ホウセンカ
愛しのホウセンカ
「ほら、桔平。見てみろ」

 甚平姿の父が、広い庭の隅を指さす。その先にあるのは、垂直に伸びた茎とラッパのような形の花を持つ植物。真夏の日差しにも負けず力強く開くその紅い花に、オレは釘付けになった。

「あの花、なに?」
「あれはホウセンカ。今日、一斉に花が開いたんだよ」
「ホウセンカ」
「そう。暑さに強くて、すげぇ丈夫でな。こんなクソ暑いのに、元気に咲いてるだろ?今日は父ちゃんと、ホウセンカの絵を描こうぜ」

 両親ともに植物が好きなので、鎌倉の家の庭では四季折々の植物が育てられていた。

 父の部屋からは、庭が一望できる。オレは物心つく前から、その部屋に入り浸って絵を描いてばかりいた。ほとんどが植物の絵で、オレのスケッチブックを眺めながら、父がいつも顔を綻ばせていたのをよく覚えている。

 何かの芽が出るたび、花が咲くたびに、父はオレを庭へ呼んだ。そして植物の観察会が始まる。

「いいか、桔平。どんなものでも多角的に見るんだぞ。今、そこから見えるものだけがすべてじゃねぇ。常に奥行きを意識しろ。平面じゃなく立体で捉えるんだ。思い込みは悪だからな」
「わかった。思い込みは悪」

 未就学児に対してこんな小難しいことを言うのは、父ぐらいだろう。オレを天才児だと思っている節があった。ただオレは、そんな親バカな父が大好きだった。

「お、さすがオレの息子だ!細かいところまで見てるし、上手く描くもんだなぁ!後で母さんたちにも見せてやろうぜ」

 オレが描いたホウセンカの絵を見て、心底嬉しそうに頷く。父のこの顔が見たくて、ひたすら絵を描いていた気がする。

 記憶にある限り、父から叱られた事は一度もない。オレのやることなすこと、すべて褒めて認めてくれていた。それが本心からなのは子供でも分かったし、父から褒められることは、オレにとって何よりの喜びだった。

「父ちゃん。植物って種子を作るために花を咲かせるんでしょ?花が枯れた後に種子ができるんでしょ?ホウセンカの場合はどんな種子が出来てどうやって遠くに運んで子孫繁栄させるの?そもそも植物は自我があって子孫繁栄させようとしてるの?」

 普通なら、ようやく平仮名の読み書きが出来るようになる年齢。それなのにこんな調子だったから、周りの人間には気味悪く思われる。
 それでも父だけは、オレの疑問に対して真剣に考えて答えようとしてくれた。
< 378 / 408 >

この作品をシェア

pagetop