君と青空を泳ぐ
三章 自分を殺して生きる
あれからすぐ夏休みに入り、八月は暑さだけを残してあっという間に過ぎ去ってしまった。今日は休み明け初日の学校だ。結局、翔くんと話し合った結果、今までより少しだけ関わる頻度を落とすことにした。もちろん変わらず翔くんのことは好きだし、仲が悪くなったわけではない。けれど私からお願いした。翔くんに甘えすぎないように、彼に見合う自分になれるように、できるだけ一人で頑張りたいからという理由で。

「おはよう」

「奏おはよう」

「雪葉関東大会まで行ったんすごいねえ。朝登校した時に、横断幕貼られとったの見たよ」

同じクラスの羽鳥奏。地方からこの高校に来たらしく、時々言葉が訛っている。

「そ、そうかな。関東大会で失敗しちゃって、全国まで行けなかったから個人的にはあんまり納得いってないんだけど」

「いやあ。関東大会だってそう簡単に行けんよ」

「そうかなあ」

「そうだよ。もっと自信持ってって」

「おはよー!奏は今日もかわいいねえ」

私が奏に励まされていると、教室の扉が勢いよく開いて、二人の女子生徒が入ってきた。心美、実波だ。

元々私は奏としか喋っていなかったけれど、奏と仲の良かった二人とも自然と話す機会が増えて、今のグループができた。

「おはよ。心美いっつも言っとる。そんなに私のこと褒めてもなんも出んよ」

「私は思ったこと言ってるだけだもーん」

心美のわざとらしいもの言いにみんなの中で少し笑いが起こる。つづけて実波がスマホを取りだして画面を見せてくる。本来学校内でのスマホの使用は原則禁止されているが、先生がいない時は皆バレないように使っている。

「これみて、恋愛性格診断。もし付き合ったら自分が何系の恋人になるか診断できるんだって。みんなでやろうよ。心美と奏は飼い主系とペット系だろうね」

「そんな変なカテゴリーあるの?」

不思議に思って聞いてみる。何とか、会話に入るための術でもあった。

「いや知らん」

「適当言ったなこいつ」

横で聞いていた心美が適当こいた実波のほっぺたをつつく。その後に実波が診断のリンクをグループチャットに送ってくれた。みると、心美はもう既に黙々と診断を始めている。みんながそれに続いて各々のスマホで回答する。私も遅れないように、スマホを取り出した。内心今先生が教室に入ってきたらどうしようかとドキドキしていたが、私だけやらない訳にはいかない。

「うわ!出たよ!私ライオン系だって」

一番最初に声をあげたのは最も早く診断に取り掛かっていた心美だった。

「ライオン系てなに!」

心美の診断結果をみて大笑いする実波。

「ねえー!やめてよライオン系彼女とか聞いたことないんだけど」

それに顔を膨らませる素振りをして心美が抗議する。

「私はうさぎ系だよー。こりゃモテ期来たな」

「はああ?私がライオンで実波がうさぎとかありえないんだけど!」

「ふふっ。普段のかわいさが足りんのだよかわいさが」

心美と実波が楽しそうに会話を繰り広げる。その傍らで私も診断を終えて、結果をタップする。

ぱっと表示されたそこには小型犬のイラストとともにチワワ系との文字が書かれていた。私だけ何故か犬種まで指定されている。翔くんによく犬っぽいって言われているからあながち間違ってないかもしれない。

一通り説明を読んで顔をあげると、皆がふるふると震えている。目線が集まる先をみると、奏がスマホをこちらに向けていた。そこには、大きなあくびをしているカバのイラストが描かれていた。

「奏、カバ系……?」

「なんこれ!カバ系彼女って、バカにしとる」

「カバだけに?」

「うるさいわ!」

どわっとみんなが笑う。腹を抱えながら、心美が実波の制服の裾を引っ張った。

「実波、これどこから持ってきた診断なの!絶対適当でしょ」

「夏休み中、知らないアカウントからこの診断をしたら相性ピッタリの恋人が二日以内に出来ますっていうDM来たからやってみた。やってから二週間くらい経つけど私の王子様まだかな。道に迷ってるなら迎えに行かないと」

「うおおおいそれほんとに大丈夫なやつ!?」

その時、ガララッと教室の扉が開き、次の教科担当の先生が教室に入ってきた。みんな瞬時にスマホをしまい、それぞれの席へと戻る。

次の授業の教科は英語だった。夏休みの課題として出された、海外の文化について書いたレポートをグループでまとめあげて英語で発表するらしい。今日はその発表に向けた準備をするとのことだった。早速先生に促され、席の近い四人とグループになって話し合いを始める。

「くそだるくね?」

「いやそれな」

開始早々、聞こえてきたのは同じグループの男子の会話だった。

「適当でいいよねー」

それに私の他にいたもう一人の女の子も賛同する。正直私も大してやる気はなかったので皆に合わせた反応をしておく。

「そうねーだいたい原稿だけ作って発表さえ出来るようにしとけばいいよね」

みんながうんうんと頷き、やる気のないグループ発表の方針が決定する。一応それぞれ調べてきたことを教えあって、それなりに発表の準備は整った。

授業の残り時間が五分になったところで、先生が手を叩き、生徒の注目を集めた。

「次回今日まとめたことを発表してもらうんだが、全員にやって貰う時間はないから、グループで誰が一人代表者を決めて、その人に発表してもらう形式にしようと思う。今決めなくてもいいが発表までには誰にするか相談しといてくれ」

先生の言葉を聞くや否やそこかしこのグループで、じゃんけん大会が始まっていた。だいたい決め事がある時は、相談よりも平等かつ迅速に決着が着くので運に任せるのが恒例だ。私のグループもきっとそうなるだろうと、他の三人を見ると、いきなり一人の男子がこちらに向かって手を合わせながら頭を下げて来た。

「おれまじで英語できなくてさ、発表お願いできないかな?見た感じ菊坂さんのレポートがいちばん出来よかったと思ったから!」

褒めているようで褒めていない。発表を私に押し付けるためのお世辞だ。私だって英語どころか勉強全般苦手で、このレポートもだいぶ雑にやった自信がある。

私は俯いてしばらく考える。本当はやりたくない。でも、ここで私が断ったら、結局他の誰かがやらなければいけない。こういう時、翔くんだったらどうするだろうか。きっと、あの優しい笑顔を向けて、いいよと言って引き受けるに違いない。たぶんこの発表も翔くんのグループは翔くんが代表としてみんなの前に立つだろうと思う。

ちらりと他のグループにいる翔くんの方を一瞥する。相変わらず誰とでも楽しそうに話していて、優しい雰囲気を醸し出しているのがこちらまで伝わってくる。みんなに好かれる人になるためにも、私は……

「わかった。私がやるよ」

「本当に!?ありがとう!まじで助かる」

私の言葉を聞くと、先程の男子は驚いた様子をしたあとで、大袈裟に感謝を述べた。その様子を見て、少し心が暖かくなる。もちろん発表することは嫌だったけれど、誰かのためになれたことが、感謝されたことが、私の心を少し浮つかせた。


「部長!今日の練習メニューはなんですか」

一日の授業が終わり、プールサイドで準備運動をしていると後輩に話しかけられた。夏の大会が終わり、三年生が引退すると、部長は二年生のメンバーから選ばれることになる。

それに私は自ら立候補した。来年の全国大会に行くための覚悟でもあったし、翔くんと話した、頑張る自分になりたかったからでもあった。

「そうだなーまあ前半の練習の出来次第では後半のメイン練習楽なのにしようかな」

冗談めかして言うと、後輩は

「わかりました!前半の練習全力で頑張ります!」

と律儀に返事をしてくれた。

相変わらず練習はきつかったけれど、最近は自分が成長してる気がして少し楽しくなっていた。

部長になると、いつもと同じ練習の景色がちょっと変わって見えて、なんだか不思議だ。責任感とか、そういったものが関係しているのかもしれない。


「はうううう」

部活が終わり、学校から帰ると、変わらずベッドに倒れ込む。この瞬間の為に生きていると言っても過言では無い。けれど、私の幸せの瞬間には決まって邪魔が入る。

「もうご飯だからリビング来て」

「はいはい」

お母さんに呼ばれた私は、また喧嘩になる前に食卓の席に着く。見渡すと、メインディッシュにはエビフライと付け合せの肉じゃが置かれていた。これは一体どういう組み合わせなんだろう。思うけれど我が家ではよくあることなので、考えるのはそこそこにして、箸を持つ。

「ねえ、翔くんとはどうなの?まだ続いてる?最近デートした?」

あの日から、口を開くといつもこれだ。お母さんにもお父さんにも翔くんと付き合っていることを言っていなかったから、私たちの様子が気になって仕方ないらしい。いい加減鬱陶しいと思うけれど、それとなく受け答えをしておく。

「まあそれなりに仲良くしてるよ」

「ええー?それだけ?そろそろちゅーした?」
私は思わず飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになる。

「し、してないわ!」

「なんだー。参考に私とお父さんの初キッスのはなし聞かせてあげてもいいよ」

「もう何回も聞いたよ。てか翔くんのことこれ以上聞かないで!」

少し不機嫌な態度を取りながら、私はそれ以降黙ってご飯をかき込む。

「ご馳走様」

できるだけ翔くんのことを聞かれないように急いでご飯を食べ終えると、それだけを吐き捨てるようにして、自分の部屋に戻った。関東大会を終えて帰ったあの日、少しお母さんの違う一面を見た気がしたけれど、それはその一瞬だけで、今は変わらずイライラすることが多い。

部屋に戻ると、ベッドに寝転がりたくなるのを何とか堪えて、勉強机へと向かった。今日引き受けた発表原稿の推敲と、私らしくもなく、少し勉強をしてみようと思ったからだ。今まではテスト前に焦って詰め込むことが多かったけれど、今回は前々から予習と復習を繰り返して、好成績を狙うつもりだ。そしたら、翔くんは驚いてくれるかもしれない。もっとすきになってくれるかもしれない。そんな期待を持つと、少しやる気が湧き出てくる。

その前に、今日の出来事を思い出して、翔くんのチャットにリンクを転送する。今日の朝みんなでやった恋愛性格診断だ。返信が来るのを楽しみに、一旦それまで勉強を進めることに決めた。最初の目標のハードルは低い方がいいって言うし。
今まではほとんどいつも一緒に帰っていたのに、今日は別々だった上、教室でもあまり話さなかったから、さすがに翔くんパワーが足りてない。大会の日のカラオケで翔くんに貰った飴玉が机の上に置いてあったので、口に放り込んでおく。

翔くんへの気持ちを落ちつかせ、一度スマホを置いてから化学の教科書を開く。

「おお、なんか書きこんである。えらい私。なになに、リッチに貸そうかな、まああてにすんな、ひどすぎる借金」

横にはイオン化傾向語呂合わせという文字と、それを囲う丸印が書き込まれている。

「ほえー」

よく分からなかったので次のページをめくる。すると、おかしなことにもっとよく分からなかったので次のページをめくる。また次のページをめくる。

「うぇーい。助けて翔くん」

一人でぼやくと、それに答えるみたいに、スマホが通知音を鳴らした。開くと、翔くんから診断結果のスクショが送られてきていた。そこにはバイ菌みたいなイラストと共に猫悪魔系と記されたものが貼られていた。

「この診断、変なのばっかり。でもちょっとぽいかも」

たまにみせるいたずらっぽいところと、普段のクールな所を比べて思い出してみる。あのギャップがいつも私をだめにさせる。ぼんやり頭の中の翔くんの姿を眺めると、頭に猫耳が生えて、腰には悪魔のしっぽが生えていた気がしてくる。

『翔くんの診断めっちゃ当たってる。私のこといつもたぶらかすし』

と送っておいた。ついでに先程勉強していたところについても聞こうか迷ったけれど、もう少し自分で頑張れる気がしてやめた。

「酷すぎる借金覚えたぞー」

何とか語呂合わせを覚えて、一息つく。時計を見ると、教科書を開いてから三十分が経っていた。私にしてはかなり頑張った方だ。

けれど今日はこれだけでは終われない。横に置いていた英語の発表原稿を引き寄せる。今日の授業で適当にまとめただけのこれを完成まで持っていき、来週までに暗記しなければいけない。

なれないことをして身体は酷く疲れているけれど、どこか達成感もあって、少し気持ちがいい。そのまま発表原稿を書き進めて、かなり時間が経ったことに気がついたのはお母さんにお風呂に入らないのか聞かれた時だった。午後十一時を回っていた。流石にこれ以上は明日に支障が出るので、一旦筆を置き、さっとお風呂を済ませた。

「今日は私めちゃくちゃ頑張ったからね」

その他諸々、寝る準備を終えて部屋に戻った私は、自分で自分を褒めながら、満を持してベッドにダイブする。ふかふかの布団が今日の私の頑張りを全て認めてくれているみたいだ。

ようやく休憩の時間になった私は、そのままうつ伏せの状態でスマホの画面を開く。動物の動画を見るのも好きだけれど、最近はぴちぴちくんというキャラクターにはまっている。魚の形をした体に四つの足が付いていてヒラメみたいな顔をしている。アプリを開くと、今日もいくつかのぴちぴちくんの動画がおすすめとして流れてきた。それをタップすると、ぴちぴちくんが一発芸を披露していた。それを見て、一人でクスクスと笑う。

しばらくそのまま動画を見て、夜が更けた頃に私はスマホを置いた。部屋の電気を消そうとベッドから降りたところで、あることを思い出す。机の引き出しを引いて、中に入っている大量の翔くんとのプリクラのうちの一枚を取り出した。それを枕の下に入れる。

翔くんには内緒だけれど、こうして毎日プリクラを枕の下に入れている。枕の下に好きな人の写真を置いておくと、自分の夢に出てくるらしい。少し前に読んだ少女漫画の主人公がやっていた。

本当は少し、こんなことをしている自分がストーカーみたいで異常な気がして怖い。当然、翔くんにも引かれるかもしれないし、引かれなかったとしても激重女扱いされるのが目に見えているから言えていない。私の中だけの秘密だ。


かれこれ二十分くらいの間ずっと教室が静まり返っている。目の前の黒板には文化祭実行委員各クラス三名の文字。先生は「誰かいないか簡単な仕事しかないから。推薦でもいいぞ」とみんなに呼びかけてから黙ったままだ。

うちの学校は十月の前半に文化祭があるので、そのための文化祭実行委員を決めている途中なのだけれど、一向に残り一名が決まらない。先生は簡単な仕事と言っていても、本当はクラス発表の進行ナレーションや、設営、企画案を提出するなどの重労働をしなければならない。

ほかの二名は翔くんともう一人他の男子で決まっている。いくら翔くんがいても、私には責任が重すぎてとても立候補する気にはなれずにいた。私は気まずい教室の空気に耐えられず、俯いたまま机の上を見つめていると、目の端にすっと手が上がるのが見えた。心美だった。 先生も嬉しそうに心美を見て、「やってくれるのか?ありがとう」と言っている。

やっと決まった。これでこの空気から開放される。そう思った時だった。

「いや、私じゃなくて雪葉がいいと思います」

先生と皆の視線が一斉に私を向く。突然のことに驚いて心臓がビクッとはねて鼓動をはやくする。何か否定の言葉を出そうとしたけれど、口はパクパクするだけで、声になっていかない。

私のことなんて知らずに、心美はそのまま続けていく。

「雪葉は、いつも優しくて場を和ませてくれるし、すぐ面白いこと思いつくから、めっちゃ向いてると思います」

それを聞いて先生がうんうんと頷く。

「確かに先生も雪葉はよく周りが見えて、仕事をきっちりやってくれるからいいと思うな。どうかな?」

周りから急に納得する声がちらほら上がる。今まで先生にも心美にも当然他の生徒も、こんな風に私を褒めたことなんてないのに、私のことをちゃんと見てくれて褒めてくれるのは翔くんだけなのに。そう思うと、酷く腹が立った。断ろうと思った。

けれど、実際に私の口から出たのは、わかりましたの一言だった。

「まじで実行委員やってくれてありがとね。やっぱ雪葉最高だわ」

心美に先程の謝礼を述べられる。授業が終わり、休み時間になると大体私たち五人はこうして集まって話をしている。

「ほんとそう私雪葉より優しい人見たことないよ」

「私も雪葉と友達になっとって良かったわ」

実波が心美の言葉に賛同して、それぞれが私を賞賛し始めた。

最初は心美に少しイラついていた私だったけど、みんなに沢山褒められて少し嬉しくなっていた。

「ほら、文化祭定番のメイドカフェとかやってさ雪葉ウエイトやったら絶対お客さん来るよ。かわいいし」

流れで実波が文化祭の話をし始めた。

「そ、そんなことないよ。実波の方が似合いそう。身長高くてスタイルいいし」

とっさに謙遜する。

私は小学生の時に親戚のお兄さんにかわいいねと言われ、そのままそれを自分で肯定したところ、苦笑された。それから、基本的な人との関わり合いでなにか褒められた時は自分のことは否定して相手を褒め返すようにしている。けれど、本当は凄く嬉しい。できることならその賞賛の言葉を素直に受け取りたいし、なんならもっと褒めて欲しい。案の定実波は満更でも無さそうに「えーでも私よりスタイルいい子いっぱいいるしー」なんて言っていた。

チャイムが鳴って次の授業が始まる頃には、私はみんなの期待を裏切るようなことはしたくない、やっぱり私が実行委員をやって良かったんだ、なんて思えるようになっていた。


「よう、二ヶ月ぶりだな」

声をかけられた私は体をビクッと震わせ、一歩後ろに下がった。

「なんで幸喜がここに……」

いつも通り部活を終え、学校を出ようと校門を通過すると、そこには幸喜が居た。
「なんでって別にたまたま前通りかかっただけ」
「うそ。あんたの学校反対側じゃん」
言いながら、だんだん顔が引きつっていくのがわかった。時々通りかかる他の生徒がちらちらとこちらを覗いてくる。

「いやほんとにたまたまだよ。いいからちょっと話そうぜ久しぶりにさ」

今すぐに逃げ出したかったけれど、こんな所で揉めて、部活のメンバーや友達に見られるのは避けたかったので、仕方なく首肯する。

幸喜に連れていかれ、駅までの道を歩く。

「ねえ、話すなら公園とかにしてよ。この道だと通学路で友達も使うから嫌なんだけど」

「別にいいじゃん。見られても友達って言えばいいんだし」

幸喜の言葉を否定し続けるのも怖かったので、仕様もなく私はそれに従う。幸喜は普段は温厚だったけれど、プライドが高くて、嫉妬心が強かったため異性絡みについては束縛が酷かった。いわゆるメンヘラ気質というやつだ。思い出すだけでもぞっとする。

「どう?最近」

「いや、別に」

「彼氏とか」

「もうあんたとは別れたんだし関係ないでしょ?」
「写真くらいみせてよ。雪葉が好きになるってことは相当かっこいいんだろ?」

「やだ」

単調な会話が続いていく。私は細かく周りを気にしながら、足早に歩く。

「じゃあ彼氏の凄いとこ教えてくれよ。そんなに好きならなんかあんだろ」

「教えない」

「は?まさかこんなことも言えないのに好きなのかよ。絶対彼氏大した奴じゃないじゃん」

言われたところでカチンと来た。つい感情的になってまくし立ててしまう。

「何!?勝手に押しかけてきたくせに、翔くんのことバカにすんな!あんたなんかよりずっと優しくて、みんなのこと思ってて、寂しいときずっと一緒にいてくれて、私のこと誰よりも大切にしてくれて、それから……」

私のせいで翔くんが馬鹿にされるのだけは許せなくて、必死に良い所を並べ続けた。泣きたいのか、疲れたのか、怒りからかは分からなかったけれど、全て言い終わった頃には、息をする度に肩が大きく上下していた。訪れたしばしの沈黙をコオロギの鳴き声が繋ぐ。

幸喜は私が落ち着くのを待って、酷く冷静な様子で受け答えをした。

「変わんねえなその怒り方。急に爆発したみたいにキレ始める」

私達の異常な空気を察知してか、通り過ぎる生徒や、通行人が躊躇いもなくこちらを凝視していく。私は恥ずかしくなって下を向いてしまう。

駅のロータリーに着いたところで、顔を上げ、キッと幸喜を睨む。

「じゃあ私行くから」

「おう、じゃあな」

幸喜は私の言葉に応答しながら、手を挙げた。待ち伏せしてまで私に話しかけてきたのに、駅に着いたら意外にもすんなりと私を開放してくれた。私が翔くんのいい所を沢山さけんだことで勝てないと思って諦めたのかもしれない。そう思うとあれだけ燻っていた心にも、どこかスッキリした気持ちが湧き上がってきた。


「じゃあそれぞれ発表始めてもらうぞー。最初は一班からなー」

先生の言葉を受け、最初の班の代表者が教壇に立つ。いよいよ英語の発表の日がやって来てしまった。他の人の発表をしっかり聞かなきゃいけないのに、心臓がうるさくて集中できない。膝の上で握りしめた手のひらに汗が滲む。

気づくと最初の班の発表が終わっていて、次に翔くんが前に出た。何を言っているかは全然聞き取れなかったけれど、緊張している様子もなく、いつも通り落ちついた様子で話していた。それに感心しつつ、ゆっくりと深呼吸をする。翔くんの発表が終わり、先生が次の班の発表を促す。それと同時に私は席を立って、みんなの前へと向かう。正面に見えるクラス生徒の方を向いて、ゆっくりと息を吐く。

「すごかった!」

「ほんとにありがとう」

発表を終えると口々に同じ班の皆が賞賛の言葉を口にした。私は嬉しくてにこにこと笑って受け答える。授業が終わったあとも、心美達に褒めてもらって、ずっと心が踊っている。

「めっちゃ発音上手だったよね」

「雪葉があんなに英語できるなんて知らなかった」

本当は時間をかけて準備をしたからだけれど、それでもこんなたくさんの人に私の頑張りを認めてもらえることが久しぶりで、新鮮だった。

「ちょっと頑張っちゃったかも」

そう言って控えめに笑う。やっぱり頑張ってよかった。心の中で一人感慨にふけっていると心美が話を切り替えた。本当はもっと私のことをほめて欲しかったけれど、無視する訳にもいかないので、その声に意識を向ける。

「そういえば今日ショッピングモール行かない?ここに入ってる雑貨屋さん可愛くてさー」

私たちの高校の近くには大きなショッピングモールがある。だから友達と遊ぶ時は大体お世話になる、本校生徒御用達の場所だ。

「何それ!知らない」

「実波知らんの?二階のゲーセンの隣にあるとこよ。見たことない可愛い文房具いっぱい売っとって楽しかったわ」

「いいね、今日暇だし私行ける」

奏に加え、実波もそれに賛同した。

「雪葉は?」

心美に聞かれ、少し逡巡してから顔を上げる。

「ごめん部活あるからまた今度一緒にいこ」

できるだけ柔らかい物言いになるように意識しながら、断った。本当は皆と遊びにいきたいけれど、それ以上に今は部活を頑張りたかった。翔くんとも約束をした手前、自分に甘くいるわけにはいかなかった。

「そっかあ、じゃあしょうがないね」

心美が私の断りに頷き、ほっとしていると実波が横から口を挟んできた。

「雪葉行けないのー?一日くらい休んじゃえば良くない?」

実波が私に提案する。実波はどこの部活にも所属していなくて、心美は幽霊部員。奏は吹奏楽部に入っているが、今日はオフらしい。何とか納得してもらうために言葉を探すけれど、上手くいかなくてしどろもどろになってしまう。

「い、いやあ。私部長だしなかなか休みにくいかなー」

「ええー仮病とかでいけない?雪葉いた方が絶対楽しいもん」

その言葉に心が揺らぐ。私がいた方が楽しい?本当に?それなら……

「んー、わかった授業終わった後先生に休みの連絡入れてくる」

言った瞬間、自分自身を裏切った罪悪感と、友達の期待に応えた美徳感が私の心臓を支配する。次の授業が始まってからもそれは変わらなかった。授業中は元々他ごとを考えたり、寝ていたりすることが多かったけれど、最近は私なりに頑張ろうと思って、できるだけ話を聞くように務めていた。それなのに、異常に自分の中で葛藤を繰り返してしまって、止まらなかった。本当に実波の提案に乗ってよかったのか、やっぱりもう一度断って、部活に行こうかなんてことをずっと頭の中で考えていた。周りの人から見たらとても小さなことで、自分の行きたいほうでいいよなんて言ってくれるような気もした。それでも私にとってはどちらも大切で、大きな悩みだった。

「雪葉どう?今日行けそう?」

本日最後の授業も終わり、葛藤が続く中、再度心美たちと顔を合わせる。

「うん!いけるよ今から先生に休むの伝えてくるから」

即答だった。あれだけ葛藤していたのに、いざみんなと話をするとこちらに心が傾いてしまう。仮病で休むというのは初めての経験で、少し緊張しながら中谷先生と話をした。

「頭が痛くなってしまって、今日の部活は休みます」

「おお、大丈夫か?気をつけて帰れよ」

「はい、ありがとうございます」

先生の気遣いが、心に刺さる。不思議なことに、先生と話をしていると、今更ながらやっぱり部活に行けばよかったかななんて思い始めてしまう。ズキっとした罪悪感を引きずりながら、職員室をあとにして、心美たちの待つ教室へと向かう。本当の私はどっちなんだろう。どっちが本当に私のしたいことなんだろう。考えても、分からない。

「あ!雪葉戻ってきた」

一番最初に私をみつけた奏が訛りのある声をあげる。

「部活休めた?行けそう?」

「うん、大丈夫!いけるよー!」

実波の質問にVサインを出して、意気揚々と答えた。罪悪感はあっても、やっぱり友達といる時は楽しい。

「じゃあみんな揃ったし行こー」

「おー」

心美の掛け声に覇気のない返事をして、学校を出る。思えば、こうして友達とどこかに遊びに行くのは久しぶりかもしれない。時間がある日はいつも翔くんと遊びに行っていたから。

学校から多少公道を歩いて、大きな建物に入る。ショッピングモール内にはそれなりの数のお客さんがいた。

「エスカレーター登って、右に曲がったら道なりにいく!」

心美を先頭にして、雑貨屋さんへ向かう。

「なにこれ!すごい」

実波が雑貨屋さんを見て、声を上げた。確かに想像以上に広くて、私も少しわくわくしている。内装も様々な商品で彩られ、まるで虹がかかっているかのようにカラフルになっていた。

「これ、翔くんに似合うかな」

目の前にあった猫型の机上ライトに触れる。
「また惚気とる。ほんとに翔くんのこと大好きだねえ」

ひょこっと奏が横から顔を出して、私の目の前に現れる。

「ふえええっ!?いつからそこに」

「いつからってそりゃ入口すぐの場所なんだから近くにおるよ」

「そ、そっか」

「でもいいなあ。そんなふうにいつでも想える人がおるって、羨ましいわ」

「奏は今好きな人いないんだっけ?」

「そうねえ。なーんか誰とも上手くいかんのよ。どれだけ想っとっても、それが相手に伝わらんとなんも始まらん。大切にしなよ、翔くんのこと」

奏が少し寂しそうに笑う。

「うん。ありがとう」

それに深く頷くと、奏は反対方向を向いて、ねりけしコーナーへと消えていった。

しばらく各々で商品を物色していると私以外の三人がキーホルダーコーナーの前で集まっているのを発見した。すかさずそちらに向かい、話しかける。

「何してるのー」

「これみんなでお揃いにしないかって話してて、雪葉も買ってみんなで学校のカバンにつけよ」

そう言って指のさされた方を見ると、そこにはお猿さんの顔にどんぐり形の身体、細長い手足がついたキーホルダーがあった。

「このお猿さんのキーホルダー?」

聞いてみると、心美が大きく頷いて、話し始める。

「そう!かわいくない!?どんぐり猿っていうキャラクターで最近流行ってるの」

見たことも聞いたこともないけれど、心美の中では流行っているらしい。正直、見た瞬間、いらないと思ってしまった。近くにはぴちぴちくんのキーホルダーもあって、どちらかと言えば、そちらの方が欲しい。

「へぇー初めてみた。確かにかわいい」

必死に内心の気持ちは抑えて、とりあえず心美に賛同する。すると、嬉しそうに心美が食いついた。

「でしょ!?どんぐり猿の動画があって、それ見るともっとかわいくみえるんだから。あとで送っといてあげるね」

言いながら、手のひらにどんぐり猿のキーホルダーが乗せられる。

「うん。ありがとう」

一応の感謝を述べると、私の真横で実波が声を張った。

「うわ!ぴちぴちくんある。私これ苦手なんだよね。なんかかわいいって言ってる人いるけど全然わかんない」

実波が自らどんぐり猿のキーホルダーを取ろうとして、その際に目に入ったのだろうぴちぴちくんについての否定的な意見を述べ始めた。

「私もいまいち分からんわ」

「それなー。だから私もお揃いにするのぴちぴちくんじゃなくてどんぐり猿にしよって言ったの」

実波の言葉にみんなが賛同して心臓がドキッとする。

「わ、わたしも流行ってるけどぴちぴちくんあんまり見てなくて」

この状況でぴちぴちくんのファンとは言い出せなくて、できるだけ優しい言葉でみんなに乗っかる。

「だよね?」

「じゃあ私たちアンチぴちぴちくんだね」

「いえーいじゃあ買ってこよ」

結局、みんなと一緒にレジに並んで、どんぐり猿のキーホルダーを買うことになってしまった。今から皆カバンにつけていくらしい。それに倣ってつけてみても要らないのには変わりなかったけれど、お揃いにするということ自体が、友達としか出来ない楽しみ方なのかもしれないと自分に言い聞かせた。

「お腹空いたなー。この後なんも無いんだったらみんなで晩御飯食べん?」

しばらく歩いていると奏がつぶやいた。奏は食べることが好きで、私と話す時もよく食べ物の話をしてくる。

「いいね」

「そうしよ」

スマホを見るとちょうどいつも家で晩御飯を食べる時間だったので、私も賛成する。

「じゃあ三階にあるお茶漬け屋さんどう?私気になってたんだよね」

「そんなん食べた気にならん。私今ハンバーガーかぶりつきたい気分なんよ」

心美が提案し、それに対して奏が別の案を出した。

「えー私ラーメンがいい」

さらに実波が意見したことで、全くまとまりそうにない。

「みんなバラバラじゃん」

心美が半笑いでつっこみをいれる。

「雪葉は何かないの?」

実波に聞かれ、首を振る。

「うん、私は何でも。みんなが食べたいのについてくよ」

本当は今はたこ焼きを食べたい気分だった。でも私がここでそれを言ったら余計に決まらなくなってしまうことは、分かり切っている。

「ほんと?じゃあ三人でじゃんけんしよ」

「じゃんけんぽん!」

「やったー!」

奏がじゃんけんに勝ったらしく、分かりやすく喜んでいる。それに従い、みんなでハンバーガーのお店に足を運んだ。

「うわああ。お肉が三枚も入っとる。いただきまーす」

運ばれてきたハンバーガーを目の前にして、奏が感嘆の声をあげる。

「奏ストップ!」
すると、心美がハンバーガーを食べようとした奏を制止した。

「ほら、写真撮らないと」

心美が短い動画と写真を撮って、それぞれアプリに投稿していた。

「何それなんか毎回やっとるけど」

「みんなと写真とか動画共有できるの。リアルタイムで」

「ふーん」

「奏あんまり興味無さそう。みんなで共有できると楽しいよ。ご飯だってみんなで食べると美味しいでしょ?そんな感じ?」

「え!ハンバーガー美味しくなるん!?じゃあやろっかな」

私も心美に誘われてアプリを入れているが、あまり面白さがわからなくて、たまにしか使っていない。

心美の写真撮影が終わったのを確認して、ハンバーガーを口にする。そこで酷く味に違和感を覚えた。なんだか味が薄いようなきがする。前に翔くんと食べに来たときはもっとパンチの効いた感じだった記憶があるのに。

「え!?」

ぼんやりと考えながら半分くらいハンバーガーを食べ進めたところで、心美がいきなり驚きの声をあげた。それにみんなが顔をあげる。

「どしたん?」

不思議そうに奏が首を傾げると、心美がスマホをこちらに向けてきた。

「み、みなみが!昨日の投稿でイケメン男子と一緒に!」

「んえ!?」

奏と私が揃って驚愕の声を発し、慌てて口を塞ぐ。スマホの画面には、確かに実波と知らない男子生徒が一緒に写っている。

急いで対極に座る実波の方に視線を向けると、頬を赤らめて、少し嬉しそうにしていた。

「実波彼氏できたん?なんで言わんの!」

そのまましばらく黙っていた実波に奏が切り込む。

「い、いやまだ付き合ってないし、相手が私のこと好きかどうかもわかんないし」

「まだ!?これから付き合うってこと?」

「ち、ちが」

普段の勢いのある感じからは一転して、もじもじとしながら受け答えをする実波。それに一同が食らいつく。

「三年生の先輩で、たまに遊びに行くくらい」
「出会いは!」

「元々は私の友達の先輩で、その友達と一緒に図書室にいたらたまたま出会ったって感じ」

「怪しい……。実波普段本なんて読まないのに」

心美がぐいっと顔を近づけて、疑うように実波の目を見つめる。

「その時は生まれて初めて推理小説が読んでみたくなったの!てかなにこれ私尋問されてる?」

「そりゃあ抜け駆けしたんだからこれくらい答えてもらわないと」

「抜け駆けって、さっきも言ったけどまだ付き合ってないしなんもないから」

「まだ!?」

「あー!もう!」

抗議するのを諦めた様子で、実波はやけくそにハンバーガーをかじる。さっきまで小さなお口でお上品な食べ方をしていたのに、今や怪獣みたいな口の開き方をしている。

「てか私が抜け駆けっていうんなら雪葉なんてずっと前からじゃん」

実波がもぐもぐと口を動かしながら私をみやる。

「いやここはもう夫婦だから」

心美が私を指さした。恋愛の話が急に私に飛び火して、慌てて否定する。

「そりゃ翔くんは良い旦那さんになるだろうから、私が翔くんと結婚なんてそんな、まだまだはやいというかなんというか……」

「ほらね?息するみたいに惚気が出てくるから」
「夫婦ってすごい。どうやって付き合ったの」

実波が参考にと私と翔くんの馴れ初めを聞いてきた。

「翔くんが初デート誘ってくれて、去年の体育祭の後に告白してくれたからそんな参考にならないかも。実波の写真見る感じ大丈夫そうだけどなー。あと私たち夫婦じゃないからね?」

「そうかなあ?」

「そうだよー。だって嫌いな相手と遊びに行ってツーショ撮らないでしょ」

「それはそうだけど」

全員がハンバーガーを食べ終えてからも、しばらく実波の恋バナに付き合っていた。ショッピングモールを出た時には、もう既にあたりは真っ暗だった。

「じゃあまた明日ねー!」

「ばいばーい」

みんなで手を振り合って、解散する。

「ただいま」

「おかえり遅かったね」

「う、うん。部活の後ちょっと話し込んじゃって」
「そう。お母さんたちもう先に晩御飯食べちゃったから雪葉後で食べな」

「わかった」

部活をずる休みして、遊びに行ったのだから、当然お母さんにこのことは連絡していない。

さっきハンバーガーを食べたばかりの膨れたお腹に、無理やりハンバーグを詰め込む。残したらなんだか休んだことがバレてしまうような気がして、必死に箸を動かした。ただ何か塊を口に入れているだけで、ハンバーグの味がしない。

「なんか最近疲れてる?」

「別にそんなことない」

食べている途中、ふとお母さんに聞かれた。たしかに最近、少し疲れている感覚があった。でも慣れないことをしているからそれは当たり前だし、そんなことは恥ずかしくてお母さんには言いたくない。

「そう。ならいいけど」

お母さんに対してそれ以上は何も答えず、もそもそと口を動かす。一時間くらいかけて完食したあと、寝る準備を済ませて、ベッドに潜り込んだ。もちろん、枕の下には翔くんの写真を忍び込ませている。それを密かに確認して無意識に微笑む。

「うっ……」
その時だった。耳にズキンっと突き刺すような痛みが走り、思わず手を添える。しばらく動けないまま耳を押さえていると、次第にその痛みは引いていった。少し怖かったけれど、痛みが消えた上、眠気もかなりあったせいで、今日はそのまま眠ることにする。お母さんの言うように体が少し疲れているのかもしれない。

あまり深く考えないように、翔くんの写真付き枕に頭を乗せて、目を瞑った。

異変に気がついたのは、学校にたどり着いて、奏と話をした時だった。

「え?なんて?」

奏の声が上手く聞こえなくて、聞き返す。今日起きてから、たまに耳の聞こえが悪い。

「雪葉今日どしたん?体調悪い?って」

「ああ、大丈夫大丈夫!ちょっとぼうっとしてただけだから」

「ほんと?早退せんでいい?」

「ほんとに大丈夫だよ!それに今日体育祭実行委員の初顔合わせがあるからいかなきゃ。これからクラスでの文化祭準備も本格的になるし」

「心美にほだされてなったやつか」

「いやいやそんな。最後決めたのは私だし」

「嫌な時はちゃんと嫌って言わんとだめよ?」

「ほんとに大丈夫だよ!普段やれない経験できるのちょっと楽しみだし。翔くんも一緒だから」

「翔くんいるなら安心だね。何があっても雪葉のこと守ってくれそうだもんねえ」

「そうそう!だから大丈夫」

「おはよー!やっぱりお揃いのキーホルダー付けてると仲が深まったみたい!嬉しい」

いつも心美と実波は学校に来るのが遅いので、私と奏が先にクラスで話している時に二人がやって来るのが定番だ。今日もどんぐり猿の揃いのキーホールダーに言及しながら、遅れて登場してきた。

「初めてやったけど意外とお揃いっていいもんだね」

奏はこれが結構気に入っているらしい。最初はかわいさが全くわからなかったけれど、確かにこうしてみんなで学校につけてくると、少し愛着が湧いてくるような気がする。

ふと心美の後ろで黙りこくっている実波に気がついて声をかける。いつもなら心美と一緒に勢いよく喋りかけてくるのにどこかいつもと違う。

「実波どうしたの?なんかあった?」

「大したことじゃないんだけど昨日例の先輩と寝落ち通話してたら、寝言のフリしてみなみちゃんちゅきちゅきとか言ってきたから、スマホぶん投げて切っちゃった。がん萎え。ふええ思い出すだけでもきもい」

その時のことを思い出しているのか、身体を震わせながら、自分の肩を両手で抱く実波。

「ええええ!?」

実波以外の三人分の大声量が教室に響き渡り、クラスの注目を集めてしまった。思わず口を押さえて、みんなで肩を震わせる。あんなイケメンでもそんな変なことをするのだと思うと不思議だ。

心美が実波の肩を叩き、半笑いになりながら、慰めの言葉を送る。

「ま、まあそういう時もあるよ。私はないけど。次行こう次」

それに続いて奏と私も実波に近寄る。最初の授業が始まるまで、みんなで精一杯実波のことを励ました。


昼休み中の会議室の椅子に並んで座り、それぞれ自己紹介をしていく。

「二年三組菊坂雪葉です。よろしくお願いします」

前に決めた通り、私のクラスの実行委員会は翔くんと私、それから翔くんの友達の岩田良介くんだ。全員の自己紹介が終わると、先生からプリントを配られた。そこにはクラスの出し物の詳しい内容と、題名を書き込む欄が示されている。

「総合の時間で各クラス文化祭で何をするかを決めて、今週中までにその紙を提出して欲しい。裏面には注意事項も書かれているからそれもみんなに伝えといてな。じゃあ今回はこんなもんで」

先生が言い終わると、ぞろぞろと生徒たちが会議室を抜けていく。私も翔くんと岩田くんに続いて廊下に出た。ここ数日チャット以外でまともに翔くんと話してなかったから、少しくらい声を聞きたいけれど岩田くんが隣にいて喋りかけずらい。なかなか翔くんの隣に回り込めずにとぼとぼと歩いていると、ふいに翔くんがこちらを振り向いた。

「次の五、六時間目総合だから、文化祭の話もしたいし、お昼ご飯三人で食べない?」

「たべる!」

即答した。二人きりじゃないのは少し残念だったけれど、仕方ない。教室に戻って急いでお弁当箱を出し、翔くんの席へ駆け抜ける。

「お前らほんと仲良いよな」

私たちの様子をみた岩田くんが翔くんを肘でこつく。翔くんとの仲に言及されると、恥ずかしくも、誇らしいと思ってしまう。

「まあ雪葉が優しいから。てかそれはいいんだよ。文化祭のこと決めないと」

「うわ彼女の前だから照れ隠ししてやがる。こいつ男子だけの時だとすっげえでれでれしてんのに。この前なんて雪葉が今日ポニーテールにしてて死にそうだったとかほざくために深夜に電話を……いてっ」

翔くんが岩田くんに軽くデコピンをぶつけ、喋り出す。

「とりあえず総合の時間は俺が進行するから二人は決まった内容の黒板メモとプリントの記載頼んだ。それでいい?」

焦っているのか、いつもよりだいぶ早口だった。顔も少し赤くなっていてかわいい。

「俺はいいよ」

「私も大丈夫」

「それでさっきの続きだけど、酷い時なんて五人くらいで集まって喋ってる時に、雪葉が歩いててかわいいとかご飯食べててかわいいとか言い始めてさ、なんだよ歩いててかわいいって笑っちまうよな。まじで彼女オタクにもほどが……いてっ」
「そんな話続けなくていいから!」

翔くんがもう一度岩田くんにデコピンをお見舞いする。さっきのよりも強そうだ。

私のいない所でそんな話をしているなんて知らなかった。デコピンをされた岩田くんは気の毒だけど、ちゃんと翔くんが私のことを好きでいてくれた事実に嬉しくて顔のにやけがとまらない。

「まって雪葉どうした?顔めっちゃ赤い。熱ある?」
「なんて?」

「顔赤いから熱あるかなって」

言うや否や断りもなく私のおでこに手のひらを当ててくる。

「ふぇっ。だ、大丈夫だよ。熱じゃないし、しんどくもない」

「ほんと?」

「うん」

「ならよかった」

岩田くんの方からくすっと笑い声が響く。
「こいつ変なとこ鈍感なんだよな。恋愛上手いんだか下手なんだか」

恥ずかしさから、咄嗟にお弁当に入っていたコロッケを口に放り込む。油の香りだけが鼻に抜ける。もしかしたら最近、お母さんは料理を薄味にしたのかもしれない。

予鈴チャイムが鳴って、総合の授業が始まる五分前になった。お弁当はまだ半分しか食べてなかったけれど、委員会の集まりであまり時間がなかったから仕方ない。お弁当箱の蓋を閉めて、席を立つと、翔くんがそっと耳元に顔を近づけてきた。

「雪葉最近めっちゃ頑張ってるよね。すごいわかる。一緒に文化祭成功させよう」

ぎゅっと心臓が引き締まって、思わず唾を飲み込む。翔くんが私の頑張りを見てくれている。それだけで全てが報われるくらいに嬉しい。でも翔くんの言う通り、無事文化祭の日を迎えたら、また翔くんとずっと一緒にいる毎日を過ごしたいと思う。

そんな希望を持ちながら、私はお弁当箱をしまい、二人と一緒に教壇へ向かった。

「文化祭実行委員からの連絡です。この時間を使って文化祭の出し物を決めたいと思います。今から少し時間を取るので、それぞれ話し合って案を出してください」

手馴れた様子で翔くんがクラスメイトに指示を出すと、一斉に教室が騒がしくなった。それに感心しつつ、私達も何か良い企画がないか考える。
お化け屋敷、劇、たい焼き屋、メイド喫茶、カジノ等々私たちが出した案も含め、ありきたりなものが黒板に並んでいた。

「じゃあこの中から投票で決めたいと思います」
全員が顔を伏せ、手を上げる方式で集計を取る。三人で数を数えて、人数と合うかを計算する。

「みんなの意見の結果、このクラスは劇をやることになりました」

各地から聞こえる歓喜や落胆の声が静まるのを待って、翔くんが続ける。

「なので、このままなんの劇をやるかまで決めようと思います。また少し時間を取るので同じように案を出してください」

先程と同じ方式で、今度は劇の内容を決める。結果、最近流行った映画の劇をすることになった。『僕は君の生贄に』という題名で、その名の通り、主人公が自分の何もかもをかなぐり捨てて、大切な人を追い求める超過激派ラブストーリーだ。主題歌は熱血Love。

早速決まった内容をプリントに書き込み、授業が終わってから職員室にいる先生の所まで提出しに行った。

明日から総合の時間と、時間が取れる人は放課後に集まって、文化祭の準備をすることになった。文化祭は約一ヶ月後の十月六日から開催される。その日のことを思うと今から胸がドキドキしてくる。文化祭実行委員になったからには、できるだけいい文化祭にしよう。そう心に決めて、 横にいる翔くんの顔を見つめた。


ベッドに寝転がりながらスマホとにらめっこをして、文字を打ち込んでは消すという作業をかれこれ三時間くらい繰り返している。翔くん、岩田くんと分担して、劇の脚本を考えることになった。元々の大枠はあるはずなのだけれど、文章を書くことが苦手な私はセリフやその時の状況を考えて文字に起こすだけでもかなり手こずっていた。

翔くんと岩田くんはもう既に担当場所の脚本をグループチャットに送っている。翔くんからは、大変だったら俺がやろうか?という文字が送られてきていたが、翔くんはもう自分の分を終わらせているのだから、私の分までやらせる訳には行かない。そう思って、必死に一人で頭を回転させる。

「できた!」

納得のいく脚本が完成した頃には、外から鳩の鳴き声が窓を貫通し、太陽の光が入り込んでいた。それでも想像以上に達成感がすごかった。時間はかかっても、これでやっと翔くんと同じくらいの働きができた思うと、寝ていないことの疲れなど、すべて吹っ飛ばして学校に行ける気がした。


「そう!上手!」

考えた劇の脚本を元に、順番に役を決め、振り付けやセリフなどをみんなに教えていく。放課後は部活もあるから、私は一時間だけ劇の練習に参加して、残りの時間は水泳部の練習に行くことにした。翔くんもバスケ部で同じような動きをしているから、後は岩田くんに全て任せることになる。そのため、短い時間でできるだけやれることをやっていかなければならない。

「そういや、さっき質問が出たんだけど、衣装と舞台背景どうするよ」

岩田くんが近くにいた私に劇についての相談を投げかけてきた。

「予算節約したいから、布買って手分けして作ろう。舞台背景は、ダンボールとか布に絵を描いてく感じでいいんじゃない?出番少ない人に協力してもらって」

「そうだな。とりあえず今日の帰り俺ショッピングモール寄って布とダンボール探してくるわ」

「ほんと!?ありがとう。この後仕事全部任せちゃうけどごめんね」

「大丈夫。俺部活やってないから。暇つぶしにも丁度いいし」

そう言って、岩田くんは元いた場所へと戻って行った。


「うん。俺ラストシーンの主人公役やることになった。みんなに推薦してもらって」

他の子の会話の中で翔くんが主人公役をやるという情報を小耳に挟んで、直接に聞いてみたら、こんな答えが返ってきた。主人公は出番が多いから三人にそれぞれ別れて役を演じていく。確かに、私も主人公を演じている翔くんを見てみたいし、実際に凄く似合うと思う。でも……

「ラストシーンってキスシーンあるんじゃ」
不安になって、恐る恐る翔くんに尋ねてみる。
「そこは大丈夫。顔を近づけるだけで、実際にキスするなんてことはないから」

「そうかもしれないけど……今のとこヒロイン役決まってるの?」

なんだか少しモヤッとしてしまう。キスはしなくてもほかの女の子が翔くんに顔を近づけるところを想像するだけで酷く嫉妬してしまう。こんな風に思う私がおかしいのだろうか。みんなにとってはそれくらい普通のことなのだろうか。言いたいけれど、嫌われたくなくて、口にする寸前で、言葉を飲み込む。

「まだ決まってないけど、岩田が心美さんに掛け合ってる。明るくてヒロインに向いてるからって」
「それ私がやる!」

「え?」

「私がヒロインやる!まだ心美に決まったわけじゃないんでしょ?じゃあ私が立候補する。そしたら問題なくキスできて劇の再現度も上がるし!」

自分でも何を言っているか上手く理解できないまま、とんでもないことを口走ってしまった。その場であたふたしながら翔くんを見上げると、少し困った様子で私を眺めていた。

「ま、まってまって。落ちついて雪葉。雪葉がヒロイン役やってもそんな舞台でキスなんてしないし、ちょっと仕事が増えすぎて危ないよ。実行委員も部長もやってってなると心配」

「それは翔くんもでしょ」

「まあそうだけど」

ほかのクラスメイトに聞かれないよう小声でやり取りを繰り返し、強く念押したことで、何とか納得してもらった。岩田くんにそれを伝えると、いいじゃんと言ってすぐに了承してくれた。


部活に行くと、既に後輩が練習を初めていた。遅刻の理由を実行委員という肩書きに被せ、遅れてプールに入る。

「ほらー!タイム落ちてるよ!頑張って!」

練習に着いてこれていない後輩たちを鼓舞しながら列の先頭で泳ぐ。相変わらずしんどいのには変わりなくても、やっぱり後輩の前ではかっこいい所を見せたくなってしまうのは先輩の性だ。

「ありがとうございました!」

中谷先生とプールに向かって挨拶をする。これでようやく学校の時間が終わりだ。今日は家に帰ったら、劇の衣装のデザインをすると決めている。もう頭の中はそのことでいっぱいで、どんな衣装にしようか考えていると、目の前で友達が私の顔を凝視していることに気がついた。練習の時に私の全国大会出場を応援してくれていた優しい友達だ。

「雪葉目めっちゃ赤いよ」

「ん?」

「目赤いから一回更衣室の鏡で見てきたら?」

「ほんと?」

目に違和感はなかったため、不思議に思いながらも鏡の前にいくと自分でも驚くくらい赤く充血していた。プールに入ると、塩素や汗の刺激で目が赤くなることがあるというのは聞いたことがあったけれど、自分がなったのは初めてだった。念の為、手持ちの目薬をさしておく。これで少し経てば治るだろう。そう思って、帰りの準備に取り掛かかる。着替えと荷詰め、プールサイドの片付けを終わらせてもう一度鏡を覗くと、だいぶ目の赤みがおさまっていた。ほっと胸を撫で下ろして、部室をあとにした。


「ひえっ」

思わず声が漏れてしまった。家に帰ってスマホを開くと通知画面に幸喜と書かれたアカウントからのメッセージが表示されていた。別れた時に繋がっていた幸喜のSNSアカウントは全てブロックしたけれど、どうやら私にメッセージを送るために新しく作ったらしい。

おずおずとDMを開くと、ぶわっと長文が現れて、スマホ一面を支配する。内容を要約すると、よりを戻したいから今の彼氏と別れろ。さもないと毎日待ち伏せしてストーカーするぞということらしい。

翔くんに言って何か対策してもらおうかとも考えたけれど、私のことで迷惑をかけたくなくて、何も伝えないことにした。とりあえずそのアカウントもすぐにブロックして対処する。心の中で牙を剥く恐怖を抑えるために、ペンと紙を引き寄せて、衣装デザインを書き始める。

しばらくの間衣装デザインを描き込んでいると、ノックとともに部屋の扉が開き、お母さんが顔を出した。思わずビクッと体を震わせて、音のした方を向く。あまり良さそうな顔をしてはいなかったため、少し身構える。

「ちょっと話があるんだけど」

断れるような雰囲気ではなく、渋々お母さんの後について、リビングへと向かった。たどり着くと、机にお父さんが座っていて、その向かい側に促されるまま正座した。お母さんはお父さんの隣に座って、しばしの間、何かを探るように沈黙が周囲を包む。

「これさ」

差し出された一枚の紙が私の平静を破壊する。少し前に返ってきた模試の結果だ。判定をみるとほとんどがDで埋まっていて、どの教科の偏差値も概ね三十前後。

「別に怒ってるわけじゃないんだけど、このままじゃ就職になっちゃうよ?いいの?」

少し咎めるような口調で、首をかしげた。

「なんで?大学に行かずに就職するのはだめなことなの?働いてる人に失礼じゃない?」

最近勉強を頑張っていた矢先にこれだ。遠回しに成績不振を指摘されたことが悔しくて、的はずれなこと言い返してしまった。

「そういうことじゃなくて、私は雪葉に大学まで行って欲しいなって思うの」

「そんなの私の人生なんだから私の勝手でしょ。お母さんが決めないでよ」

「大学に行っとけば安心だから。私は雪葉の将来を心配してるだけ」

私はお母さんのこの物言いが大嫌いだ。私のことを思って言っている。そんなものは、一方的な正義感に駆られているだけで、私の気持ちなんて全く考慮していない。

「私のこと本当に心配してるならほっといてよ!私は自分なりにやってるからこれでいいの!」

感情が昂って、少し声を荒らげてしまった。そこで見かねたお父さんが口を挟む。

「雪葉は将来何かやりたいことないの?」

「別に無い。これ以上勉強したくもない。今が楽しかったらそれでいいし」

どうしてもお母さんとお父さんの意見に同意したくなかったため、自分の将来を否定する言葉でそれを示す。それを聞いていたお母さんがまた横から口を出した。

「じゃあ尚更ちゃんと勉強して大学行った方がいいって」

「今の話聞いてた!?耳悪いんじゃないの?」

我慢できなくなった私は、その場で立ち上がり、自分の部屋へと向かう。

「ちょっと雪葉!」

私を呼ぶ声を無視して、ずかずかと進む。自分の部屋の扉に手をかけ、中に入ってからこれみよがしに強く閉めた。今の出来事を思い出すとふつふつと腹の底から怒りが湧き出てくる。思いっきりペンを握ってもそれは収まらなくて、感情に任せたまま衣装デザインを描き殴る。けれど、それによって現れた意地が私の心に膜みたいに張り付て、驚くほど集中できた。そのまま何時間も衣装を描き、納得いくデザインを作り上げてからまだ少し夜明けまで時間があることを確認する。眠い頭を振り払って、スマホを開いた。続けて二年三組実行委員と書かれたグループチャットをタップする。岩田くんが書いてくれたラストシーンのヒロインセリフを覚えようと思ったのだ。私は覚えが悪いから少しでもやっておいた方がいい。

そう意気込んで始めたものの、何度見ても目の前がぼんやりとしていて上手く頭に入ってこなかった。霧のかかった視界を閉じながら、机に突っ伏してしまう。次第に意識が薄れていって、自分の呼吸音が頭を震わせる。すっと目の縁から一粒の涙が零れ落ちると同時に、私の意識は夢の世界へと向かっていった。


「雪葉!?」

朝リビングへ向かうと、お母さんに名前を呼ばれ、肩をすくめる。昨日の話の続きをされるのかと身構えたが、どうやらそうではないらしい。

「目がめちゃくちゃ赤いよ」

「なんて?」

「目がすごく赤い」

昨日のこともあって、少し気まずいような感じもしたけれど、お母さんは構わず話しかけてくる。

「大丈夫だよ。たぶん昨日プールの水の刺激にやられちゃったっぽくてさ」

言ってから、自分の異変に気がついた。見るもの全てにもやがかかっていて視界が悪い。念の為顔を洗ってみても、状況は変わらなかった。

「ほんとに大丈夫か?結構赤いぞ」

朝ごはんを食べている途中にもお父さんに目の赤みを心配された。私への気遣いだと分かっていても、これ以上何も言われたくなくて、準備を終えてから急いで家を飛び出した。


「雪葉がヒロイン役やってくれて助かったよ。めんどくさくてやりたくなかったからさ」

心美が気だるそうに喋る。

「いやいや私がやりたいって言ったやつだから」
「ええ雪葉がヒロインやるの!?いいなー私、怪盗山田マン役だよ」

「まあ、ヒロイン出てくるの一部だけだけどね」
「実波はまだ山田役なだけマシだわ。私なんて通行人」

「奏がやる通行人なんて絶対かわいいじゃん!」
「通行人にかわいいもなんも無いて」

心美のフォローに奏が冷めたツッコミを入れた。

「雪葉後ろ」

途中実波が私の後ろに視線を向けたので、そちらに振り向く。ぼやけた視界で見ると、真後ろに岩田くんが立っていた。

「これ、買ってきたぞ。ダンボールはかさばるから空き教室に置いてきた」

差し出されたのは、昨日お願いしていた衣装用の布だった。

「買ってきてくれたんだ。ありがとう!後で会計の子に領収書渡してね。実は私も……」

喋りながら机の中のクリアファイルを漁る。
「みて!衣装のデザイン考えてきた。まだ主人公役しかできてないけど」

「すげえじゃん。これ雪葉が描いたの?こんな絵かけるんだ」

「そうだよ」

自信満々に紙を見せると素直に褒めてくれた。やっぱり昨日の夜頑張ってよかった。私を認めてくれる一言が、どれだけ辛くてもそう思わせる。

「これつくるの被服部のやつに頼むか?」

「いや、一旦私がやってみる。とりあえずみんなには全部セリフと動き覚えてもらって、この後他の役の衣装もデザインするから、そしたら被服部の子に協力してもらお」

「了解」

自分の席へ戻る岩田くんをもやのかかった目で追った。少しずつ完成に向かって進んでいる感覚がして文化祭準備がすごく楽しい。もう既に文化祭当日、みんなで劇を演じ切った時のことを想像してわくわくしてしまう。目と耳のことは、体力的な疲れが原因だろうから、文化祭が終わって、それでもしばらく治らなかったら病院に行けばいい。そう思って、ゆっくり心美たちの方へ向き直った。

その後はいつもと同じように、授業をこなし、放課後は文化祭準備と部活に時間を費やして下校時刻となった。家に帰ってからは意外にも進路や勉強の話はされずに、鬱陶しく翔くんのことを聞いてきた。

自分の部屋に戻って、家庭科の授業で使って以来、全く登場していない裁縫セットを引っ張り出した。針穴に十五分くらいかけて糸を通し、岩田くんに貰った布を袋から出す。そうしてスマホに載っている本返し縫いの方法をみながら、何とか縫い付けていく。視界がぼやけているせいで、細かい作業が想像以上にやりにくい。

「いたっ」

途中、思わず痛み方に目を向けると、針が刺さって、左の親指から大量の血が流れていた。せっかく縫った服にも血がついてしまっていて台無しだ。

「うう……」

仕方なく、血の着いた布を捨て、傷口を絆創膏で塞ぐ。

気がつくと目から涙がこぼれ落ちていた。痛みよりも、不器用で、何もかも上手くできない自分への涙だった。

頭を振って、思いっきり腕で目元を拭く。何度も何度も心の中で繰り返した、"助けて"の言葉。本当は、今すぐに誰かに甘えたかった。頼りたかった。でも、今は私一人でここを乗り越えなければいけない気がした。そうしたら、翔くんに釣り合う彼女として、認められる気がしたから。

けれど、その窮屈な枠組みを作っているのは、自分自身だと、誰にも頼っちゃいけない、そう思い込んでたのは私自身だったんだと、気づいた頃には、もう手遅れだった。

布がないので後はどうしようもなく、やるせない気持ちを抱えたまま、ベッドに飛び込む。最近はずっとやることが多くて、まともな時間にベッドに入るのは久しぶりだった。それを考えたら、今日はいい休息日になるかもしれない。そう無理やり自分を納得させ、ぼやけた目を瞑る。

「ひゅっ」

目を瞑ってからしばらくして、自分の呼吸音で覚醒した。喉が引っ付いて、息が上手く吸えていない。肩だけを大きく上下に揺らしながら、心の中で必死に翔くんを呼ぶ。

意識が朦朧とし始めた時、目の前にぼんやりと翔くんが現れる。

枕の下にある写真と全く同じ格好をした翔くんだ。風通しの良さそうなスウェットに、緩やかなズボンを履いている。

どうしてここにいるのか、走馬灯なんじゃないのか、呼吸が正常にできていたら私もそう思っただろう。私は一縷の希望にかけて、必死に翔くんにしがみつく。でも、言葉が出てこない。今は何故か目もしっかり見えるし、音も聞こえる。なのに、どれだけ翔くんに助けを求めようとしても、口がぱくぱく動くだけで、何も伝えられない。

苦しくてそのまま泣きじゃくっていると、翔くんが微笑みながら、そっと私の頭を撫でた。

――巻き戻れ、雪葉。























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