1人の時間を過ごした。

 『フルーティーズ』の振り付けを作ることができたが、難し過ぎなものになってしまったかもしれない。
 最近のアイドルの振り付けを見ていると、子供でもできる簡単なものにわざとして流行を作り出している気がする。

「さようなら」
 生徒さん達を全て見送って事務所の鍵を閉める。

 生徒さんは授業が終わると、自習して帰る子が多かった。
 事務所にとにかくいることを要求され、あまり人と話したりしないこの仕事は割と孤独だ。
(林太郎と仲良くなっておいて良かったかも)

 結局、ハローワークにも行きそびれてしまった。
 明日は午前中『メディサテライト』での仕事で、午後芸能事務所に行くからその後に行けば良い。

 早く部屋に帰って休みたかったのに、マンションの前には最も会いたくない人が私を待っていた。

「きらり! お前なんで俺の電話無視してるんだよ。昨日もせっかくレストラン予約したのに来なかったし」
 私を責めるように言ってくる雅紀は違う世界線から来た雅紀かもしれない。
 昨日の記憶があったらこんなことが言える訳がない。

「昨日、私達お別れしたよね。まさか、ルナさんに振られたから私のところに来た訳?」
「違うよ。本命はきらりに決まっているだろ。俺たち14年以上も付き合って来たんだから」
 雅紀が悪びれもせずに迫ってきて殺意が沸いた。

「結婚までして、ルナさんのお腹には子供までいるんだから、ルナさんのこと大切にしなさいよ!」
「それが、今、離婚するって方に話が向かっているんだよ。きらりがもっと上手くやってくれれば良かったんじゃないか? そうすればルナから金銭的援助を受けられて、きらりに楽をさせてあげられるって俺は思っていたんだ」

 14年前、高校2年生の時に目立たないけれど懸命に裏方の仕事をやっている雅紀を好きになった。
 思いやりを持っていた彼がどうしてこんな自分勝手な男になってしまったのか。
 最大の原因は甘やかし過ぎた私な気がする。

「とにかく、ここ、私のマンションの前だから帰ってくれる? もう、雅紀とやり直すとか考えていないし。一生あんたとは関わりたくない!」
 雅紀は自分が自分の家の前で騒がれたら嫌だろうに、私の生活圏では平気で揉めてくる。
「ちゃんと、話そう。とりあえず、部屋に入れてよ」
 私の腰に手を回してこようとする雅紀に気持ち悪さを感じて避けようとしたら、雅紀の手をねじ上げる手があった。

「痛っ! 何するんだよお前!」
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