追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

33.眠り王子に贈る香水

 ヴェーラの商団が速やかに動いてくれたおかげで、翌朝には工房に香料の原材料が届いた。

 フレイヤとレンゾは原材料が入っている袋を開けて香りを嗅いでは、にっこりと満面の笑みを浮かべる。想像以上に芳しい香りに大いに満足しているようだ。
 
「さすがコルティノーヴィス伯爵が動かす商団は鮮度がいい商品を届けてくれますね。前の工房ではこんなにも状態がいいものを手にしたことはなかったですよ。なんせ商人たちはいつもカルディナーレ香水工房を優先に納品していましたからね」

 普段は落ち着きのあるレンゾの声が弾んでいる。よほど嬉しいのか、ジャスミンの花がふんだんに入った袋をぎゅっと抱きしめて頬擦りまで始めてしまった。

「それにしても……まさか翼竜(リンドヴルム)が荷物を運んでくるとは思いませんでした。あのドラゴンが雷光を背にして現れた時、正直に言うと死を覚悟しましたよ」

 レンゾの言葉に、フレイヤは己の身を抱きしめながらこくこくと頷く。

 翼竜(リンドヴルム)は稀少種のドラゴンで、その飛行速度はドラゴン随一とされている。雷を伴って空を飛び、その雷を落として獲物を捕らえると言われている。
 その翼竜(リンドヴルム)をヴェーラの商団では特急便で荷物を運ぶ際に使役している。

 今回はヴェーラが「超特急で届けろ」と命じたため出動したのだ。そのような経緯で巨大な籠を持った翼竜(リンドヴルム)が工房の前に降り立ったのだ。
 突然現れたドラゴンを見たフレイヤは、肉食獣に狙われた草食動物のごとく震えたのだった。

「こんなにたくさんの材料をレンゾさん一人で抽出するのはさすがに大変ですよね……。商業ギルドへ行って日雇いの従業員を募集しましょう」

 コルティノーヴィス香水工房では抽出専門の従業員の求人を出しているものの、まだ日が浅いためか誰も応募してこないのだ。しかし日雇いで求人なら、短期収入を目当てにした労働者が現れる確率が高い。
 
「日雇いの従業員は不要ですよ。妖精たちに手伝ってもらうので事足ります」
「レンゾさんは妖精を召喚できるんですか?!」

 フレイヤは榛色の目を輝かせた。
 
 妖精はこの世界に存在する特別な存在だ。限られた者だけがその姿を目に映すことができ、さらに限定された者のみが彼らの力を借りることができる。
 一般的には魔力が潤沢で心優しい者が妖精を召喚できると言われているが、ごく稀に魔力が少なくても妖精に気に入られた者の周りに妖精たちが勝手に集まっては手を貸してくれることもあるそうだ。

「そうとなれば、対価を用意しなければなりませんね」
「ええ、工房長には既に話しをつけているので、今日の午後にでも買い出しに行ってきます」

 妖精に頼みごとをする時の対価は相手の妖精次第だが、たいていはビスケットと牛乳(またはヤギの乳)を所望する。中にはチョコレートやキャンディなどの味を知っているグルメな妖精もいるため、用意する種類が多ければ多いほどたくさんの妖精たちの力を借りられるのだ。

「工房長が好きなだけ用意していいと言ってもらえたので、たくさん用意するつもりです。工房長って、噂に聞いていた印象と違いますね。……なんというか、噂に聞くより優しくて部下想い方だと思いました」
「私もそう思います。思いやりのある方で、この人のもとで働きたいと思いました。私が作る香水が、シルヴェリオ様の力になれたらいいんですけど……」

 シルヴェリオは自身の友を目覚めさせるためにフレイヤの香水を必要としている。
 呪いに効く香水なんて聞いたことがないが、自分の作る香水が本当に奇跡を起こしてくれて、特別な力で目覚めさせてくれることを祈るばかりだ。

(心をこめて作ろう。私にできることは、それしかないもんね)
 
 ちょうど今晩、仕事終わりのシルヴェリオと話し合い、彼が求めている香水――第二王子のネストレを目覚めさせるための香水の香りについて打合せすることになっている。

 フレイヤは小さく拳を握り、自身を奮い立たせた。
 
     ***

 やがて夜になり、ひとり残って棚の片づけをしているフレイヤのもとに、仕事を終えたシルヴェリオが現れた。

「待たせてすまない。すぐに始めようか」
「はい、それではこちらの椅子におかけください」

 フレイヤはシルヴェリオを商談用に用意したテーブルセットに誘導する。

 テーブルの上にはフレイヤが姉の夫であるチェルソから受け取ったトランクが置かれていた。トランクは蓋が開いており、その中にはいくつもの小瓶が並んでいる。
 この小瓶の中身は全て精油で、フレイヤの私物だ。言葉で説明するよりも実際に匂いを嗅いでもらった方が伝わりやすいため、用意したのだ。

「それでは、第二王子殿下と香りについてお話を聞かせていただきますね」

 フレイヤは紙とペンを持ち、シルヴェリオの差し向かいの椅子に座る。
 
「まずは第二王子殿下の好きな香りや、思い入れのある香りを作るのがいいかと思いますので、もし心当たりがあったら教えてください」
「ネストレ殿下好きな香りか思い入れのある香り……か」

 シルヴェリオは顎に片手を添えて思案を巡らせる。

「そういえば、森林の香りが好きだとよく騒いでいたな……」
「騒いで……いたんですね」
「ああ、とにかく声が大きくてな……そのうえ一度話し始めると止まらないんだ」
「第二王子殿下の新しい一面を知ってしまいました……」

 絵姿でしか見たことがない王子への印象が変わった。どうやらかなりやんちゃな性格らしい。

 フレイヤが姿絵で見たネストレ・エイレーネは精悍な顔立ちの美丈夫だった。
 緩くウェーブがかかった水色の髪に、静謐な夜空に瞬く星のような銀色の目、そして騎士らしい引き締まった体躯。
 国内の令嬢はもちろん、他国の姫君からも釣り書きが届く人気者だと聞いている。

 絵に描いたような王子様だろうと思っていた想像が、音を立てて崩れていった。
 
「シルヴェリオ様は第二王子殿下と本当に仲がいいんですね。幼いころから王城のパーティーで顔を合わせていたんですか?」
「いや……出会ったのは学生の頃が初めてなんだ。なぜかネストレ殿下に毎日絡まれていた」
「絡まれて……いたんですね」
「最初は話しかけられるだけだったのだが、挙句の果てには寮の部屋を一緒にしたいと言い出して――荷物一式持って転がり込んできて元いたルームメイトを追い出してしまった」

 フレイヤは思わず、押しかけルームメイトな王子と押しかけられたシルヴェリオを想像してしまった。
 
「シルヴェリオ様のことをとても慕っているのが伝わりました」
「その言い方は止してくれ……ネストレ殿下がルームメイトになった一件のせいで学園内にはあらぬ噂が流れて珍妙な本まで出回ってしまったんだ」

 いったいどんな本だったのか気になったものの、シルヴェリオが眉間に深い峡谷ができるほど眉を寄せているものだから、触れないことにした。

「それは……ご愁傷様です」

 美丈夫のネストレと彼に負けないほどの美貌を持つシルヴェリオの二人が親しくしていると、周囲の人間はどうしても二人の仲を妄想をしてしまうだろう。
 フレイヤはシルヴェリオに同情したのだった。

「ええと、話を戻しますね。第二王子殿下が好きな森の香りですが――ひとくちに森林と言っても、人によって連想している香りが異なるんです」
「どんな香りがあるんだ?」
「一つは葉の匂い。新鮮な葉の清涼感がある香りです。もうひとつは木の匂い。こちらは温かみがあってスパイシーな香りですね」
 
 そう言い、フレイヤはシルヴェリオに小瓶を二本手渡した。どちらもフレイヤの私物で、中には精油が入っている。
 片方はシダーウッドの精油で、もう片方はペパーミントの精油だ。
 
 シルヴェリオは小瓶を受け取ると、それぞれの匂いを嗅ぐ。シダーウッドが入っている小瓶の香りを嗅いだ時、微かに目を見開いた。
 
「以前、ネストレ殿下がこちらの精油に似た香りの香水をつけていた気がする」
「それでは、ウッディ系の香りを好んでいるのかもしれませんね」

 フレイヤは手元の紙にメモを書きつけた。

「このシダーウッドの香りをベースノートにしましょう。……あ、ベースノートというのは、香水の余韻を感じさせる香りのことです」

 香水は三段階の香りで構成される。
 トップノートが香水のつけ初めに感じる香りで、ベースノートは持続時間が長く、香水の核となる香りだ。最後のハートノートは香水の余韻を感じさせる香りとして設定される。

「ネストレ殿下が森の香りがお好きなのでしたら、トップノートにバジル、ハートノートにゼラニウムを入れるといいかもしれません」

 迷いなく紙に書いていくフレイヤの手元を、シルヴェリオは珍しそうにじっと見つめる。
 
「香水を作るのは魔法の術式を組むのと同様に綿密な設計図が必要なんだな」
「ええ、魔法と同じくらい繊細なものですから」
 
 嬉しそうに話すフレイヤを見て、シルヴェリオの口角が微かに上がった。

「さて、今日のところはここまでにしてパルミロの店に行こう。そろそろ待ちくたびれてここまで迎えに来そうだ」
「そうですね。レンゾさんも待っていることですし、行きましょう」

 今夜はパルミロの店でコルティノーヴィス香水工房開業記念の宴が開かれる。パルミロは昨夜から張り切っており、美味しいご馳走とデザートを用意して待っていると言っていた。
 
「いよいよ、本格的に香水工房らしくなってきましたね」
「そうだな。明日から忙しくなりそうだ」

 工房を後にしてパルミロの店を目指す二人を、柔らかな月明りが照らした。
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