三十路アイドルはじめます

2.嘘⋯⋯私が不倫相手なの?

 タクシーの中、私は富田ルナに向き合った。

 彼女に私の職場で大暴れしたことについて、注意をしようと思った。

「富田ルナさん。私、あなたを名誉毀損で訴えるかもしれないから学校名と住所から教えてくれますか?」

 まだ、若い上に妊婦の彼女を訴えるつもりはない。

 そんなストレスを与えて、罪もない赤ちゃんに何かあったら大変だ。
 それよりも、2度と大きな騒ぎを会社で起こしにこないように脅しの意味で私は彼女にプライバシーを尋ねた。

「赤山音楽大学2年富田ルナでーす。実家の住所は港区白金⋯⋯今は、雅紀とパパが買ってくれた実家近くのタワーマンションに住んでまーす。貧乏不倫ババアの家は調べたから教えてくれなくて良いよ! うちの玄関くらいの広さの部屋に住んでるんだね」

 ルナはあっけらかんと自分のプライバシーを晒してきた。

 よく見ると彼女のカバンは100万円以上するものだ。
 住んでいる場所からも、かなりのお金持ちのお嬢様といった印象だ。

 ルナは私を咎めなければ済まないようだが、私は明日、会社で何を言われるのかが怖くてそれどころではない。

 不倫の事実はなくても、あれだけの騒ぎを職場で起こされてしまっている。
 彼女のことを非難したい気持ちを、彼女は妊婦だと言い聞かせて沈めた。

「今、何歳なの? 三十路くらい? そんな年で結婚してないってやばくない? その年まで誰にも選んで貰えなかったの?」

 ルナは私を咎めるように言ってくるが、彼女も私の存在に動揺しているのか唇が震えている。

「私は今日で30歳です。私は⋯⋯自分は将来、雅紀と結婚すると思っていました。私、彼しか男を知らないし」

 10歳も年下の子が煽るように言ってきた言葉にダメージを喰らった。
 選ぶも選ばないも何も初めての彼氏が雅紀で、彼のために尽くして生きてきて、それがこれからも続くと思っていた。

 本当に雅紀が二股をかけていたら許せない。
(新渋谷病院のロビーで暴れてやろうかしら⋯⋯いや、病院だし他の患者の迷惑になるわ)

「不倫ババアの名前、きらりって超キラキラネームじゃん。親、低学歴のヤンキーなの? よく、そんな名前で就職できたね」

 唐突に富田ルナが私の名前について話題を変えてきた。
 彼女は沈黙に耐えられずに必死に私を責める話題を探しているように見える。
(私も、若い頃は無言に耐えられなくてひたすらに喋っていたな⋯⋯)

 彼女の言葉に私は沸々と込み上げてくる怒りを必死に抑えた。
 彼女はお金持ちかもしれないけれど、言葉使いも乱暴だし我儘な子だ。
(雅紀、本当にこんな幼い子と浮気したの?)

「ルナさん、近い未来あなたもお腹の子供に願いを持って名前をつけると思いますよ。私の親も私に願いを持って名前を付けているんです。私を非難したくて仕方ないのは我慢するけれど、うちの親を咎めるのは許せません。ルナって可愛い名前ですね。さあ、着きましたよ」

 タクシー料金をカードで払うと私はルナと共に、病院のロビーに行った。

 総合受付で雅紀を呼んでもらおうと思い受付の人に声をかけた。
「あの、研修医の⋯⋯」

「ルナ!」
 エスカレーターを駆け降りてくる14年以上付き合った私の雅紀が見えた。

 明らかに彼は私を無視して、隣にいる富田ルナに声を掛けて駆けつけている。
(嘘⋯⋯私が不倫相手なの?)

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